医学界新聞

連載

2011.09.12

ノエル先生と考える日本の医学教育

【第17回】 ワーク・ライフ・バランス(3)

ゴードン・ノエル(オレゴン健康科学大学 内科教授)
大滝純司(東京医科大学 医学教育学講座教授)
松村真司(松村医院院長)

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2936号よりつづく

 わが国の医学教育は大きな転換期を迎えています。医療安全への関心が高まり,プライマリ・ケアを主体とした教育に注目が集まる一方で,よりよい医療に向けて試行錯誤が続いている状況です。

 本連載では,各国の医学教育に造詣が深く,また日本の医学教育のさまざまな問題について関心を持たれているゴードン・ノエル先生と,マクロの問題からミクロの問題まで,医学教育にまつわるさまざまな課題を取り上げていきます。


前回のあらすじ:米国では医師の労働への意識は昔と大きく変化し,バランスのとれた生き方を選ぶ医師が評価されるようになった。

松村 第14回(2928号)で述べたように,米国の研修医の勤務時間は平均週80時間以内,また連続勤務も最大30時間以内に制限されてきました。この制限は日本における医師の標準的な労働時間(MEMO)からすればかなり厳しいものだと感じます。

 米国では,なぜこういった制限が設けられることになったのでしょうか。

MEMO
 2003-04年に筑波大学の前野哲博氏らが行った調査によると,日本の1-2年目の研修医の勤務時間は平均週74時間。研修医の3人に1人は週80時間以上,15%は週90時間以上働いていた。労働基準法は雇用者の労働時間を週40時間と定めているが,実態では遵守されていない。

ノエル かつての米国の臨床研修時間は,19世紀末の英国の習慣に倣って決められていました。当時の英国では臨床研修を受ける医師は少なく,大学病院の正式な臨床研修を受ける医師はそこに住み込んで働くものとされていました。「レジデント(住み込みの者)」という呼び名はそこからきています。つまり,研修中の医師は病院に住み,病院で食事をし,非番のときも病院で過ごしました。洗濯は病院側が行い,休憩のとれる談話室が用意されていました。しかし,給与はごくわずか,もしくは無給でした。

 その後も第二次世界大戦以前は,2年以上研修を受ける医師はごくわずかで,ほぼすべての医師は1年間の研修の後,総合医(general practitioner)になっていました。1940年代終盤から1950年代になると,外科,内科,小児科,産婦人科などの専門医を志望する医師が増えてきましたが,病院に住み込んで研修するという伝統は続いていました。この時代に研修を受けた医師は,研修が修了するまで結婚は控えるものとされ,週1日の休日と年に一度の休暇を除いては,常に病院にいて患者を診療していたのです。

疲れ果てた研修医の医療過誤が勤務制限を導入させた

ノエル 1990年代に勤務時間制限が施行されるまで,研修医の勤務時間に上限は存在しませんでした。コロンビア大学の研修病院であるプレスビテリアン病院で私が研修したのは1967-70年ですが,3日に一度当直があり,週末にも3週間ごとに当直がまわってきました。つまり,平日では30-36時間連続で働く日が3日ごとに来ていたことになります。週末の当直の場合,土曜の朝7時に病院に着き,月曜の朝まで大規模な入院病棟を3つ担当しました。数時間の睡眠を挟み60時間連続して勤務することもしばしばでした。ジョンズ・ホプキンス大学病院では,インターン(1年目研修医)は年間を通して病院に常駐し,新患を受け入れながら昼夜を問わず自分の患者を診ることになっていました。この勤務形態は1年間続きました。

 週80時間の勤務制限は,ある有名な事件が契機となって導入されました。ニューヨーク市のある研修病院で,若い女性患者が向精神薬と違法な薬物を同時に服用していることを,疲れ果てた担当研修医が見落としたのです。この医療過誤がもとで患者は死亡。その後,事件が新聞紙上で大きく取り上げられ,救急病棟,手術室,入院病棟を担当する医師が,週に120-130時間も働いて過労になっているという実態が明らかになったのです。

 医師は自らACGME(卒後医学教育認可評議会)を通じて勤務制限を義務付けることで,連邦政府が医師の臨床研修制度に介入することを防いでいます。こうした自主規制は「医師の労働時間は週80時間でも安全とは言いがたい」という世論を受け何度か改定されてきました。なお,睡眠なしで働き続けることが害をなす可能性のある他の職種(航空機のパイロットや長距離トラックの運転手など)では,連邦政府から週40-50時間に労働時間を制限する規制を受けています。

ますます進む欧米の勤務制限

松村 こうした勤務制限については,ヨーロッパ諸国でも同じ動きがあるのでしょうか。

ノエル ヨーロッパ諸国における労働時間の規制は,米国やカナダよりはるかに厳しいものとなっています。あらゆる職種の労働時間について,世界で"パラダイム・シフト"が徐々に起こってきていると言えるかもしれません。

