言語について(1)(田中和豊)
連載
2010.11.08
連載 臨床医学航海術 第58回 言語について(1) 田中和豊(済生会福岡総合病院臨床教育部部長) |
(前回よりつづく)
臨床医学は疾風怒濤の海。この大海原を安全に航海するためには卓越した航海術が必要となる。
本連載では,この臨床医学航海術の土台となる「人間としての基礎的技能」を示すことにする。もっとも,これらの技能は,臨床医学に限らず人生という大海原の航海術なのかもしれないが……。
前々回,前回と,人間としての基礎的技能の5番目である「言語発表力-話す,プレゼンテーション力」について考えた。ここでこれまでに考えてきた5つの人間としての基礎的技能,すなわち(1)読解力-読む,(2)記述力-書く,(3)視覚認識力-みる,(4)聴覚理解力-きく,(5)言語発表力-話す,プレゼンテーション力を振り返ってみると,(3)視覚認識力-みる以外はすべて言語能力であることに気付くだろう。
12の人間としての基礎的技能(表)のうち,これまでみてきた5つのうちの4つが言語能力であることを考えると,人間の技能の中でいかに言語能力が重要かよくわかる。この言語能力こそ,人間が他の動物と比べて絶大な知識と知能を発達させた要因の一つであり,これを切磋琢磨することが知能の発展につながると言える。
表 人間としての基礎的技能 | |
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そこで今回は言語について,特に言語能力を上達させる方法について考えることにする。
言語能力
言語能力を最大限に発展させるためにはどのようにしたらよいのであろうか? この問題を考えるために,心理学や教育学の教科書に必ず載っている「アベロンの野生児」と「狼に育てられた少女」の話を考える。フランスの「アベロンの野生児」とインドの「狼に育てられた少女」はともに人間に育てられずに育った人間の子どもである。この子どもたちは共通点として,発見時に言語を持たずに,四足歩行し,服を着たり手で食事をしたりするなどの人間的な習慣がなく,そして,性格は喜怒哀楽がなく自閉的であったという。どちらの子どもも発見後,人間性を取り戻すために徹底的に幼児教育が行われたが,発見時の状態からほとんど発達することはなかったという。
これらの貴重な症例報告から,言語習得に限らず人間的な習慣は幼少期の適切な時期を逃すと,それ以後にどんなに努力しても習得不可能になってしまうということがわかる。
したがって,一般的に心理学と教育学では小説『ターザン』のような話はありえないということになっている。『ターザン』とは,1912年にE. R.バローズが発表した小説で,現在までに何回も映画化や漫画化されている物語である。この物語では,船で難破して両親を亡くし,アフリカで類人猿に育てられたイギリス貴族の息子ターザンが成人してジャングルの王者となる。その後ターザンは人間と出会い,人間の言語および習慣を速やかに習得して,人間の女性と恋に落ちるのである。
このように言語能力を習得するためには,幼児期に適切な教育が不可欠であることがわかった。それでは,その習得した言語能力を最大限に発展させるにはどうすればよいのであろうか? それは,当たり前だが最適の方法で適切な量と質を伴うトレーニングを一生行うことである。われわれには無意識のうちに「国語=学校の教科=学生が勉強するもの」という図式が存在する。しかし今まで本連載で考えてきたように,言語能力の発展は学生時代だけでは成し遂げられないほどの至難の業である。したがって,生きている限り言語能力を研ぎ澄ますために努力し続けることだけが,言語能力発展へつながると言えそうである。
基本的臨床技能
人間としての基礎的技能の中で言語能力が大きな位置を占め,そして,その言語能力は幼少期に習得しないと一生習得不可能なことがわかった。それではここで同様に臨床医の技能である基本的臨床技能について考えてみよう。
筆者は現在,臨床研修指定病院で研修医を指導しているなかで,臨床医の基本的技能について思うことがある。それは,「臨床医としての基本的技能は,人間の言語能力と同じように,医師としての幼少期にあたる初期臨床研修期間に習得しなければ,その後の習得は困難なのではないか……」ということである。これはあくまでも筆者個人の仮説である。
ただしここで言う基本的臨床能力とは,患者の主訴から始まって,問診・診察・検査・診断・治療・マネジメントという一連の医師の初期診療能力のことを言う。紹介患者などですでに診断がついている患者の治療やマネジメントなどの2次的診療能力のことではない。
2004年度から新医師臨床研修制度が始まってすべての医師が臨床研修を受けることになった。これは好ましいことであるが,新医師臨床研修制度になってから研修が単なる「見学」に終わってしまっているプログラムが多くなったような気がする。現在では研修医が診療ミスをおかすとすぐに新聞沙汰になるためか,指導医に研修医を監督する能力がないためか,それとも,指導医に研修医を監督する能力が仮にあったとしても物理的に研修医を24時間監督できる体制がないためか,研修を単なる「見学」にとどめている施設があるらしい。このような施設では研修医は学生とほぼ同じような実習しか受けていないのである。また,当直などほとんどないし,仮にあったとしても研修医が主体になって診療を行うのではなく,研修医は指導医の診療を横で「見学」するらしい。
あるとき,このような初期診療能力を伸ばす環境がない臨床研修指定病院で研修を修了した医師から,「もう一度イチから初期診療能力を身につけたい」と相談を受けたことがあった。しかし,医師としての幼児期である初期臨床研修期間を過ぎた者の再教育は,決して不可能とは言わないが,「アベロンの野生児」や「狼に育てられた少女」のように非常に難しいのではないかと筆者は感じている。このような個人的な感想をもらしたときに,ある研修医からは「ちゃんとしたプログラムで研修を受けられなかった人のための再教育プログラムもあっていいのではないか?」と言われたこともあった。確かにその通りである。そのような再教育プログラムをつくることも非常に重要であると筆者も考えている。
しかし,普通に初期研修を受ける研修医に初期診療能力を十分に習得させることもできていない現在,初期診療能力の再教育プログラムを構築する余裕など残念ながら一切ない。現段階では,初期研修医が充実した研修を2年間で行えるように,指導医,研修医共に努力を続けることで精一杯である。
(次回につづく)
この記事の連載
臨床医学航海術(終了)
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