医学界新聞

 

〔連載〕
感染症Up-to-date
ジュネーブの窓から

第13回 インドネシアの麻疹ワクチン接種キャンペーン

砂川富正(国立感染症研究所感染症情報センター)


前回よりつづく

 じりじりと熱い日差しが照りつける,インドネシア最南端に位置するNusa Tenggara Timur(NTTと現地では略)州の州都クパン市に降り立ったのは8月23日のことであった。NTT州は,クパン市のあるチモール島(東半分は東チモール国)をはじめ,多くの島々からなる地域で,この時期は乾期であるため一帯は著しく乾燥している。なぜ,筆者がNTT州にやってきたか――インドネシアでは,第3次となる全国一斉麻疹ワクチン接種キャンペーンがスマトラ島の6州およびNTT州で,8月29日-9月29日にかけて計画され,筆者は外部監視要員の一員として,ここに派遣されたのである。キャンペーンの準備・実施を監視というよりは,よりよいキャンペーンとなるように,WHOや中央政府等関係者の人々と「連絡」を取りながら,現場の人々と「相談」しながら,進めていく,というのが筆者らに与えられた役割であった。

キャンペーンの概要

 本キャンペーンは,NTT州では生後6か月-5歳未満の全小児が対象となる。麻疹ワクチンに加えて,経口ポリオワクチン(OPV)およびビタミンA(Vit.A)の同時投与も予定された。スマトラ島の6州では,麻疹ワクチン・OPVの接種,Vit.Aの投与に加えて,マラリア対策としての蚊帳の配布も同時に行われた。元々の部署が異なる事業を組み合わせて一つの活動として行うことが,地域の公衆衛生施策全体の効果を上げるために最近よく用いられる。今回のキャンペーンは,インドネシア全体では2006年4月から始まり,翌2007年8月まで5次にわたって続く。インドネシアでは,国家として以下のような麻疹ワクチン戦略のゴールを定めている(WHO等資料より一部改変)。

・定期接種の強化(生後9か月時,6歳時:2回接種)
・5歳以下の児を対象にした全国規模の補足的ワクチン接種キャンペーン
・学校単位の補足的ワクチン接種キャンペーン

 これらの活動の組み合わせによって,2回目の麻疹ワクチン接種機会(Second Opportunity)を与え,インドネシア全体の麻疹対策改善をめざすものである。しかし依然,インドネシアにおける麻疹アウトブレイク発生の情報に触れる機会は時々ある。NTT州のみにおいても,例えばスンバ島では2005年8月には1500人を越す規模の麻疹アウトブレイクが発生したとの情報を探知した。2005年のインドネシア全体のワクチン接種率は85.6%,NTT州では92.0%と報告された。本次のキャンペーンで,NTT州では約40万人の児が対象となっているが,現場の麻疹ワクチン接種に関わる実情はどうなのか。

アクセス困難な地域で行われるワクチン接種

 NTT州内における今回の活動では,筆者はHigh Risk Area(地理的・政治的にワクチン接種へのアクセスが困難な地域)を回って,ワクチン接種キャンペーンの効果がすっぽり抜けるリスクのある地域をできるだけ少なくするべく活動を行った。それはNTT州ではイコール遠隔地巡りということになり,空・海・陸路での長時間の移動は地域におけるワクチン供給および接種の困難さを肌で感じさせるものであった。

 麻疹ワクチンは,首都ジャカルタからNTT州都クパン市に船で届くと,そこから島々を巡って各郡へと供給されていく。例えばクパンからフローレス島西端の都市ラブアンバジョまでにワクチンが到着するまで船および車での輸送期間が2日ほどかかる。そこからさらに地域の保健所に数時間単位の車での輸送があり,各保健所から遠隔地(多くは山間部)の村々までは徒歩で5-12時間かかる場合もある。麻疹ワクチンは注射であるため,接種担当者は医師・看護師・保健師であるが,これらの人々が,地域のケーダーと呼ばれるボランティアの人々(多くは地域コミュニティを支える主婦で,ガイド役からOPV接種までを担当する)を伴い,ワクチンキャリアーの簡易冷蔵ボックスを担いで接種会場まで山道を赴くのだ。地域の人々のワクチンへの期待は高く,厳しい状況下で黙々と行われているワクチン接種の様子は崇高な活動として筆者の目に映った。

コールド・チェーン,そして地域の取り組み

 このようなアクセス困難な地域で常に問題になるのは,十分なコールド・チェーンの確保である。多くの地域では電気の供給が夜間のみだったり,まったくなかったりする。ケロシンランプを用いたUNICEF支給の冷蔵庫が各保健所に設置されているが,支給より10年以上が過ぎている場合がほとんどであり,また,故障部品の交換が進んでいない。使用前のワクチンの品質管理としては,冷蔵庫内部温度の日々の記録およびワクチンの各バイアル上にあるVVM(Vaccine-Vial Monitor)の色調変化の観察が唯一行われている。地域の担当者は一生懸命これらの作業を行っている。生ワクチンである麻疹ワクチンだが,溶解前のワクチンの品質(特に力価の維持)については,上記によるモニタリングで十分であるとの見方が多くの専門家において強い。コールド・チェーンの質はワクチン予防可能疾患の対応において成否を決める要素であり,今後も注意しながらこれらの情報に接していきたい。

 その他,特に筆者の目には,接種情報の個人記録への記入が明らかに不足している様子が気になった。アナフィラキシーなどを防止する意味でもこれらの情報を保護者と十分に共有することは必要である。日本発の母子手帳も大いに用いられているものの,活用の内容については改善すべき点があるように思われた。キャンペーンへの温度差は郡によってもさまざまであったが,多くの地域では必要十分に接種活動を行うためのきめ細やかな計画(マイクロプランニング)が立案・実施されていた。また,ポリオのそれほど派手ではなかったが,地域のリーダーや宗教関係者までを巻き込んだ地域ぐるみの取り組み(ソーシャル・モビライゼーション)は,インドネシアのコミュニティの底力を感じさせるものであった。振り返ってみると,個人的にいろいろな経験を積むことができたミッションであった。公衆衛生関係者として,同じアジアに住む日本人として,今後もできるだけ有用な関わりを持ち続けたいと心から願ってやまない。

つづく