医学界新聞

 

看護のアジェンダ
 看護・医療界の“いま”を見つめ直し,読み解き,
 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。
〈第21回〉
「血圧はどうなの?」

井部俊子
聖路加看護大学学長


前回よりつづく

 車を運転しながら,ベテランの訪問看護師が助手席にいる私に,これから訪れる患者の状態を説明してくれた。「彼はとても重症なの。先週は危篤だったの。今日は少しよくなったけれど,ターミナルな状態。肝性昏睡が予想されるわ」と。

 夏休みを利用して訪れたスウェーデンのストックホルムは,スカンジナビアンブルーの空が広がっていた。彼女が向かう先は,ストックホルムの中心から車で20分くらいの所にあるシグチューナという古い小都市であった。

 メーラレン湖に面したシグチューナは,スウェーデンで最も古い町のひとつで,11世紀初め,キリスト教徒としては初めての王オーロフ・シェートコーヌングにより築かれた。聖マリア教会は,1248年築とされるシグチューナ最古の建物であり,そばにはスカンジナビアで最も小さいと言われる市庁舎があり,スウェーデン最古のタウンストリートであるストラガータン通りがある。廃墟となった教会跡や,史実をルーン文字で記した石碑を訪れて,観光客がゆっくりと散策していた。

患者の居室とmedical model

 訪問看護師が訪れた家は,その町の一角にあった。終末期にある患者の居室というと,一定のイメージが私にはあった。病院の病室,そして父が在宅で迎えた終末の状況が思い出された。患者は,静脈ラインを確保し,喀痰の吸引をするための吸引器があり,経皮酸素モニターで測定された結果によっては酸素吸入をしているかもしれない。尿道留置カテーテルからの流量が測定されており,バイタルサインが定期的にチェックされているであろうと。

 訪問看護師が,陽光の中でひっそりとたたずむ住宅の玄関チャイムを押すと,患者の妻が「待っていたのよ」といった気持ちを表出するようににこやかに出迎えた。訪問看護師は持参のシューズカバーをつけ,(私にもカバーをつけるよう促し),患者のいる部屋に入った。夫妻の寝室といったおもむきの部屋は小ざっぱりとしていた。

 ベッドの背を少し挙上した初老の男性が横たわり,足元にあるクローゼットの上のテレビがつけられていた。患者の顔色は青ざめ(白ざめていた),患者の片わらに腰かけて話しかける訪問看護師に,彼は眉間にしわを寄せて苦痛を訴えていた。訪問看護師は,べッドの背をフラットにして下にずり落ちている身体を挙げて体位を整え左側臥位にして,仙骨部の褥瘡に貼ってある被履剤のはりかえをすませて,仰臥位にした。少し患者と話したのち,しばらく妻の訴えに耳を傾け答えていた。

 車に戻ってからの説明によると,重篤になったらどうしたらよいか,死亡後はどのようにするのかといったことを妻は気にしていたという。「子どもたちは別に暮らしているのでサポートはしてくれるはずよ」と訪問看護師は私に教えてくれた。

 訪問看護師の滞在は30分くらいであった。患者と妻に握手をして家を出た。訪問看護師は夕方にも訪れるのだと言っていた。

ケアと生活の統合

 この日,訪問看護師とともに,4件の訪問看護サービスを見学したが,2人の訪問看護師は一度もバイタルサインの測定を行わなかった。終末期だという患者に挿入されているものは,尿道留置カテーテルのみであり,訪問看護師は尿量すらも深刻にみていなかった。たしかに彼の部屋は「病室」ではなく住みなれた家の「寝室」であった。点滴も吸引も酸素もなかった。

 在宅ケアをperson-centered careとしたオランダモデルは,ケアと生活の統合として,normal lifeとpossibilities,personal lifestyle,familiar environmentを社会関係モデルの構成要素としている。訪問看護が寝室を病室に転換しないようにすること,やたらに血圧計をとり出さないことを学習したストックホルムの旅であった。

次回につづく