医学界新聞

 

教養としての
Arztliche Umgangssprache als die Allgemeinbildung
医  者  

ディレッタント・ゲンゴスキー

〔 第10回 〕 症状・身体所見


前回よりつづく

 今回は症状や身体所見に関する医者語の特集だ。とは言っても網羅的に書く知識などあろうはずもないので,内科の初診外来で出てきそうな語のうち,独断と偏見でドイツ語らしい響きのものを思いつくままに並べてみよう。


【例文】

(1)1か月前からallgemeine Mattigkeit,Abmagerung,Herzklopfenを自覚し来院。診るとSchilddrüseも腫れており,バセドウ病が疑われる。
(2)ErbrechenとDiarrhöeが数日続いたあと,Verstopfungにneigenす。
(3)Schwindel,Ohrensausen,Heiserkeit,Dyspnoe,usw.あり,“klagereich”である。

標準的な日本語に訳すと
(1)1か月前から全身倦怠感,るいそう,心悸亢進を自覚して来院。診ると甲状腺も腫れており,バセドウ病が疑われる。
(2)嘔吐と下痢が数日続いたあと,便秘傾向にある。
(3)めまい,耳鳴り,かすれ声,呼吸困難などなどがあり,訴えが多彩である。

ハイトとカイト

 英語に形容詞に-nessを付けて名詞にする造語法があるように,ドイツ語にも-heitないし-keitという名詞作り用の接尾辞があって大活躍している。例えばkrank(クランク:病気の,病んだ)からKrankheit(クランクハイト:病気)という抽象名詞ができる。例文1に出したMattigkeitは形容詞matt(マット:疲れ果てた,弱った)から来た語。似たような音と意味でmüde(ミューデ:疲れた)から派生した名詞Müdigkeit(ミューディッヒカイト:疲労,倦怠)というのもある。形容詞allgemein(アルゲマイン)は「一般の,全体の」を意味し,ここでは次に来る女性名詞を修飾するために活用語尾-eが付いている。「全身倦怠感」は英語ならさしずめgeneral malaiseないしfatigue,現病歴によく登場する単語だ。

 続く「やせ,るいそう」(英:emaciation)を意味するドイツ語系医者語として,辞書にはAbmagerung(アプマーゲルンク)とMagerkeit(マーゲルカイト)が出ているが,カルテ診でよくみかけるのは前者のほうだったように思う。どちらも形容詞mager(マーゲル:やせた)から派生している。

ブラジル?

 ドイツ語で動悸を意味する単語としてはラテン語系のPalpitation(パルピタツィオーン)もあるようだが,日本の医者語としてよく使われたのは土着ゲルマン系のHerzklopfen。Herz(ヘルツ:心臓)とKlopfen(クロップフェン:たたくこと,鼓動)がくっついた複合語だ。動悸といえば脈が速くなることをくだけた表現で「タキる」,という。ラテン語から英語に入ったtachycardia(タキカルディア:頻脈)から来ている。ところが反対の脈が遅くなる現象は,「ブラディになる」(bradycardia:徐脈)ということはあっても,ブラディるという表現は聞いたことがない。本来日本語にないディの音で終わるカタカナ語に,直接ラ行の音を付けて動詞化することには発音上無理があるのだろう。

 さて,前頚部にある内分泌臓器Schilddrüse(シルトドゥリューゼ)。Schildはもともとshield(英:武具の盾)だがドイツ語では動物の甲殻,甲羅の意味も派生しており,それに形状が似ているDrüse(ドゥリーゼ:腺),というのだから,「甲状腺」は逐語訳といえよう。ここで医者語から話題がそれてしまうが,例文の症例でバセドウ病を疑うのはよいとして,採血で甲状腺ホルモンが高いことがわかった途端に「診断確定」と抗甲状腺剤を投与したりしてはいけませんよ()。

消化器症状

 最近はめっきり件数が少なくなったが,筆者が医者になりたての頃はバリウムを使った上部消化管造影検査が盛んに行われ,放射線科の初期研修必須項目のひとつだった。食道や十二指腸球部も検査範囲なのだが通称は胃透視,Magendurchleuchtungの語頭を取って俗には「マーゲン」などとも呼ばれていた(ドゥルヒロイヒトゥンクとは「光線を透過させて調べること」)。検査の依頼状や予診票に書かれた胃腸症状に関する医者語を解読するのに,白衣のポケットに常備した『独英和医語小辞典』によくお世話になったものだ。