 ヨーロッパでは,既に多くの国で週間労働時間がかなり短縮されています。最近,フランス政府が「労働者はもっと働くべき」と宣言したとき,フランス国民がストライキを行ったことを覚えている読者も多いかもしれません。労働時間の短縮が最も進んでいるフランスでは,現在の法定労働時間は週35時間で年6週間の休暇が平均的とされています。この規制対象には医療業界も含まれます。ヨーロッパの多くの国で研修医を含む医師の労働時間はわずか週40時間と定められています。研修医の団体がもっと長時間の労働を認めるよう政府に陳情した例もあります。その背景には患者の診療が終わらないのに職場を離れなければならず,経験する症例があまりにも少なくなる懸念があったのです。

 米国の研修医の勤務制限は,今年7月1日付でさらに厳しく改定されました。レジデントの連続勤務時間は,特別な場合を除いて24時間以内とされた一方で,インターンは1回のシフトで連続16時間を超えて勤務することは禁止となりました。インターンの勤務制限はInstitute of Medicine(IOM;米国医学研究所)からの外圧によるものです。IOMが研修医教育を調査したところ,年齢が若く経験の少ない医師,つまりインターンは疲れ果てるまで働くとミスをおかしやすくなり,インターン自身にも問題が生じやすい傾向がわかったのです。

 この改定を受け,米国のすべての研修教育プログラムは当直スケジュールを見直すこととなりました。オレゴン健康科学大学では,内科インターンは年5-6週間の"night float"ローテーションのとき以外は夜間当直を行わず,2-3年目の研修医の夜間当直もほとんどなくなりました。

勤務制限が医療界に及ぼした影響とは

松村 しかし研修医の労働時間を減らしたら,誰かがその穴を埋めなくてはなりませんよね。制限実施の後,どのようなことが起こったのでしょうか。ノエル まさに私たち医療者が心配したことが起こりました。20世紀の「長時間勤務は当たり前」という労働規範から大きく変化したことがいくつかあります。

 1点目は,研修医の労働時間の短縮が他の多くの医師にも波及したことです。各科での診療も,例えば1回12時間のシフトを月に約13回担当(160時間/月)するホスピタリストや救急医と同じようなシフト勤務に置き換わってきています。また,多くの男性・女性医師が自分の子どもの世話を分担するため,フルタイムより勤務時間を減らして働くようになりました。

 2点目は,研修病院に研修医という安い労働力へ患者ケアを頼ること(研修プログラムの管理を担当している友人は,それを安い労働力への"依存症"と呼んでいます)を放棄させたことです。米国の研修病院は,健康保険の適用範囲が限られている患者や無保険者に対する,言わば"割に合わない"ケアを担っています。病院は賃金の高いスタッフドクターやフィジシャンアシスタントの代わりに,週80時間労働の研修医にこれらの患者へのケアを頼ってきました。

 勤務制限の開始当初,病院は研修医に対して,規制された時間内で同じ量の仕事をすることを単純に求めました。しかしそれは,研修医の生活をさらに過密にしただけでした。研修医の勤務制限が厳しくなり,治療する患者数が増えるにつれ,病院は熟練した医師,そして時にはナースプラクティショナーやフィジシャンアシスタントを雇い,研修医が担当できなくなった患者の治療に当たらせることを余儀なくされたのです。

 おおまかな参考例ですが,米国の研修医の年収は週80時間で年間48-49週の勤務に対し,約4万5千ドルです。一方,同じ労働のために雇用されたホスピタリストの年収は,週84時間,年間26週の労働で約16万ドルです。つまり,プロの医師の労働力は研修医の6-8倍も高いのです。

松村 勤務時間の制限を実施した後に,研修システムと病院の経営管理は確実に変化したのですね。こうした経営方針の変化を一般の人々は支持しているのでしょうか。

ノエル 多くの一般国民は,医師がどのような訓練を受けていてどれだけの時間働いているのか,あるいはどのような指導監督の下にあるのかを知りません。世論が巻き起こるのは何か国民生活によくないことが起きたときだけです。米国では医師という専門職自身が一般の人々と研修医の双方の安全を守るために自主規制を行っています。

 20世紀の労働規範が,研修の質を重視し,患者を疲弊した研修医や医師から守り,女性医師にも充実したキャリアと家庭の両立をもたらす新しい労働の在り方というパラダイムに取って代わるのに伴い,多くの医療者は研修医の教育がさらに変化すると感じています。医療費削減への強いプレッシャーもあるため,それがさらに医療を変えていくことでしょう。

つづく

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