医学界新聞

 

NURSING LIBRARY 書評・新刊案内


《シリーズ ケアをひらく》
ケアってなんだろう

小澤 勲 編著

《評 者》釈 徹宗(如来寺住職/龍谷大学講師(宗教思想)/グループホーム「むつみ庵」代表)*1

「かけがえのなさ」という軸からぶれない,かっこよさ

「よっ,スガレてるねぇ!」

 落語でよく「スガレている」という表現が出てくる。「よっ,いいねぇ。スガレてて」などと使う。粋でナチュラルで様子がよいサマのことを言う。どうやら「素枯れている」と書くらしい。この本の第III部では,小澤氏の公開講座での講演録が記載されている。小澤氏の視点を理解するのによいテクストである。良寛さんの歌を引用しながら老いを語るあたりがとてもいい雰囲気だ。素枯れている。

 本書は,四部構成になっていて,第I部では小澤勲氏が田口ランディ氏,向谷地生良氏,滝川一廣氏,瀬戸内寂聴氏という多彩な4氏と対談。第II部は若手研究者3氏との対談で,彼らの小澤論も添付されている。

 「ケアプランはあまり意味がない」「統合失調症の人には,健常者になることへ恐怖がある」「認知症の人はきわめてわかりやすい人」「痴呆予防論はうさんくさい」などなど,一般的なケア理論の枠組みを揺さぶる言葉が飛び交う。

刺激的でありながら,楽である
 この本を読んで,『言葉がもつ力』をあらためて実感した。自分の概念を揺さぶられる言葉に出会うと,(現実には何ひとつ問題は解決していないのに)なんだか楽になるのである。

 小澤氏は,何度か「周辺症状は,まあなんとかなる」と語っている。おいおい,ほんとかよ,という感じである。なにしろ認知症高齢者介護の現場では,まさにその「周辺症状」*2の対応に追い回されているのである。

 しかし,小澤ケア論の視点は問題行動ではなく,《問題行動を生み出すメカニズム》にある。常に,なぜその行動が生じるのか,という仕組みを読み解こうとする。

 本書で語られている小澤氏のメカニズム解析が本当に正解なのかどうかわからないけど,「周辺症状って……,なんとかなるかも……」という気になってくる。オルタナティブな(別方向の)アプローチが提示されるからである。新たなストーリーが切り開かれるということは,漠然と形成してしまっている図式を解体することでもある。それが介護の現場で,どれほど重要なことであるかは言を俟たない。

寄り添いながらも,プラグマティックである
 対談では,すごくラディカルな視点が次々と提示されるのに,なぜか奇をてらった感じがしない。違和感がない。なぜだろうと考えてみて,ここに登場している人たちがみんな「かけがえのなさ」というところから軸がブレていないからじゃないかと思い至った。

 例えば,『認知症高齢者という無名の存在へとひとくくりにされてしまうこと』に抵抗し,『その人その人の物語』に寄り添おうとする姿勢を随所に確認することができる。寄り添いながら,それでいてプラグマティックだ。そこがしびれる。素敵だ。本物の言葉はやっぱりかっこいい。

 その人に寄り添うということは,その人の物語にシンクロすることである。小澤氏は,「島から来た人が入所したら,ぼくはその島を知らなかったので,船でその島に行ってきました。ああ,こういう島なんやなと。あるいは,金光教の信者が入ってきたから,どんなやろうなと三原から近かったので金光教の本部まで行ってきたりして」(頁157)と語っている。

 これである。症状や行動に眼を奪われることなく,その裏に広がる物語を読み解こうとする態度だ。自分の来歴を知っている人がどんどん少なくなっていくことの寂しさや苦しさをよく知っている者の発想だ。

 私たちはみんな,何らかの物語の中に生きている。でもその物語に耳を傾けようとする者がいなければ,生を持続することは困難だ。逆にいえば,耳を傾けてもらえる者がいれば,そこは生きていける場なのである。ケアとは生きることと正しく向き合うスキルなのかもしれない。

*1 評者の釈徹宗氏は,グループホーム「むつみ庵」代表として認知症高齢者のケアにも当たっている。また昨年発行された内田樹氏との共著『インターネット持仏堂〈1〉〈2〉』(本願寺出版社)が話題を呼んだ。
*2 認知症の症状は,「記憶障害」「見当識障害」「判断力の低下」などの中心となる症状(中核症状)と,「妄想」「異食」「徘徊」などの中核症状に伴って起こる問題行動(周辺症状)に大別される。

A5・頁304 定価2,100円(税5%込)医学書院


古武術介護入門[DVD付]
古の身体技法をヒントに新しい身体介助法を提案する

岡田 慎一郎 著

《評 者》向井 承子(ノンフィクションライター)

