医学界新聞

連載

2009.02.02

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第144回

年の瀬に病院が混み合うようになった理由

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2814号よりつづく

 米国では,クリスマスから正月にかけて「休み」を取ることが慣習となっており,医療業界も例外ではなかった。しかし,最近は年の瀬ほど病院が混み合う傾向が顕著となり,医師たちにとって,年の瀬は,ゆっくり休みを取るどころか,いつもより忙しい時期へと変わりつつある。なぜ年の瀬に病院が混み合うようになったかというと,その原因は,最近米国医療保険制度に進行中の,ある「変化」にあるので,今回はその辺りの事情を説明しよう。

普及する「高額免責」型医療保険

 米国の医療費が止めどなく上昇していることは本連載で何度も触れてきた通りだが,例えば,被用者保険の保険料で見た場合,1999年には5791ドル(家族加入,年額平均)であったものが2008年には1万2680ドルと,わずか9年の間に倍以上に増えている。保険料の雇用者負担も1999年の4247ドルから2008年には9325ドルと凄まじい勢いで増え続け(註1),保険料負担が企業の経営を圧迫するまでになっている(註2)。

 雇用主負担を軽減するために,どの企業も被用者の自己負担分を上げることに躍起となっているが,自己負担増のための手段の一つとして最近試みられるようになったのが「高額免責(high deductible,以下HD)」型の医療保険である。Deductibleとは,一定額を全額自己負担した後でなければ保険給付が始まらない仕組みであるが,家族加入の場合,例えば4000ドルを全額自己負担した後でなければ保険給付を受けることができないようになっている。

 従業員にHD型の保険をオファーしている企業の割合は2005年の4%から2008年には13%と3倍以上に,そして被用者レベルでの加入率も2006年の4%から2008年には8%と倍増しているが,急増している理由の第一は保険料負担が小さいことにある。例えば,2008年のHMO型保険(註3)の平均保険料が1万3122ドルであるのに対し,HD型保険は1万121ドルと,2割以上安くなっている。第二の理由は節税ができることだが,2003年にHD型保険と連動した「医療費支払い用貯蓄口座(health saving account,以下HSA)」への貯蓄分を課税所得から控除することを可能とする法律が成立,HD型保険の普及を推し進めることになった。

Overuseへのインセンティブ

 HD型の保険を推奨する人々は,加入者のコスト意識が強くなり,「できれば医者や病院にかからずに済ませたい」というインセンティブが生じるようになるので医療費の節約にもつながるし,保険料も安いから無保険者の数を減らすことができると主張しているが,二つとも楽観的に過ぎる主張と言ってよいだろう。というのも,もともとdeductibleの枠内で済ませている世帯が費やす医療費は全医療費の4%にしか過ぎず,deductibleの枠内で一所懸命節約に励んだところで,全体の医療費が大きく減る結果は望み得ないからである。さらに保険料が2割安いとはいっても,もともとの所得が低かったり,雇用主が医療保険を提供していないような職場で働いたりしている場合,年額1万ドルの保険料を負担することは容易ではないし,節税したくともHSAの貯蓄に回す余裕などはじめからあるはずがないからである。

 さて,ここで注意しなければならないのは,HD型保険の場合,加入者のoveruseを防止するインセンティブが効くのはdeductibleを払わなければならない間だけに限られることである。というのも,ひとたびdeductibleを払い終えた後は,逆に「保険が払ってくれるのだから医療サービスを受けなければ損」と,overuseへのインセンティブが働くようになるからである。

 ここで,話をはじめに戻すが,通常,deductibleは年が変わるごとに更新されるため,「年が変わってしまうとまたdeductibleをはじめから払わなければならない。保険会社が払ってくれる間に高い手術や検査を受けておこう」と,年末に,「駆け込み」で待機手術・検査を受ける患者が急増,病院が混み合い,医師たちも大忙しとなっているのである。

 「師走」という言葉があるが,米国では年の瀬に,医師が病院の中を走り回らなければならないほど忙しくなる理由がおわかりいただけただろうか。

つづく

註1:以下,数字はKiser Family Foundation and Health Research & Educational Trust “Employer Health Benefits: 2008 Annual Survey”に拠った。
註2:本連載第62回および第136回でも触れたが,医療費負担が経営を圧迫している最たる例が,いま倒産の危機に瀕している米三大自動車メーカーである。
註3:Health Maintenance Organizationの略。保険会社が指定する医師・病院のネットワーク内での医療サービスは原則として保険でカバーされるが,ネットワーク外で受けた医療はカバーされず全額自己負担となる。

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