医学界新聞

 

変わりゆく労働環境の中でいかに臨床知を蓄積するか

医学書院看護特別セミナー
「ベナー 臨床知の現在」開催される


 さる8月27日,笹川記念会館(東京都港区)において,医学書院看護特別セミナー「ベナー 臨床知の現在」(主催:医学書院,後援:第32回日本看護研究学会学術集会)が開催された。邦訳されている『ベナー看護論』『ベナー 看護ケアの臨床知』などの著作を通して,本邦の看護界でもその名を広く知られているパトリシア・ベナー氏(カリフォルニア大サンフランシスコ校)の来日講演とあって,会場には800人の聴衆が集まった。


常に実践から学び続ける

 この日のプログラムは2部構成で,初めにベナー氏が2時間にわたって,「臨床知の現在」をテーマに講義を行った(司会・進行=東医歯大・井上智子氏,千葉大・正木治恵氏)。

 登壇したベナー氏は,臨床知という概念とその有効性を解説するにあたってまず,臨床知と経験的学習についての基本的な考え方を解説した。

 「臨床知は,経験的な学習によってもたらされます。では,経験的学習とはどのようなものでしょうか? 何か計画通りにいかないことがある時,新しい知識がそこから見いだされ,状況を違った視点から見ることができるようになることです」。

 ベナー氏はこのように述べ,「すべてを学び終え,自分の考えが覆ることはない,という状態に至りたいと多くの人は思いがちですが,そうはなりません。実践現場は常に変化し,科学は常に新しい考えを産み出しているため,私たち実践家は常に,経験的学習を止めるわけにはいかないのです」と,常に現場での実践から学び続ける姿勢こそが,臨床知の本質であることを強調した。

いかに臨床知を蓄積するか

 一方,昨今の医療・看護を取り巻く状況の変化は著しく,そのことは臨床知の蓄積という点でも大きな問題と考えられる。ベナー氏は,「看護師が直面している新しい労働環境,すなわち世界的な医療費削減の流れの中,在院日数は短縮され,業務に効率性が求められるようになっており,また,看護師の人員不足ということもあり,業務全体のペースが非常に速くなっている」と指摘し,こうした状況の中で臨床知を蓄積していくための方策について述べた。

 「こうした状況だから,臨床知の蓄積が不可能かというと,そんなことはありません。病院管理者たちは,経験ある医師,看護師,あるいは他の医療スタッフが,新人が新たに身につけようとすれば長い時間がかかってしまうような,多くの臨床知を持っていることを認識し,それを目に見える形にする努力をすべきです。また,経験あるナースたちはしばしば,自分が持っている臨床知に無自覚であることも多いです。それらを言語化し,共有していく努力が有効でしょう」。

 効率化が進む臨床現場においても,臨床知を顕在化し,共有していく努力を通じて,臨床知の蓄積・活用は十分に可能であるというベナー氏の言葉に,参加者の多くが深くうなずいた。

臨床知蓄積の具体的方策

 続いて,臨床把握や先見性など,ベナー看護論独特の理論について触れ,「臨床知というのはつまるところ,固定的な知識ではなく,意外な,想定外のことを受け入れる能力であり,好奇心を持ち,将来のことに目を向ける能力と言えます。豊富な臨床知を持つエキスパートナースは,そのような能力によって,実践の不確定な状況の中でも,その本質を見抜き,その後の行動を選択することができます」と,臨床知の本質について,事例を交えながら解説した。

 最後にベナー氏は,今日の医療環境の中でこうした臨床知を蓄積していくための方策について,以下の6点にまとめ,講演を終えた。

・新人ナースや経験の浅いナースがコーチングを受けることができるように,各病棟・勤務帯にAPN(Advanced Practice Nurse;専門性の高い看護師資格の総称)を常駐させること。
・スタッフ能力開発プログラムを作り,ナースが継続的に実践から学び,また,経験的な学習を言語化できるようにすること。
・各病棟で模範となるような看護実践を研究し,その優れた利点を支援し,認めるように努めること。
・現場のナースと病院管理者との結びつきを強め,施設レベルでの看護実践への理解を深めてもらうよう促す。優れた看護実践が目に見えるものになり,その価値が評価されるようにすること。
・育児その他の理由により離職した,経験豊富なナースの再就職,あるいはリフレッシュプログラムを設け,職場復帰を促すこと。 ・医師,看護師,ソーシャルワーカー,その他の医療チームのメンバーとの協力関係,コミュニケーションを改善すること。

各地の臨床知蓄積の試みが報告される

 休憩を挟んでのディスカッションでは,まず,司会の井上氏が「看護現場の今日的な問題として,スタッフの若年化がある。1-3年目が大半という職場も少なくない。臨床知の獲得において,若さ,経験の少なさは障害となるか」と質問。これに対しベナー氏は「実践の中での気づきをしっかりと認識し,次に活かすことができるなら,年齢や経験年数は関係ない」と述べたうえで,「大事なことは,臨床知というものがそうした日常の実践の中にあり,毎日が学びであるということを,彼女らに知ってもらうことです。その意味では,そうした学びをサポートするエキスパートナースが側にいるということが望ましいでしょう」と答えた。

 その後,会場の参加者から,それぞれの施設での臨床知蓄積の実践が次々と報告された。駿河台日大病院の東めぐみ氏は早朝カンファレンスでの看護実践報告の模様を,聖マリアンナ医大病院の陣田泰子氏は,2004年から院内でスタートさせた「ナレッジ交換会」の試みを報告。これらはともに,現場のエキスパートナースの暗黙知を言語化・概念化し,共有財産とすることを目指したもので,ベナー氏も「すばらしい試みだ」と賞賛した。

 なお,本セミナーの詳細は,弊社刊行雑誌『看護管理』(2006年11月号),『看護研究』(2007年1-2月号)各誌で報告予定。