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第2931号 2011年6月6日


高齢者を包括的に診る
老年医学のエッセンス

【その6】
A Gift from God ?――高齢者認知症

大蔵暢(医療法人社団愛和会 馬事公苑クリニック)


前回よりつづく

 高齢化が急速に進む日本社会。慢性疾患や老年症候群が複雑に絡み合って虚弱化した高齢者の診療には,幅広い知識と臨床推論能力,患者や家族とのコミュニケーション能力,さらにはチーム医療におけるリーダーシップなど,医師としての総合力が求められます。不可逆的な「老衰」プロセスをたどる高齢者の身体を継続的・包括的に評価し,より楽しく充実した毎日を過ごせるようマネジメントする――そんな老年医学の魅力を,本連載でお伝えしていきます。


症例】 89歳の高齢女性Nさんが,姪を自称する中年女性2人に付き添われて筆者の外来を受診した。Nさんは3年前に夫を亡くして以来1人で暮らしている。子どもはいない。1年前に某大学病院の物忘れ外来でアルツハイマー型認知症の診断を受けて以来,同外来でアリセプト®の処方を受けている。

 姪たちは最近,Nさんに「物を盗られた」「誰かが侵入してくる」といった言動が増えてきたことを心配し,以前「要支援1」と認定された介護度の再評価を切望している。現在は,毎日交互に電話してNさんの無事を確認している状況である。

社会問題としての認知症

 高齢者に多い認知症は,人間が日常生活を送る上で最も重要な臓器である「脳」の病気である。記憶能力(物忘れ)をはじめとして計算・言語・判断能力などの認知機能が侵され,これらによる症状は中核症状と呼ばれる。また認知症の進行とともに妄想や幻覚・うつ症状・徘徊などの周辺症状も出現し,患者本人だけでなく家族を含めた周囲の生活に多大な影響を及ぼす。認知症やその周辺症状により引き起こされる問題は,医療や介護のシステムにとって大きな負担となり,今や社会全体の問題になりつつある。

 認知症のなかで最も有名なのは,脳神経変性疾患の一つであるアルツハイマー病で,1906年にドイツの精神医学者であるアルツハイマー博士によって初めて報告された。ほかにもパーキンソン病と関係があるレビー小体病や,言語や人格異常が問題となる前頭側頭葉型認知症などがある。地域の高齢認知症患者の多くがアルツハイマー病であり,若年者や珍しい疾患,重症例が集まる大病院の専門外来とは疾患頻度が異なることは想像に難くない(J Alzheimers Dis. 2009[PMID: 19749406])。

症例続き】 高血圧や糖尿病などの慢性疾患がないNさんだが,包括的高齢者評価の結果,難聴,低体重(BMI:18.5),歩行バランス不良,認知機能障害(MMSEスコア16/30点),老年期うつ症状(GDSスコア6/15点)など多くの老年症候群を伴う虚弱高齢者であることがわかった。ADLやIADLは一見自立のように見えたが,処方された薬は服用しておらず,得意だった料理も最近ではほとんどせずに惣菜で済ませることが多いらしい。日用品の買い物も,毎回紙幣を出してお釣りをもらってくるためか,財布はいつも小銭であふれている。

認知症診療における積極性と消極性

 今も昔も認知症の診断は,「年齢による生理的低下以上の認知機能障害と日常生活における障害との関連付け」といった比較的単純な,しかし時に困難な作業である。近年,MRIやSPECT(単一光子放射断層撮影)をはじめとする神経画像検査や脳脊髄液の遺伝子解析などの最新検査技術に,認知症の早期発見や原疾患の鑑別能力の向上が期待されている。しかし原疾患によって治療が大きく異なることはなく,そもそも治療効果が小さい認知症治療の現状では,特に高齢認知症患者がそれらの最先端医療の恩恵を受けるとは考えにくい。尿失禁や歩行障害が多い虚弱高齢者においては,脳実質が萎縮し2次的に脳室が拡大していることが多く正常圧水頭症の診断は困難である。また,慢性疾患管理による2次予防以外の対策に乏しい陳旧性脳血管障害の画像診断の有用性も,懐疑的である。

