医学界新聞

 

連載
臨床医学航海術

第7回   意識改革(2)

田中和豊(済生会福岡総合病院臨床教育部部長)


前回よりつづく

 臨床医学は大きな海に例えることができる。その海を航海することは至難の業である。吹きすさぶ嵐,荒れ狂う波,轟く雷……その航路は決して穏やかではない。そしてさらに現在この大海原には大きな変革が起こっている。この連載では,現在この大海原に起こっている変革を解説し,それに対して医学生や研修医はどのような準備をすれば,より安全に臨床医学の大海を航海できるのかを示したい。


 現代医療のパラダイム・シフトを乗り越えるための第2・第3の意識改革として取り上げたいのは,「フィールド・ワークを行う」ということと「真理の追究目的から患者の幸福目的へ」である。

フィールド・ワークを行う

 基礎医学の患者への応用が臨床医学である。したがって,臨床医学は理論だけでなく実践的な学問である。これは,ちょうど自然科学の理学と工学に似ている。基礎医学が理学のように理論的学問であるのに対して,臨床医学は工学のように理論の社会への適応をめざす実践的学問である。

 このように,臨床医学は実践的学問であるので,必然的にフィールド・ワークが中心となる。臨床医にとってフィールドとはベッド・サイドである。ベッド・サイドで患者を自分自身で診ることが臨床医学の原点である。William Oslerが言ったように,まさに「われわれは患者と共に学び始め,患者と共に学びを続け,患者と共に学びを終える」のである。だから,学生時代に講義と試験中心であった研修医は,学生時代の机上の勉強から実地でのフィールド・ワークへ行動様式を180度変換させなければならない。医学部を卒業して研修医として働き始める時に,研修医が最も戸惑うのはこの完全に逆方向ともいえる環境の変化である。

 学生時代には一応病院実習という形でこのフィールド・ワークは行ってきたはずである。しかし,現在の日本の医学教育ではアメリカの医学生のクリニカル・クラークシップとはまったく異なって,実際的な臨床実習は行われていないようである。医学部の病棟実習で患者を診ることが大切だと指導されて病棟実習に励んでも,試問や試験で結局は重箱の隅をつつくような知識ばかり聞かれ,まじめに臨床実習を行った学生が損をするというような状況が今でも続いているようである。学生時代には実際のフィールド・ワークをさぼっていても,試問や試験を通ればそれで許されていた。しかし,臨床研修を行う研修医にとっては実際のフィールド・ワークこそが試験の場なのである。

 したがって,患者を運ぶ,患者のバイタル・サインを計る,採血や点滴をする,オーダーを出すなどの雑務はフィールド・ワークの重要な仕事である。フィールド・ワークでは頭だけでなく体を動かさなければならないのである。そして,このフィールド・ワークでこそ書物には記載されていないような知識や知恵を学ぶことができるのである。

真理の追究目的から患者の幸福目的へ
臨床医学の目的は患者の幸福である

 ここで実際の臨床研修というフィールド・ワークを行うにあたって,絶対に忘れてはならないことがある。それは,臨床医学というフィールド・ワークの目的は患者の幸福であるということである。臨床研修の目標は,学問的真理の追究や研修医自身の満足だけでなく,患者の幸福なのである。したがって,必要のない検査のために患者に合併症が起こったとか,自分が手技を身につけたいからという理由だけから不必要な手技を行い余計な合併症を起こしてしまったなどということは絶対にあってはならないのである。このことを言い換えると「患者中心の医療」を行うということである。

 近代医学の歴史を紐解くと,18世紀のモルガニーニの病理解剖学などの実験医学を通して,19世紀後半から20世紀初頭にかけてドイツ医学全盛時代を迎える。この期間に,ミュルレルの解剖学,フォン・ヘルムホルツの生理学,ウィルヒョウの病理学,コッホの細菌学など数多くの英雄が現れて基礎医学が飛躍的に発展した。これらそれぞれの分野で英雄たちが真理を追究したことによって基礎医学が発展したが,ドイツ医学は基礎医学という理論に固執し実践的な臨床医学を軽視したため,やがてアメリカ医学にとって変わられる。

 19世紀に医学発展途上国であったアメリカは,当時の医学先進国であったドイツに追いつき追い抜くために国を挙げて取り組んだ。1893年にJohns Hopkins大学が医学部を大学院大学としたことに始まり,体系的で組織立った医学教育制度を構築し,かつ,専門医制度を確立することに成功したのである。また,基礎医学の分野でも多額の研究資金を投入して優れた研究成果を上げるようになった。このように実践的な臨床医学制度を導入し,かつ,基礎医学の分野でも成果を上げて,第2次大戦後アメリカ医学は世界のトップに躍り出るのである。

 このように研究至上主義で形而上学的な真理の追究に没頭したドイツと,その一方で,プラグマティックな臨床医学の普及に尽力したアメリカを形容して,「ドイツ医学は哲学であり,アメリカ医学は科学である」という記載を読んだことがある。

 過去には,医師は優れた研究者と同時に優れた臨床家であった時代があった。しかし,現在のように科学が高度に発展した社会では,優れた研究者と同時に優れた臨床家であるというのは至難の業である。臨床医学を実践する臨床家の目的は,患者の幸福であって,真理の追究のために患者の幸福を犠牲にしてはならない。臨床の現場で忙殺されていると,ついついこのほんとうの目的を見失ってしまうことがある。どんなに疲労困憊していても,どんなに急いでいてもこの究極の目的を絶対に忘れないようにすべきである。この医師の職業倫理については,日本医師会が平成16年に「医師の職業倫理指針」を発表した。

医療のパラダイム・シフトの諸相
・基礎医学から臨床医学の時代へ
・疾患志向型から問題解決型の時代へ
・専門医から総合医の時代へ
・単純系から複雑系の時代へ
・確実性から不確実性の時代へ
・各国主義からGlobalizationの時代へ
・画一化からtailor-madeの時代へ
・医師中心から患者中心の時代へ
・教育者中心から学習者中心の時代へ

求められる意識改革
・プロ精神を持つ
・フィールド・ワークを行う
・真理の追究目的から患者の幸福目的へ
・知識を知恵にする

参考文献
1)小川鼎三:医学の歴史(中公新書,1964)
2)日本医師会:医師の職業倫理指針,平成16年2月(日本医師会雑誌第131巻,第7号,平成16年4月1日発行)

次回につづく


田中和豊
1994年筑波大卒。横須賀米海軍病院インターン,聖路加国際病院外科系研修医,ニューヨーク市ベスイスラエル病院内科レジデント,聖路加国際病院救命救急センター,国立国際医療センター救急部を経て,2004年済生会福岡総合病院救急部,05年より現職。主著に『問題解決型救急初期診療』(医学書院刊)。