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第3184号 2016年7月25日


看護のアジェンダ
 看護・医療界の"いま"を見つめ直し,読み解き,
 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。
〈第139回〉
感情のメカニズム

井部俊子
聖路加国際大学特任教授


前回よりつづく

 このところ,「DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー」誌で連載している「世界標準の経営理論」に注目している。執筆者は入山章栄氏(早稲田大ビジネススクール准教授)である。彼が一人で毎回執筆している。「世界標準」という命名にも誘われる。

 2016年7月号のテーマは「職場環境と感情の理論」である(41巻7号,126~137頁)。「感情のメカニズムを理解してこそ,組織は動き出す」という。今回はその概略を紹介したい。

経営学で扱う三種の感情

 経営学で取り扱う感情には三つの種類がある。それらは「分離感情」「帰属感情」「ムード」である。

 分離感情(discrete emotions)とは,怒り,喜び,憎しみ,恐れ,嫉妬,驚き,悲しみ,幸福,ねたみ,いらつきなど,一般にわれわれが感情と呼ぶものであり,学術的には分離感情と呼ばれる。分離感情は外部刺激によって引き起こされ,短い期間で収まりやすい。

 帰属感情(dispositional affect)とは「感情の個性」を指す。この感情は,ある程度安定的に一人ひとりが持つ特質であり,「彼女は常にポジティブだ」「彼はいつも心配性だ」「うちの部長は怒りっぽい」などがそれに当たる。帰属感情は「ポジティブ感情」(Positive Affect;PA)と「ネガティブ感情」(Negative Affect;NA)に大別される。

 個人の帰属感情は,短時間で変化する分離感情と異なり,安定していて計測しやすいため,実証研究が進んでいる。代表例としては,1980年代後半にデイビッド・ワトソンらが打ち立てたPositive and Negative Affect Schedule(PANAS)がある。PANASは,個人の心理状況を苦悩,驚き,自信,怒りなど20の感情表現に基づいて質問票で調査し,最終的にPAとNAの高さとして集計される。この指標は心理学者だけでなく,セラピストなどにも広く応用されている。

 ムード(mood)とは感情の集合体を指す。組織や職場は人の集合体であるからである。職場のムードの研究はミクロ組織論で重要な位置を占める。ムードは,「この職場は元気な職場だ」「このオフィスはいつも雰囲気が悪い」などと,比較的安定して職場に定着している。

 これら3つを包括する概念を,学術的にアフェクト(affect)と呼ぶ。

現場リーダーにこそ重要な「感情のマネジメント」

 怒り,喜び,悲しみなどの発生は無秩序にみえるが一定の法則性があるとされ,感情イベント理論と称される。感情は,事件・事故のようなドラマティックな外部刺激だけではなく,日常業務などさまざまなことから常に刺激を受ける。

 刺激がやがてたどりつくのが「分離感情の体験」(emotional experience)である。ここで興味深いことは,「ポジティブな外部刺激よりも,ネガティブな外部刺激のほうが,心理的な影響度がはるかに強い」という多くの実証研究結果である。これを「感情の非対称性」という。つまり,「仕事でのネガティブな出来事が人の感情に与える効果は,ポジティブな出来事が与える効果より約5倍も強い」ことや,「人は仕事上のポジティブな出来事より,ネガティブな出来事を思い出しやすい」こと,「人は職場(家庭)で経験したネガティブな感情を家庭(職場)に持ち込みがちで,ポジティブな感情は持ち込まない」傾向を明らかにしている。

 「外部刺激」と「感情体験」の間には認知評価(cognitive appraisal)が挟まる。同じ外部刺激でも,それをどう評価するのかは人によって異なり,人の帰属感情に影響される。一般にNAが強い人はネガティブな外部刺激に反応しやすく,PAが強い人はポジティブな外部刺激に反応しやすい。特にネガティブな刺激は影響度が大きいから,NAが強い人は深刻になりがちとなる。「上司が何の気なしに部下を叱っているうちに,いつの間にか部下が精神的に追いつめられた」といった事例がそれに当たる。

 分離感情の体験は人の内面で起こるが,人は感情を外に向けて表現もする。外への表現によって,人の感情は周囲に伝達され,それは周囲の人々にとって外部刺激となる。一般に,周囲からポジティブ(ネガティブ)な感情表現を刺激として受けた人は,ポジティブ(ネガティブ)な感情を抱きがちとなる。これを感情伝播(emotional contagion)という。重要なことは,感情は言語表現よりも,表情,声のトーン,身振り手振り,体の接触,対話者との物理的な距離など非言語表現を通じて伝播する側面が強いということである。感情は互いに顔を見合わせられる「物理的に近い人」にのみ伝播しやすい。したがって,感情のマネジメントは,企業トップだけでなく,各部署の現場リーダーにこそ重要な仕事である。

 「ポジティブな感情は個人の仕事への満足感を高める」ことや,「ポジティブな感情を持つ人のほうが,より同僚や上司からの仕事上のサポートを受けやすい」こと,「個人・組織の仕事のパフォーマンスを高める」などの結果を得ている。

 しかし,話はそう単純ではない。「ネガティブな感情やムードのほうが,組織の意思決定や認知パフォーマンスにプラスの効果をもたらす」という研究結果がある。「成果を認められて,その成果に対する報酬をもらえる場合,人はネガティブな感情を持っているほうが創造的な成果を生み出しやすい」というのである。

 感情を巧みにコントロールすることこそが組織・職場の認知力を高める上で重要であり,感情のディスプレーとして「笑顔の効果」を推奨している。

 職場の管理者は,「感情のメカニズム」を知り,自己の感情が組織に及ぼす影響をマネジメントすることが「管理のカタチ」として重要であることがわかる。

つづく

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