医学界新聞

連載

2009.03.30

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第148回

バラク・オバマのChange

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2822号よりつづく

医療重視が際立つオバマ政権,その根底にある原則は?

 バラク・オバマが米国第44代大統領に就任して7週が経った時点でこの原稿を書いている。ここまで,選挙公約に掲げた「Change」の中身が着々とその姿を現しつつあるが,特に際立っているのが「医療重視」の姿勢だ。

 例えば,景気刺激を目的として2月に成立した「アメリカ復興再投資法」,総額7870億ドル(約78兆7000億円)のうち医療関連投資が1477億ドルと5分の1近くを占めた。特に,低所得者用公的医療保険メディケイドに866億ドル,失職者の被用者医療保険継続(COBRA)支援に247億ドルを配し(註1),景気悪化で増加が予想される生活困窮者に対し,手厚い医療費支援を用意した。日本の患者・医療関係者にとって,「医療に投資し,生活困窮者の医療費を支援することが景気刺激につながる」とするオバマ政権の発想は,うらやましい限りではないだろうか?

 さらに2月末に発表された2010年度予算案では,無保険社会を解消するための財源として今後10年間,総額6340億ドルの基金を設立するという野心的プランが明らかにされた。基金設立の財源は二つ,その第一は政府関連医療費支出の削減(総額3160億ドル)だが,ここで最大の「ターゲット」とされているのが民間保険会社だ。オバマ政権は,「これまで高齢者医療保険メディケアの保険会社に対する支払いは過剰だった」とし,今後10年間で支払いを1770億ドル削減する計画なのである。第二の財源は年収25万ドル以上の富裕層に対する増税で,3180億ドルを見込んでいる。

 オバマ政権が医療重視の姿勢を示す根底にある原則は,1980年代のレーガン政権以降アメリカが歩んできた「小さな政府」路線からの訣別に他ならない。総額3兆6000億ドルに上る予算案はその象徴といってよいが,何よりも注目されなければならないのは富裕層に対する増税処置だ。オバマは「小さな政府路線の下,富める者はますます富み,貧しい者はますます貧しくなった。富の再分配を強め,格差を是正する」と,その理由を説明しているが,図に示したように,1980年代以降,アメリカで格差が拡大し続けてきたことは,ジニ係数(註2)のデータからも明らかである。この間の収入格差の拡大を「上位1%の高額所得者に対して,下位80%の人が,毎年1万ドルずつ献上してきた」と説明するのは,オバマ政権で経済担当補佐官を務めるローレンス・サマーズ(元ハーバード大学学長)だが,90年代後半以降,アメリカを上回るスピードで格差が拡大しているというのに「高額所得者に増税すると彼らの勤労意欲が削がれる」とする幼稚な論理(註3)が声高に叫ばれる国との違いを思ってため息が出るのは私だけだろうか?

 日米英3か国のジニ係数比較
日本は厚労省「平成17年所得再分配調査結果」,米国はUS Census Bureau,英国はInstitute for Fiscal Studiesのデータによった。日本が英米と共通のジニ係数計算法を採用するようになったのは1993年から。

 ちなみに,アメリカでレーガン政権,イギリスでサッチャー政権が「小さな政府」路線強化に励んだのは80年代のことだったが,日本が英米の真似をするかのように「小さな政府」路線を強め始めたのもこの時期だった。例えば,「小さな政府」を推奨する人々が好んで使う「国民負担率」なる言葉が初めて使われたのが1982年の土光臨調答申だったことは以前にも述べた通りであるが,「小さな政府」に邁進すると格差が拡大する現象は,図からも明らかなように日米英とも共通である。

「小さな政府」と「医療費抑制」

 さらに,ここで強調されなければならないのは,日本で,「小さな政府」路線が強化され始めたのと同時期に,「医療費抑制」の圧力が強まった事実である。現在の医師不足の根本原因となった医師数抑制の閣議決定がなされたのは1982年であった(註4)し,厚生省保険局長が「医療費亡国論」を発表したのは1983年だったのである。

 反対に,英米の例を見る限り,「小さな政府」路線からの訣別が行われるとき,医療を充実する方針が前面に打ち出される。例えば,イギリスでは労働党政権の下で格差是正が試みられてきたことは以前にも説明したとおりだが,1997年に首相となったブレアが「GDPの10%まで増やすことを目標に医療費を毎年6%以上増額する」と決めたのは2000年のことだったし,今回,オバマも「小さな政府」路線からの「Change」に当たって医療重視の姿勢を明確に打ち出している。

 私が,本欄で「『小さな政府』が亡ぼす日本の医療」と題する論考を執筆したのはちょうど1年前のことだったが,いまだに,日本の医療崩壊に歯止めがかかる兆しは見られない。目の前で医療崩壊が進行しているというのに,日本の政治家たちは,いったい,いつになったら「小さな政府」の迷妄から目覚めるのだろうか?

つづく

註1:COBRAは1986年に制定されたConsolidated Omnibus Budget Reconciliation Actの略。失職者が在職中の医療保険を継続することを可能とする制度だが,在職時の雇用主負担分も含め保険料が全額自己負担(在職時の数倍)となるため,利用者は少ない。アメリカ復興再投資法では,失職者が自動的に無保険となることを防ぐために,失職後最長9か月間,保険料の65%を政府が支払うことが決められた。
註2:所得分配の不平等度を図る指標。最小値0は格差がまったくない(誰もが等しい収入を得る)状態,最大値1は究極の格差(一個人が収入を独占,他の人はすべて無収入)とされている。
註3:私には「お小遣いを上げてくれなかったら勉強してあげない」とダダをこねる子供の論理と同じに聞こえてならない。
註4:まだ医師不足が顕著でなかった時代,医師数抑制の理由について「医師数が増えると医療費支出も増えるから」と私に説明したのは,元厚生省事務次官のK氏だった。

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