医学界新聞

連載

2010.08.09

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第180回

米医療保険制度改革(8)
名を捨てて実を取った保険業界

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2889号よりつづく

 前回までのあらすじ:マサチューセッツ州上院補選の敗北で絶望視されていた医療保険制度改革が蘇るきっかけとなったのは,カリフォルニアの保険会社による保険料大幅値上げ事件だった。


 一度は絶望視された医療保険制度改革法の成立をめざし,オバマは,民主党内(特に下院)の票のとりまとめに励むとともに,国民に改革の必要性と正当性を説くため,大統領選挙当時を彷彿とさせる「遊説」を開始した。

投票当日まで続いた票のとりまとめ

 下院での法案議決まで数日と迫った3月15日,オバマは,オハイオ州ストロングズビルを訪れた。ストロングズビルが遊説先に選ばれた理由は二つあったが,その第一は,保険料大幅値上げの「被害者」ナトマ・キャンフィールド(50歳)が住む市であることにあった。キャンフィールドは,遊説3か月前の2009年12月,「保険料が4割値上げされたせいで,長年加入していた医療保険を継続できなくなった」と,窮状を訴える手紙をホワイトハウスに書き送っていた。オバマは,「保険会社の横暴をやめさせなければならない」とする演説をするたびに彼女の手紙を「実例」として引用するようになっていたが,「最終決戦」とも言うべき下院での投票を目前とした大切な時期の遊説を盛り上げるために,キャンフィールドに,演説会場での紹介役を依頼していたのだった。

 しかし,遊説当日,オバマの紹介役を務めたのは,キャンフィールドではなく,妹のコニー・アームストロングだった。オバマの来訪直前に白血病を診断され,入院する羽目となっていたからだった。「保険料大幅値上げのせいでただ保険が継続できなくなっただけでなく,直後に白血病を診断された」キャンフィールドの「不運」は,オバマと民主党にとって,「保険会社の横暴をやめさせなければならない」とする主張の正当性を際立たせる格好の「証拠」となったのだった。

 ストロングズビルが遊説先に選ばれた理由の第二は,下院民主党最左派のデニス・クシニッチの地元であることだった。クシニッチは「オバマの改革案はpublic optionsが省かれてしまったし,『改革』の名に値しない。リベラルとしては承服しがたい」と下院での議決に反対票を投じることを表明していたが,オバマはオハイオに向かう大統領専用機「エアフォース・ワン」にクシニッチを招き,賛成票を投じるよう説得に努めたのである。果たして,機内での説得が奏功,オバマは最左派クシニッチの票を確保することに成功した。

 しかし,下院での改革法可決を確かなものとするためには,最左派だけでなく,右派の票も確保しなければならなかった。票とりまとめの最後の「仕上げ」となったのは,中絶に反対するプロライフ派議員の説得だったが,彼らの賛成票を確保したのは,3月21日,下院での投票当日のことだった。果たして投票結果は賛成219 に対し反対212(註1)。オバマが政権の命運を賭した医療制度改革はわずか7票の僅差で成立したのだった。

消えたpublic options,オバマと保険会社の妥協点

 大統領就任以後,オバマは,ずっと「public optionsは絶対不可欠」とする立場を取り続けたのであるが,最終的に成立した法律は,public options が消えるなど,リベラル色が大幅に薄められた内容となった。しかし,「現実主義者」であるオバマとしては,ニクソンの医療制度改革に協力しなかったことを生涯悔やんだエドワード・ケネディの轍を踏むことは何としても避けなければならなかったし,完璧を期すことよりも,「改革を少しでも前に進める」ことを優先したのである。

 一方,オバマと民主党に,医療制度改革を蘇らせるために「悪役」扱いされる羽目となった保険会社であるが,改革の必要性を痛切に認識していたことについては,彼らも変わらなかった。なぜなら,無保険者が止めどなく増え続ける現状は,保険業界にとって「マーケットが縮小し続ける」ことを意味したし,何としても持続可能(sustainable)な制度へと変革しなければならなかったからである。90年代にクリントンの医療改革を潰したときと比べて姿勢を180度転換,改革の必要性を説くオバマに対し,当初から「協力する」姿勢を表明していたのである。

 しかし,改革に「協力」する(註2)とはいっても,保険会社としては,「マーケットの縮小」を意味するpublic optionsの導入だけは何としても阻止しなければならなかった。今回の改革の過程で,保険業界のロビイスト活動は熾烈を極めたと言われているが,彼らはpublic options を葬り去っただけでなく,国民に保険加入を義務づける新ルール導入にも成功,「マーケット拡大」への道を開く大きな戦果を手に入れた。法案成立の最終段階でオバマと民主党から「悪者」扱いされたのとは裏腹に,「名を捨てて実を取る」作戦がまんまと成功したのである。

 ここまで8回に渡って,セオドア・ルーズベルト以降,歴代大統領が1世紀以上成し遂げることができなかった医療保険制度改革をオバマが実現させた経緯を振り返ったが,本欄で何度も強調してきたように,米国の医療保険制度が立ちゆかなくなった(unsustainableとなった)根本の原因は,「民」を主体として制度を運営してきたことにあった。今回,リベラル派は,この根本原因を解消するべく「public options」の導入によって「民を減らして公を増やす」改革をめざしたのであるが,保険業界の反攻が奏功,逆に,「ますます民が増える」結果となったのだった。

この項おわり

註1:議決時の下院議席配分は民主党253に対し共和党178。共和党議員が全員反対票を投じたのとは対照的に,「寝返った」民主党議員は34人に上った。
註2:保険業界は,既往症を理由にした保険加入拒否禁止・保険加入後の保険取り消し禁止等の「規制強化」を受け入れた。

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