医学界新聞

 

名郷直樹の研修センター長日記

32R

越境する専門医

名郷直樹   地域医療振興協会 地域医療研修センター長
東京北社会保険病院
市立伊東市民病院
横須賀市立うわまち病院
市立奈良病院臨床研修センター長


前回2694号

●月▽▼日

 相変わらず,休みを利用した見学の学生が,連日研修センターを訪れる。へき地医療に関心がある学生って意外にいるもんだ。実は全然関心ないかもしれないんだけど。
 研修の最初は,まずはオリエンテーション,へき地医療についての短いレクチャー,そして,ここのできかけのプログラムの説明,それが終われば研修医とともに病棟,外来へ,そんなのがお決まりのパターンだ。
 まずあらかじめ書いてもらった自己紹介を読みながら,学生と雑談する。

「へき地医療に興味があるって書いてありますが,あなた自身の地域医療のイメージについて,ぜひ聞かせてください」

 最初のオリエンテーションは,そんな質問から始まる。離島,山奥,不便。最新の医学から遅れる。私生活が大変そう。何でもやらなければいけない。守備範囲が広い。だいたい出てくるのはそんなところ。でも逆に何でもできるようになりたいという学生もいる。

「幅広く何でもできる医者になりたいんです」
「やっぱり,へき地というと何でもやらなきゃいけないというイメージがあるんだ。でも何でもできるようになるには,どれくらいの研修が必要なんだろう?」

われながらいやな質問だ。何でもできるようになんか,なれないんじゃないの? 大部分の学生はそう受け取るかもしれない。

「実は幅広く何でもできるというのは,へき地医療専門医の特徴ではないんだ。へき地医療専門医は,守備範囲が広いというより,守備範囲を規定しないのが特徴なんだ。それでは質問を変えましょう。守備範囲が広いというのと,守備範囲を規定しないというのは,どう違うんだろう」

大部分の学生は,ここでもうわけがわからないという表情になる。だいたい質問されるばかりで,私のほうから何の情報提供もない。それでも懲りずに,頑なまでの質問攻め。

「今の医者ができる技能を集めて,全部できますっていうのはなかなか素敵なんだけど,それだと結局すべての専門医がそろった総合病院がいいということになってしまうんじゃないだろうか。へき地も本当は専門医をそろえた総合病院があったほうがいいのだが,へき地にそんな大きな病院がつくれるわけもなく,ある程度なんでもできる医師に,仕方なく任せているのだろうか。そうだとすれば,へき地医療の専門といっても,仕方なく何でもやっている,やりがいのうすい仕事になってしまうのではないだろうか」

しばしの沈黙。学生は禅問答か何かと思っているだろうか。

「話を戻そう。守備範囲が広いのではなく,守備範囲を規定しない,という話の続きです。へき地医療の専門医は,あれもできる,これもできるということより,自分には何ができないのか,そういう自分の限界をよく知ることが重要だ。自分でできたとしても,もっと適任の医者がいれば紹介した方がいいし,自分でできないことでも,他に適切な人がいなければ,自分で頑張るしかない時だってある。だからへき地医療の専門性は,守備範囲の広さにあるわけじゃない。守備範囲を決めずに,その場の状況に合わせていくことにあるんだ」

 分化する専門医,総合する専門医,そういう言われ方をする。確かにそうだ。そういう方向性が重要だ。でもそれでは足りない。総合するだけでなく,周辺へ出て行かなくては。「それは私の科の病気ではありません」,そんな医師の発言をよく聞いたものだ。そんな言葉を聞いたことと,自分自身がへき地の現場でジェネラリストをめざしたことと,決して無関係ではない。そうだとすれば,「それは医師の仕事ではありません」,そんなふうに言ってしまったら,ジェネラリストだって,同じ穴の狢ではないか。「それは医師の仕事ではありません」,決してそう言わない。と言って,これはとんでもない困難だなと思う。できるわけがない。でも,できるかできないか,そんなことは重要じゃない。臓器別専門医のあらゆる英知を集めたところで,死なないようにできるわけじゃない。でもそれでは話が飛びすぎか。
 ふと最近読んだ本のあるフレーズがよみがえる。社会学の本だったのだけれど,社会学とは,越境する知であると。妙に印象に残るフレーズだ。社会学とへき地医療は似ている気がする。そこで言い直してみる。へき地医療とは,越境する医療であると。かなりいい感じだ。これまでの医師の仕事にとどまらず,新しい領域へ越境していくこと,それがもっと重要なのではないか。

 医師としての守備範囲をも踏み越えていく,それがへき地の現場でのジェネラリストだ。へき地の現場には,近いところにいろいろな人がいた。看護師,保健師,ヘルパー,ボランティア,役場職員,養護教諭,家族,親戚,近所の人,民生委員,考えようによっては,身近にいろいろな資源が豊富だった。少なくともマンションが立ち並ぶような新興住宅地に比べれば。そんなへき地の現場で,それぞれの守備範囲を越境することを考えれば,案外いろいろな解決方法が見えてくる。お互いが自分の守備範囲を規定せず,協力できた時,それもそう大したことでなく,日常普通にあるようなことで,結構いい仕事ができる。例えば,看護師が帰りの足のない患者に,「帰りは私の車に乗っていったらいいじゃない」,そんなことが普通に,自然にある。

「唐突だけど,いいフレーズを今思いついた。守備範囲を規定しないその先には,医師の守備範囲を超えていくような方向性があるんだ。それを今日から,越境する専門医と呼ぼう。へき地医療の専門医は,越境する専門医だ。どう? 越境する専門医って」

 勝手に盛り上がる私と,わけのわからない見学の学生。まだ学生の領域に越境できずにいる。でも学生さん,あなたが越境したっていいんですよ!

次回につづく


名郷直樹

1986年自治医大卒。88年愛知県作手村で僻地診療所医療に従事。92年母校に戻り疫学研究。
95年作手村に復帰し診療所長。僻地でのEBM実践で知られ著書多数。2003年より現職。

本連載はフィクションであり,実在する人物,団体,施設とは関係がありません。