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第2985号 2012年7月9日


【シリーズ】

この先生に会いたい!!

選んだ道を悔やまない。
覚悟を決めて,頂点をめざせ!!

天野篤氏
(順天堂大学教授・心臓血管外科学)
に聞く

<聞き手>竹原朋宏さん
(慶應義塾大学医学部6年生)


 今年2月の天皇陛下の冠動脈バイパス手術で執刀医を務め,“異例の大抜擢”とメディアを賑わせた天野篤氏。手術に臨む際には,「自分の命を賭けるぐらいの覚悟が必要」と決意を求める一方,「納得できる理由さえあれば経験年数にかかわらず手術のチャンスはある」とも語る。果たして氏の考える外科医の在り方とは――。

 世界にその名を轟かす心臓血管外科医の哲学に,医学生の竹原朋宏さんが迫ります。


竹原 循環器分野ではさまざまな治療のエビデンスが出てきています。冠動脈バイパス手術を選択する際に,先生はどの程度エビデンスを重視されますか。

天野 それは症例にもよります。例えばパイロットの場合,乗務中の急変は絶対にあってはなりません。なので以前米国では,病変を確実に治療し,それを質的にも評価できる観点から,バイパス手術の選択は絶対条件と言われていました。危機管理の面を含め二重・三重のバックアップを考えたときには,エビデンスにかかわらずバイパスで血管をつなぐことが適切という判断が優先される典型例です。

竹原 つまり,場合によってはエビデンスを当てはめないほうがいいこともあるということですか。

天野 エビデンスレベルが低い場合,医療環境によっては有害となることもあるでしょう。エビデンスを第一義とせず,医療倫理的な背景や患者個人の生活環境,そして外科医の技量も判断材料として,治療法は決定付けられるものです。

竹原 リスクが高い場合は,手術を避けることも選択されると思います。

天野 もちろん少しでも患者さんのコンディションをよくし,リスクを下げるようにまずは努めます。しかし,リスクにかかわらず「自分がやらなければいけない手術」というものがあります。それは,他の医師よりも自分が行うほうが絶対に成功確率が高い手術です。

 治療のリスクは,ご家族や可能であれば患者さん本人ときちんと話します。これが自分の考えている手術ですが,場合によっては必要な処置まで届かないかもしれない。それをお互いが納得して,結果によらず受け入れられるよう治療を決めるのです。

竹原 手術の結果に関係なく,ですか。

天野 そうです。そのために大切なことは,コミュニケーションをとることです。私は患者さんにまず「どこに住んでる?」と聞きます。打ち解けられる話題から関係性をつくり,患者さんが理解できるよう状態や治療の説明をしています。

 心臓外科医は視野狭窄になりがちですが,医師になって経験することのほとんどは世の中のどこかに既に答えがあります。患者さんが発するサインでも,世の中に似たようなものが必ずあるのでそれを見逃さない。また,治療の上で必要なことを患者さんから伝えてもらえるような状況設定が大事です。

3秒で考える次の一手

竹原 先生は慎重に慎重を重ねて手術を行うタイプ,とメディアで紹介されています。

天野 私は決して慎重なのではありません。自分のなかにある経験に基づく医療をエビデンスと照らし合わせて,その場その場で最適の治療法を判断するので,慎重と思われる方もいるのでしょう。

 一例ですが,満員電車で突然立っていられないほど揺れたらどうしますか? 吊革につかまっていてはケガをします。そういう場合は,一度身をゆだねなければ駄目。ゆだねながら,3秒で次にどうするか考えるというのが私の答えです。そして,それに責任を持ち後悔しないことも重要です。

竹原 たった3秒で次の手を見いだすのは,決して簡単ではないと思います。

天野 必要なのは知識と経験の統合です。経験には時間が必要なので,若いうちはまず自分が興味を抱いたものを探究心を持って掘り下げ,1つひとつ知識を積み重ねていくといい。例えば内胸動脈であれば,どこにあり,何に使われるのか。バイパス手術に使うことがわかれば,いつ誰が最初に手術に成功したのか。そういった知識のネットワークが多くできれば,それらは統合されていきます。

