医学界新聞

 

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第90回

閑話休題
Power to the Seniors!

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2693号よりつづく

 『スポーツ・イラストレイテッド』,『ニューズウィーク』,『JAMA』……,スポーツ誌に始まって医学誌まで,私は,当地で種々雑多の雑誌を購読している。あまりに数が多いので,いったい正確には何冊の雑誌を定期購読しているのか,自分でもわからなくなっているほどだ。しかし,あまたの購読誌の中でも,私が,配達されるのを一番楽しみにしている雑誌は『AARP・ザ・マガジン』である。

 ここで少し解説すると,AARPとは,高齢者擁護を目的とするNPOである。99年まで,正式名称は,American Association for Retired Persons(米国退職者連合)であったが,加入者の約半数が退職者ではない(加入資格は年齢が50歳以上)ことから,略称のAARPが正式名称に変更された。米国では,50歳以上の壮・高年層は,全人口の4分の1を占めるが,このうち約半数,3500万人がAARP会員であるといい,全会員に配布される機関誌『AARP・ザ・マガジン』は,雑誌として「世界最大の流通数」を誇っている。

 私も,資格を得ると同時にAARPに加入したが,年12ドル50セントと会費は非常に安かったし,会員には保険など壮・高年者向け商品のディスカウントも提供されるとあって,加入することに何のためらいもなかった。機関誌『AARP・ザ・マガジン』(隔月刊)にしても,AARPに加入するまで手にしたことはなかったが,そのあまりのおもしろさに,すぐ,次号の配達を楽しみにするようになったのだった(この雑誌を読めるだけでも年会費は安過ぎると思っている)。

AARPの果たしてきた役割

 この雑誌,高齢者・高齢者予備軍に対する生活・財政上のアドバイス等,内容に興味が尽きないことはもちろんだが,表紙も毎号おもしろい。50歳以上の著名人が起用される決まりのようだが,例えば,今年5/6月号の表紙を飾ったのは,元ビートルズのポール・マッカートニーだった。「When Paul is 64」のキャプションが添えられていたが,名曲「When I'm 64」にちなみ,6月に64歳になったマッカートニーに表紙を飾らせたのは言うまでもない。マッカートニーの表紙を見ながら,私は,「ジョン・レノンが生きていたら,全共闘のヘルメットをかぶらせて,『Power to the Seniors!(高齢者に権力を!)』とキャプションを振ったのだろうか」と夢想にふけったものだった(レノンは,71年に「Power to the People(人民に権力を)」をリリースした時,ジャケット写真で,「叛」と書かれた全共闘のヘルメットをかぶった)。

 私が高齢者の政治活動を鼓舞するレノンの表紙写真を夢想したのも,AARPは高齢者アドボケートとして,政治活動にもきわめて積極的だからである。例えば,第2期政権発足時,ブッシュ大統領が内政の目玉政策として「公的年金民営化」を打ち出した時も,「ヨーロッパで民営化した国では,年金運用の手数料を得た民間会社だけが潤い,国民は損をした」と猛反対するキャンペーンを展開した。最大のステークホルダーたる高齢者・高齢者予備軍を代表するAARPが反対に回ったため,ブッシュは,その目玉政策を,あっという間に潰されてしまったのだった。

 そもそも,歴史的に見ると,AARPが巨大な政治的パワーを握る組織へと成長したきっかけは,当初から高齢者の医療問題に積極的に取り組んだことにあった。AARPの前身は47年に設立された「全米退職教員連合」だったが,退職した教職者に医療保険を提供することを目的として設立された組織だった(当時,高齢者が医療保険を購入することは実質的に不可能であり,高齢者は自動的に無保険者となる時代だった)。その後,「退職教員以外の高齢者にも,医療保険を」という要望があまりにも強くなったために加入資格を全高齢者に広げ,58年,現在のAARPへと組織が拡大されたのだった。

 やがて,高齢者の医療保険については,65年に連邦政府が税金で運営するメディケアが創設され現在にいたっているが,市場原理で医療が運営されている米国にあって,こと,高齢者の医療保険に限っては「皆保険」が建前の日本よりも手厚い制度が用意されているのも,AARPが存在したことがその最大の理由となっているのである。

いま,すべきこと

 翻って日本の現状を見た時,日本では,医療がおかしな方向へ向かおうとしているのに,最大のステークホルダーたる高齢者には,政治的パワーが一切認められていないように見えてならない。先般国会で成立した医療制度改革関連法案にしても,高齢者の自己負担増が最大の眼目であったのに,ステークホルダーたる高齢者の声がまったく聞こえないまま,国会を通過してしまった。日本にもAARPに相当する組織が存在していたならば,医療制度改革にしても,財務省・財界の「ゴリ押し」がここまでまかり通る結果にはならなかったのではないかと思えてならない。

 いま,団塊の世代が高齢者・高齢者予備軍を形成していることは,日本も米国も変わらない。AARPが巨大なパワーを握り,医療や年金を守っている米国の団塊世代と比較した時,「学生時代はヘルメットをかぶって暴れ回るほど元気な世代であったはずなのに,日本の団塊世代は,自分たちの命を守るべき医療がおかしな方向へ向かっていることについて,何でこんなにおとなしくしていられるのだろうか」と,私には不思議でならない。

 日本の医療は,いま,激務のために「燃え尽きて」退職する勤務医が跡を絶たないことを見てもわかるように,積年の医療費抑制政策のつけが祟って,いよいよ「崩壊の危機」に瀕している(すでに,小児科・産科領域では医師不足によるアクセスの障害が始まっている)。医療が崩壊した暁に一番の被害を蒙るのが,高齢者・高齢者予備軍であることは言うまでもないし,いまこそ,最大のステークホルダーが日本の医療崩壊を食い止めるために立ち上がるべきではないだろうか?

 医師団体にしても,「政権党に擦り寄るかどうか」などという議論をしている暇があるのなら,現在そして未来の高齢患者のために一肌脱ぐくらいの気概を示してもいいはずだし,医療者たちこそが日本版AARP設立運動の先頭に立つべきだと思うのだがどうだろう? 「昔取った杵柄」ではないが,ヘルメットをかぶり,「Power to the Seniors!」のシュプレヒコールを叫ぶとしたら,いまほどふさわしい時はないのだから……。

つづく