「身体の願い」がよりあって作り出される新しい介護

「拒みあう」から,「支えあう」身体へ

 岡田慎一郎さんの古武術介護をまのあたりにしたのは昨年。本書にも登場する真島千歳さん(看護師,NPO法人「そらとびねこ」主催)のお誘いだった。真島さんは私の母の晩年を訪問看護で支えてくださった方だが,既成概念を超えるユニークな発想の人で,その方のお勧めなので好奇心半分で講習会に出かけてみた。

 古武術どころか介護の技も学んだことはない。ただ,無手勝流の家族介護だけは経験していた。母はやせて小さい人だったが,腰に難のある私にはとにかく「持ち上げ」たり「抱え」たりの動作がつらくて腰を痛めてばかりいた。ちょっと「抱き起こす」にも腰を意識して足をふんばり全身に力を入れる。母のほうは身を守ろうと身体を固くする。信頼に身を任せあうのではなく,介護をするもの,されるもの双方が「身体を壊される」ことへの不安で,いわば拒みあう関係だったのかと思い出す。

身体が気づく瞬間
 会場では岡田さんやお仲間たちの「古武術介護」をわけもわからず懸命に真似ていた。そのうちに,ある瞬間,それまで限界と思っていた力を超える動作がなにげなくできてしまったのには驚いた。初体験の私のレベルでは,本書に紹介されている「キツネさんの手」とか,「手のひら返し」などの「武術遊び」に誘い込んで「原理」の一端を感じさせていただいたのだろうが,ともかく,力も入れてないのに重い相手が動いてしまう,抱き起こそうとすると持ち上がってしまうような感覚は未体験のものだった。

 岡田さんのことばをお借りすれば「あえて筋力を使わない」ことで「全身のチカラを引き出せた」ということになるのだろうか。知らなかったのは,つまりは身体を使いこなせていなかったということになるのか。また,ひとり動作がひとりで完結できるのとは違い,「起こす」「抱える」など誰かとの関係でつくる動作とは,その動作にむけた互いの思い,あるいは身体の願いがよりあってつくり出されるものなのか,とか考える種を次々とつきつけられる新鮮な体験だった。

言葉で伝わらないもの,言葉で伝わること
 本書はそんな身体が覚えた感動のまま読ませていただいた。ところが,本となるとどうも様子が違う。文字化されようとされまいと,岡田さんのことばは実にわかりやすく,新しい何かを生み出す人特有の新鮮な魅力に満ちている。本書はDVDもついているし,身体でしか会得できない感覚をぎりぎりのことばと理論に整理し,懇切な教材として絵解きまでされている。しかし,身体で気づく,悟る,直接語りかけられ,手をとって教えられる世界とは当然だがかけ離れるのである。いったい身体の感覚を文字や手順にして伝える意味とは……など考えるうちに腑に落ちるものがあった。

 思えばだれもが岡田さんに直接会えるわけではない。いまそこにいる岡田さんのことばを聞き,「気」のようなものを受けとめるわけにはいかない。おそらく本書にこめた岡田さんの願いとは,介護の現場の人だった岡田さんが,悩み,模索し,気づき,技に昇華しないではいられなかった世界の一端が,人と場のそれぞれに違う条件のなかで受けとめられ,少しでも「身体を壊さない介護」を模索しあう人と場が生まれる,そのきっかけの種を蒔いたのかもしれない。

 私自身は「介護する」側よりも「される」側に近づいている立場。自分なりの「介護予防」を模索するにも格好の本,との感想を持った。

B5・頁128 定価3,150円(税5%込)医学書院


抗精神病薬の「身体副作用」がわかる
The Third Disease

長嶺 敬彦 著

《評 者》宮子 あずさ(厚生年金病院看護師長・神経科/緩和ケア病棟)

「身体的な訴え」の意味がわかる本

精神科は「身体的な科」!
 内科で9年働いたあと,精神科に異動して10年。すでに身体的な科よりも,精神科領域のほうが長くなっています。精神科というと,「臓器ではなく心を見る科」というイメージが一般的ですが,実際は非常に身体的な科だな,と感じています。

 これには2つの意味があって,ひとつは精神疾患そのものが,脳という臓器になんらかの問題が生じている可能性。これは患者さんの理解を浅くする懸念はあるものの,一面では「生い立ち」や「人格」の名の下に人間性を値踏みすることを避けられる利点もあります。医療者自身が患者さんに立ち入りすぎないようにするためにも,こうした身体疾患としてのとらえ方は,大事だと思います。

 そしてもうひとつは,精神疾患の患者さんの多くが,身体症状を抱えているという事実です。めまいや咽頭の違和感,微熱などなど。自己の存在が不確かになっている状況を象徴するかのように,身体的な不快感も増しているのです。ときには,治療のために使用する薬剤によって,身体的な不調が増す場合もあります。この本にはその多くの事例が出ています。

身体の不快が薬剤中止につながることも
 長く飲み続けなければならない精神科薬は,他の薬に比べて,特に副作用が強いとは言い切れないでしょう。しかし,持ちこたえる力が弱まっている患者さんにとって,少しの不快症状も薬剤中止の引き金になり得ます。私自身,そうした懸念をしばしば抱きつつ,「口が渇く」「眠くて仕事にならない」といった患者さんの訴えを聞いています。