竹原 先生自身はこれまで,どのように学んでこられたのですか。

天野 私は熱にほだされるというか,1つのことに夢中になってしまう性格なんですね。夜中に胃癌の標本からリンパ節を探っていたらその上で寝ていたこともあるし(笑)。

竹原 仕事に取り憑かれていた。

天野 そう。だから初期研修医時代は,例えば血液内科に行ったら血液だけを学ぶ。次に循環器を回れば循環器だけを勉強し,そこで学んだ知識を統合する。そうすると貧血ひとつとっても,「抗血小板薬の副作用である腸管出血が原因となるケース」のような単純だけど意外なパターンも頭に入ってくる。そういったことを,若いうちにたくさん頭のなかに刻み込んでおくといいでしょう。

竹原 手術手技はどう学んだのですか。

天野 「先生の手術をビデオに撮らせてください」ってよくお願いされるけど,ビデオじゃ無理ですね(笑)。というのは,動画は多くのメモリが必要なように,よほどの記憶力がないと覚えきれないからです。だから,私は紙芝居のように,大事なところだけをスナップショットで覚えました。1つの術式で5-6枚のイラストを頭に入れ,その間を知識でつなげるんです。

竹原 間の部分は個々の患者さんによっても違うということですね。

天野 手術する環境や自分のコンディションによっても違います。それに,最初から正確な動画のように記憶してしまうと,異なる状況に出合ったときに変えようがない。医学では抽象化したイメージでつかんでおくことが大事です。

その手術を自分が行う必然性はあるか?

竹原 知識と手技を学んでいけば,手術を経験できるチャンスはくるのですか。

天野 手術を任せられる大原則は,患者さんのことを最もよく知り,「予後を向上させる」という熱い思いを持ち,最低限その患者さんの予後を変えない治療を完遂できる技術と経験を持つことです。その治療をその医師が行う必然性を患者さんが認めてくれれば手術のチャンスはあります。

竹原 外科医としての経験年数とは関係ないのですか。

天野 関係ないと思ってやってきました。私の考える術者に求められる要件とは,「その医師がやったほうがいい手術なのか」「その手術にその医師が関与すれば良い結果を生むか」のどちらかです。だから,若い医師でも“自分が手術すべき”という説得力ある理由があれば,いくらでもチャンスを与えます。

 ただ自分が最もよい治療だと判断しても,それが間違っていることもあるわけです。失敗はそのまま患者さんの命にかかわります。当然同じ過ちを繰り返すことは許されないし,手術を行うには自分の命を賭けるぐらいの覚悟が必要なんです。

 でも最近は,私を超えるぐらいの強い気持ちを持った若者には出会っていないかな。

竹原 実際は決意を持った若手は少なくないと思います。

天野 アピールが少ないのかもしれないけど,出し方も下手ですよ(笑)。

 私が現役を終えるときは,それこそ私自身がやってきたことを革新的な考えと技術で斬り捨ててほしいと思っています。その前には,「誰が手術を行うか」という闘いがもちろんありますから,自分で手術場を奪い取れるような若手が出てきたらいいですね。

量でも質でもなく「濃さ」が重要

竹原 外科手技の上達のためには,十分な症例数が必要だと思います。欧米では専門医に定員があり,研修医数も絞られています。一方,日本では診療科の選択が自由にできるシステムであり,志望者が増えるとトレーニングの場が失われることが考えられます。

天野 個人的には,外科は相撲部屋に近いと思っています。つまり,全員が関取になれるわけじゃないけど,ある程度の人数が入門してくれないと体制そのものが維持できない。また,入るからには全員に頂点をめざしてほしいのです。自分たちのなかからイチローのような一流の選手が1人生まれて満足するのではなく,「次は俺だ」と思えるような環境が外科研修には合っていると思います。