 ドイツ語混じり文の中にあっても例文に出したNausea(ナウゼア:嘔気)やDiarrhöe(ディアレー:下痢),あるいはDysphagie(ディスファギー:嚥下困難)などはラテン語そのままないし綴りがちょっと変化しただけなので辞書を引くまでもない。これがドイツ語固有の語彙となると新たに覚えないといけないという負担はある。それでも「エルブレッヒェン」が嘔吐(vomit)で,「フェアシュトップフンク」が便秘(constipation)か,ふーん,それぞれbrechen(破る),stop(止まれ! という間投詞,英語からの外来語)と関係あるのかな,などと想像を巡らせるのは面白かった。ちなみに前者は当たっていたが,後者は外れ。辞書によればドイツ語にもともとstopfen(シュトップフェン:詰める,いっぱい入れる)という動詞があり,Verstopfungはその派生語だった。最後のneigenとは「~に傾く」という動詞。

 ちなみに,下部消化管透視すなわち注腸造影を示す古い医者語はEinlauf(アインラウフ)。一般ドイツ語としては広く「到着,流入」などを表すが,ここではバリウム液による「浣腸」の意味で使われている。

豊か

 何も訴えがない状態を表現する医者語として,ベシュベルデフライ(Beschwerdeは苦情,不平;freiは英語のfreeにあたる形容詞,自由な,開放された)がある。クラーゲフライとも言う。Klage(クラーゲ)は以前に複合語Hauptklageの形でご紹介したとおり「訴え」。いずれも入院治療後の外来カルテ記事などに時々見かけた。反対にいろいろな症状を言いつのる状況についてはクラーゲライヒ(“klagereich”)という言い方があり,診ている側が「本当にすべてが身体的異常から出た症状なのか?」と疑っている判断が語感に含まれている。不定愁訴と意訳しても大きな間違いではないだろう。英語のrichに相当する形容詞reichを使った「豊か」という皮肉な表現が面白いのだが,少なくとも複合語として一語で綴るのは和製独語だと思う(独和辞典に出ていない)。

 例文3の症例ではSchwindel(シュヴィンデル:眩暈),Ohrensausen(オーレンザウセン:耳で雑音がすること,つまり耳鳴),Heiserkeit(ハイゼルカイト:声のかすれたという意味の形容詞heiserからの派生名詞),Dyspnoe(ディスプノエー:呼吸困難,ラテン語由来)と内耳症状+上気道症状があるらしい。ひとつの病気でこの両方が来る状態は簡単に思いつけないが,もちろんはじめから「気のせい」などと決め付けず系統だって身体所見を調べねばなるまい。usw.(u.s.w.とも書く)はれっきとしたドイツ語で,und so weiter(ウントゾーヴァイター:うんぬん,等々,以下同様)の略。英語ならand so on,ラテン語のet cetera(etc.)に当たる。

追加

 最後に,擬声語・擬態語の要素があって感じがよく出ているドイツ語系医語を2つ紹介しておこう。頭痛には以前ご紹介したKopfschmerzen以外にKopfweh(コップフヴェー)という言い方がある。Wehは苦痛のときに出る間投詞weh(痛い!)を名詞化したもの。いかにも辛そうですな。もうひとつはSchüttelfrost(シュッテルフロスト:悪寒戦慄を意味する)。動詞shütteln(振動させる)と名詞Frost(非常に寒いこと,悪寒)からできた語らしい。ガタガタふるえて寒気がして熱が上がっていく様子が目に浮かぶ。

つづく

:甲状腺ホルモン中毒症(thyrotoxicosis)とびまん性甲状腺腫大(diffuse goiter)を来たす疾患としてはバセドウ病がもちろん最も頻度が高いが,無痛性甲状腺炎でも同様の症状所見が起こりうるので注意が必要だ。自分が専門とする核医学検査の宣伝のようで恐縮だが,両者の鑑別手段のひとつとして放射性ヨードや過テクネチウム酸の甲状腺摂取率が役立つ。

次回予告
 今度は癌以外の病名と投薬にまつわる用語について語ってみたい。「この粒状影を見たらまずミリテーを考えるだろうけど,他に甲状腺のメタや肺野型のサルも鑑別に挙げないとだめだよ」


D・ゲンゴスキー
本名 御前 隆(みさき たかし)。 1979年京都大学医学部卒業。同大学放射線核医学科勤務などを経て現職は天理よろづ相談所病院RIセンター部長。京都大学医学部臨床教授。専門は核医学。以前から言語現象全般に興味を持っていたが,最近は医療業界の社会的方言が特に気になっている。