 実際私にできることと言えば,症状を聞くたびに,「状態がよくなれば,少しずつ減らせる場合も多いですし……。今はもう少しがんばって,飲み続けましょう」と返すことくらい。自分自身がつらいときには飲んでいる薬でも,好調と感じ始めたら,いつ中止してしまうことか。薬を飲み続けてもらうためにも,患者さんの苦痛をきちんと聞いていく必要があると感じています。

「薬をめぐるジレンマ」に落ち込んだら,この本を手に取ってほしい
 この本には,精神科薬を飲むことで起こりうる症状が事細かに出ています。医療者のちょっとした注意で改善が期待できるものもあれば,正直言って,どうにもならないと感じるものもあります。

 それでもやっぱり,これらの知識は持っておきたい。副作用があるからといって,それをやめられないとしても。私たちが起こりうることを予期し,心づもりをしておくことが,患者さんの安心感に必ずやつながることでしょう。

 この本は,抗精神病薬の「身体副作用」を「わかる」ための本で,その予防が「できる」ための本ではありません。でも,仮にそれができないとしても,わかることは大事。

 「そんなこと言われても,処方しないわけにはいかないんだよなあ」「あの患者さんには,薬の減量はまだ無理だなあ」といった,ぼやきが口をつく場合でも。そんなときこそ,ぜひこの本を手に取りましょう。

B5・頁198 定価2,520円(税5%込)医学書院


ロービジョンケアの実際
視覚障害者のQOL向上のために 第2版

高橋 広 編

《評 者》大音 清香(日本眼科看護研究会理事長/西葛西・井上眼科病院看護部長)

「ロービジョンケアのバイブル」 困った時,調べたい時に

看護師はロービジョンケアのニーズに応えてきたか

 「今までにないロービジョンケアの関わりに視点を置いて第2版を“開発”しました」と,本書が発刊される直前に,編集を担われた高橋広先生から電話をいただいた。

 どんな内容に変身するのか,期待が膨らんだ。それから数週間後,届いたその本の表紙は,第1版の紺色から一転してあずき色に変身。中央に「乙女の像」に焦点を当て,その像に凸レンズでピントを合わせた写真が配されている。鮮明な「乙女の像」をレンズ越しに読者に見せるという表紙のデザインから,モノを見るための探究心と,見ようとする気持ちの大切さが伝わってくる。

 一般に,ロービジョンケアの担い手として看護師の影は薄い。しかし,看護師は必要ないのだろうか? 病院の窓口で戸惑っている患者さんが,視力障害著明な方であることがしばしばある。そんな時,本書に記されている生活面の援助を把握していると,自ずと「どうされましたか?」と声がけし,手を差しのべて応じれば,患者にとっては安らぎと同時に不安なことなどを相談してみたくなるのではないか。

 必要ないのではなく,必要に応えていないだけなのではないかと思えてならない。

できることを,できるだけ,できる時に
 この第2版では,ロービジョンケアを実践するには,まずはリハビリテーションの根底にある考え方を認識して,それから眼科の特徴や眼科医療を理解し,コメディカルの役割とは何かを考えていく内容に整理されており,これが今回大幅な改訂を行ったねらいだったことがわかる。

 特に,医療スタッフの役割が充実して述べられている。例えば,医師のリーダーシップの取り方については,高橋先生の豊富な経験に裏打ちされた主張で貫かれており,説得力に富む内容になっているほか,コメディカル(視能訓練士,歩行訓練士,理学療法士,作業療法士,医療ソーシャルワーカー,看護師など)の活動をそれぞれ取り上げ,専門職の役割が明確に記されている。

 さらに,実践面では難しいと感じられる教育関係者,社会福祉活動との連携も含め,多職種にわたる関係者がどのようにロービジョン者に関わっていけばよいのかについて,現状のデータ分析に基づき,ロービジョンケアの根底にあるリハビリテーションの考え方に立脚した役割論が展開されており,その流れが,多職種間での連携の重要性を一層際立たせている。

 ロービジョン者への看護の役割が不明確な現在,それを一気に解決するのは無理だとしても,看護にもできることはあるはず。装具・補装具にかかわらず,今維持されている機能でできることを見出し,できることを,できるだけ,できる時に発揮するためのケア,それが心の支えとなり,自立する意欲に繋がるケア……看護そのものがそのままロービジョン者へのケアにもつながっているのである。

 終章(第9章)「看護・介護で必要な援助とくふう」で看護援助の実際が述べられているが,しいて言えば,本章でリハビリテーション看護の発想に基づいて,経過を辿っていく過程が記されていると,看護の役割がもっとわかりやすかったかな? と余計に欲がでてくる関心深い著書である。

B5・頁328 定価3,990円(税5%込)医学書院