竹原 お互いに刺激し合うことで,集団として高まっていくのですね。

天野 そう。だから外科を選択したことには迷わない。特に心臓外科の領域は,何があっても心臓外科一本でいくという覚悟を決めないと駄目。「絆」という言葉がいまよく使われるけど,そういう見えない糸でチームが結ばれている状況でないと,最後のところで患者さんを救えないんです。

竹原 選択できる科が多いと,どうしても迷ってしまいます。

天野 どの科でも入れるけど,その科で一人前と認知されるかどうかは別の問題です。どこに行っても通用する腕になるまでスキルを積んで,初めて医師の質の担保につながります。それは世界共通で,日本だけが特殊なわけではありません。

竹原 技術を高めるためには,症例を多く経験する必要もあると思います。

天野 私が一人前になるまでの過程で経験した症例数は,決して多くはない。心臓外科の研修医個人が1年間に対応すべき患者は,せいぜい200例です。代わりに,いつ,どんな手術をして,術後に何があって,家族はどういう人か,といった患者のすべてを頭のなかに入れることが重要です。

竹原 量より質ということですか。

天野 質というより,1例を5例に伸ばすような「濃さ」ですね。1例経験したときに,「病変のここが違ったら手術はどう変わるか」といったことを文献で調べ,1人の患者さんからいくつものパターンを自分のなかに取り込む努力を私は一生懸命してきました。

竹原 経験を積むために,症例の多い海外へ留学するという道は,どうお考えですか。

天野 私は留学をしなかったのですが,日本語で教えてもらってよかったと感じています。もし同じことを海外で経験したとしても,“わび・さび”まで感じ取れないレベルの語学力だったら,おそらく同じ技術は身につかなかった。

竹原 深いニュアンスまで理解できる言語で学ぶことが大切なのですね。

天野 外科は技術とアウトカムがすべてですが,研修医レベルであればまずコミュニケーションを自分の芯にするのがいいと思います。自分を熱くできる環境に身を置くことが大事で,それには日本人であれば日本に関係することがいちばん簡単だと思います。そこで受けた刺激から,次の段階を考えればいいのです。

「大発見」を掘り下げる楽しみ

竹原 手技の面では,かなり以前に確立された手術法が今でも通用し,新たに生まれる術式はほとんどデバイスの改良によるものだと思います。アプローチが根本的に違うような術式は近年出ていないと感じるのですが,そのような新たな手技はもう生まれないのでしょうか。

天野 現在では臓器はもちろん,既にゲノムまでほぼ解明されているので,新しい画期的な手術はおそらくもう誕生しないでしょう。よく医学生に伝えることですが,これから医療のなかで出くわすことは「大発見」と思っても,過去に絶対誰かが見つけているものです。あえて言えば,論文になっているかどうかの違いだけ。

 日本の近代医学の祖というと緒方洪庵の名前が挙がり,同時期に順天堂を興した佐藤泰然の名はあまり出ないでしょう。おそらくこれは,緒方洪庵については福沢諭吉などの門下生が多くの記録を残したのに対し,外科医の佐藤泰然の行ったことは実学であり,記録が残っていないことに由来すると考えています。

竹原 記録として世の中に残すことが大切なのですね。

天野 ただ,歴史でも現代史にはいろいろな解釈があるように,医学でも新しい知見にはいつも解釈の違いがつきまといます。例えば一時期,心筋保護には冷却と高カリウムがよいと言われていましたが,今では冷やし過ぎるのはもちろん,カリウムも高すぎるのはよくないと,有名な教授が発表した結論でも全く変わってしまいました。

竹原 医学の常識が,時に大きく覆る楽しみみたいなものもあります。

天野 それもあるし,自分が大発見だと思っても掘り下げた結果,「なんだ,こんな昔に見つかってるんだ!」とわかったときもまた楽しいものです。その掘り下げていく手間を惜しまないことが大事ですね。