 一方,ビタミンB12欠乏症や甲状腺機能低下症,抗コリン作用を含む薬剤性認知機能低下などの可逆性の認知機能障害に対しては積極的に診断,治療を行うべきである。老年期うつを疑った場合も,積極的に薬物・非薬物治療を行い診断的治療を試みたい。

症例続き】 診察後,姪たちとNさんのケアについて相談した。中等度の認知症を伴う独居虚弱高齢者であるNさんの,家庭内外の事故や日常生活の遂行障害が心配されたため,介護保険の再認定評価を行うよう勧めた。併せて難聴や食生活,服薬状況の評価と治療,およびデイケアやリハビリの増量を検討するよう勧めた。最後に社会的なサポートが非常に乏しい現状を重視して,介護付老人ホームへの転居も一考に値するとの見解を述べた。

 それから約2か月後,要介護1の認定を受けたNさんが,老人ホーム入居時の健康診断のため筆者の外来を再受診した。

認知症治療の現状と将来性

 アルツハイマー病をはじめとする神経変性性認知症は,不可逆的にゆっくりと進行していく。日本では現時点でアルツハイマー型認知症の治療薬としてドネペジル(アリセプト®)とガランタミン(レミニール®),メマンチン(メマリー®),リバスチグミン(イクセロン®,リバスタッチ®)の4剤が承認されているが,エビデンス上も筆者の経験でもそれらの治療効果は「極めて控えめ」と言わざるを得ない。

 が示すように,認知症症状が出現する数年~十数年前から脳神経レベルでの変性が既に始まっており,認知症が診断されるころには相当数の神経細胞が機能不全に陥っている。残存神経細胞間の情報伝達の改善を期待する従来の治療法に限界があるのは明白である。最近では神経変性を防止する,また治療する薬物が開発途上にあるが,それらの製品化にはもう少し時間がかかりそうである。

 認知症患者の症状とバイオマーカーの変化
Lancet Neurol. 2010 [PMID: 20083042]より改変。認知症症状や機能障害が出現する数年~十数年前(認知機能が正常な時期)から,脳内ではアミロイド物質の沈着やTau蛋白による神経障害が始まっている。

高齢者総合診療としての認知症診療

 さまざまな病気のなかで,認知症ほど患者自身や周囲の生活に影響を与える病気はないだろう。進行とともにADLやIADLなどの日常生活動作が障害され,生活にかかわる情報収集や判断が困難になるため,特にお金や健康に関する方針は早めに相談しておくことが望ましい。妄想や幻覚,徘徊などの周辺症状は家庭内外の事故のリスクと直結するため見守り量の増加は必須であり,社会的サポート量に応じて適切な住環境を検討すべきである。

 以上のような理由から,従来の「診察と検査で病気を診断し,治療薬を処方する」だけの診療モデルは,認知症診療には不十分である。現時点での認知機能と身体機能が日々の生活にどのような障害をもたらしているかを分析し,他職種との連携や地域社会資源の利用を通して,患者の日々の安全と幸福の最大化に尽力する「高齢者総合診療」が必要なのである。

認知症=A Gift from God?

 老年医学を志した筆者がより真摯な態度で高齢患者に向き合うようになって初めて気付いたことがある。それは「多くの虚弱高齢者は程度の違いこそあれ,日々自身の身体の老化や生きがいの欠如を嘆き,孤独や差別,経済難に悩み,近づいてくる死への恐怖と戦っている」ことである。そのような人たちを見ていると,「認知症になることでそれらの苦悩から解放されるのでは……」「虚弱高齢者の認知症は治療できない,いや,治療してはいけないのではないか……」と独善的な妄想が頭をよぎる。

 高齢認知症患者に本当に必要なのは治療薬よりむしろ,彼らの安全や快楽,尊厳を維持しつつ人生の最終章を迎えることのできる優しい地域社会なのではないだろうか。未曾有の高齢化社会を突き進む日本では震災よりずっと前から,そしてこれからも「日本人の団結力」が求められているのだ。

つづく

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