医学界新聞

連載

2007.10.22

 

看護のアジェンダ
 看護・医療界の“いま”を見つめ直し,読み解き,
 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。
〈第34回〉
事件は現場で起きているんだ

井部俊子
聖路加看護大学学長


前回よりつづく

 「事件は会議室で起きているんじゃない。現場で起きているんだ」と言われたとき鳥肌が立ちました,とAさんは語った。そのことにこのところずっととらわれ続けてきた彼女は,病院のリスクマネジャーを「フケイ(婦警)」のようだと表現した。私の頭の中でフケイという言葉が婦警という文字に変換されるのに,0.1秒くらいを要した。つまり,女刑事のようにふるまうリスクマネジャーにどう対処したらよいか悩んでいたという。

「情報なき本部」と「権限なき現場」の壁

 上記のフレーズは『踊る大捜査線に学ぶ組織論入門』(金井壽宏・田柳恵美子著,かんき出版,2005年)の第1章「組織のダイナミズム」の冒頭に出てくる。「現場と本部の間に横たわる絶望的なコミュニケーションの障壁というのが,『踊る大捜査線』の最も重要なモチーフである。“事件は現場で起きているんだ”という青島刑事の台詞は,犯人確保に踏み込むか否かのタイミングの判断をめぐって,現場で張り込む所轄の刑事と,会議室から指示を出す特捜本部との緊張関係が最高潮に達したシーンで叫ばれる」と説明される。

 ふだんの所轄業務とちがい,特捜本部の指揮下では,巨大な官僚機構の下で,現場に与えられた「権力」や「権限」の小ささが痛いほど実感される瞬間である。こうして,中央集権的でピラミッド型の組織になればなるほど,トップ(本部)からボトム(現場)までの距離は遠く隔たり,意思疎通に時間がかかる。事態の緊急性や例外性が高ければ高いほど,トップは判断に慎重になって現場に権限を委譲しきれず,現場を遠隔で監視しようとする傾向が強まり,「情報なき本部」と「権限なき現場」に「意思疎通の壁」が立ちはだかる。さらに,かつては現場を走り回っていた優秀な社員がひとたび現場を離れて本部に入れば,次第に現場感覚は失われ官僚的になっていくという。

 今夏,私が看護管理者研修のテキストに用いた『踊る大捜査線』は好評であった。病棟主任であるAさんの語る「現場」をひとつの現実として記述しよう。診療報酬の算定要件に関連してトップ(厚労省)ダウンで置かれた専任リスクマネジャー(看護師長)は,上司の副院長ばかりをみている。何かにつけ“アメリカでは”と言う。これをAさんは「上と外ばかりみている」と表現した。

 専任リスクマネジャーは多くのインシデント・リポートを持てあまし気味で,聞こえよがしに「まったくさ,またよ」と言う。「あなたができてなかったから,こうなったのよ」と見下したように報告書を指さす。スタッフは理不尽だと思いつつ「申し訳ありません」と応える。内心,誰にあやまっているんだ,あやまる相手がちがうんじゃないかと思いつつ,卑屈になる。以前に医療事故で刑事裁判になったとき,彼らは会議室にこもって“分析”に明け暮れしていて,みんなのところに“降りて”きて話をしなかった。当事者の近くにいたAさんは,この5年間彼らに対して怨念を持ち続けてきた。

スタッフの脅威となっては決していい仕事はできない

 各病棟のリスクマネジャーは病棟師長である。病棟師長は2つの病棟の管理を兼務している。その忙しさの象徴が,たまっているインシデント・リポートである。ナースステーションの隅にある回収箱から,インシデント・リポートの用紙が“しだれ桜”状態になっている。Aさんの病棟は書き終えたインシデント・リポートを師長に手渡すのではなく,マグネットで壁に張られたビニール袋に入れる。

 いずれにしても,リスクマネジャーはスタッフにとって二重の脅威であり,ミスをおこして自責の念にかられているスタッフへのサポート体制とはなっていない。Aさんは事情聴取を受けた体験から,院内のリスクマネジャーの当事者への対応はまるで刑事のようだと断言する。スタッフに怖がられ,疎まれるリスクマネジャーに決していい仕事はできない。

 さらに,『踊る大捜査線』ではこうも指摘している。「しかし,“現場主義の経営”とはトップがただ現場を回ればすむというほど簡単ではない」と。リスクマネジメントを成功させるには,しかしながら,院長が現場を歩き回り,リスクマネジャーが組織再生に向けて真に機能するしくみを作るための“権力”を発揮しなければならない。

つづく

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