外科医の辞め時

竹原 医師として生涯現役で働きたいと思っています。一方で,外科医は視力や体力・気力の面で,術者でいられる期間は短いのではないか,と感じることがあります。

天野 外科医の寿命は,自身のアシストデバイスをどれだけ持てるかにかかっています。私が医師になったころは,拡大鏡もヘッドランプもあまり使われておらず心臓外科医は50代になると老眼で駄目だと考えられていたのが,いまは少なくとも10年は延びました。また以前,ビデオ画面を活用して自分の目の衰えを克服した,60代の外科医にも会ったことがあります。

竹原 なるほど。現代のテクノロジーが外科医の寿命を延ばしたのですね。

天野 私自身も40代の半ばから老眼が出てきて,手術中も「見えにくい」「暗い」という状況となりとても定年まではできないと思っていたら,いま使っている二重焦点のコンタクトレンズに出合いました。

 生涯現役でいたいのなら,周りの人たちがあきらめたり挫折した理由を知って,自分はその道に入り込まない努力が必要です。ただ医師には社会的な義務があり,また人の命を扱うことを考えるとそれだけ責任の重さがあることも忘れないでほしい。

竹原 何かあったときのリスクは確かに大きいです。

天野 だから必ずどこかで退き際があります。現役とは,おそらく自分が「これなら納得」という仕事ができている限りの間なのだと思います。王貞治さんは引退した年でもホームランを30本打っていたけど,「自分のホームランじゃなくなったから」と引退した。そういう退き方もあるわけです。

声を掛け,手を引こう

竹原 最後に,医学生,研修医に向けてメッセージをお願いします。

天野 医学生・研修医時代というのは,患者さんに限らず誰にでも自分から声を掛け,困っている人がいたら手を引くことを,日常動作としてできるようにすべき時期だと考えています。というのも,最近の医学生は受験などの競争を勝ち抜くなかで,“自分さえよければいい”という意識を心のどこかに持っていると感じられるからです。

竹原 他者に対するかかわり方に人間性が表れるのですね。

天野 だから,例えば電車で座っていて1つ向こう,可能なら2つ向こうのドアまで,お年寄りが乗ってきたら手を引いて自分の座席に座らせてほしい。そういうことはあまり教育されないけど,それができたら必ず臨床現場で役に立ちます。私自身,若いころに会得できていたら,もう少し早くいろいろなことに気付くことができたでしょう。

 そこから始まって,弱者だけでなく周囲の皆をいたわれるようになってほしい。そういうことが自然に振る舞えるようになると,これからの医師の在り方も変わってくると思いますね。

インタビューを終えて

 心臓血管外科医として世界のトップを走る天野先生は,患者の治療への使命感に燃える熱い先生でした。やみくもに多くの症例を診るのではなく,1つひとつの出会いを大切にし,多角的に学ぶことにより,一人の患者から何例にも値する学びができることを教えていただきました。先生はメモをせずに,瞬間瞬間に記憶することを反復して学んだそうです。そして常に患者が良くなることを考えて試行錯誤しながら,知識と経験を統合させていったとのこと。悩んだときは医学以外の分野から解決のヒントを探すと良いそうです。

 若いドクターに対しては,自分の情熱を最大に注げる分野を選択し,トップをめざし,妥協しないで切磋琢磨することをメッセージとしていただきました。確固たる努力に裏打ちされた,先生の心臓血管外科医としての自信を感じることのできたインタビューとなりました。

(竹原朋宏)

(了)


天野篤氏
1983年日大医学部卒。関東逓信病院(現NTT東日本関東病院)で初期研修後,亀田総合病院心臓血管外科で心臓外科を学ぶ。新東京病院心臓血管外科部長,昭和大横浜市北部病院教授を経て,2002年より現職。冠動脈バイパス手術のスペシャリストとして知られ,これまでの総手術数は6000件に迫る。米国胸部外科学会正会員。日本心臓血管外科学会評議員,日本胸部外科学会評議員。