医学界新聞

 

看護のアジェンダ
 看護・医療界の“いま”を見つめ直し,読み解き,
 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。
〈第19回〉
「かんじゃさま」再考

井部俊子
聖路加看護大学学長


前回よりつづく

「さん」から「さま」への変化

 「1996年4月1日は月曜日であった。1階の受付や会計窓口からは○○様というやわらかな声が聞こえた。2階,3階の各科外来の窓口でも,検査室での呼び出しも,見事に変わっていた」。今から10年前,当時,看護部長・副院長として勤務していた聖路加国際病院の,患者名の敬称が「さん」から「さま」に変わった瞬間である。

 「変化」はこうして実現した。「3月27日水曜日,1995年度最後の婦長会が開かれた。その席で,“プロの原点としてのマナー”という8頁に及ぶパンフレットが全看護職員分用意され,各婦長に渡された。会議が終わりに近づいた頃,外来婦長の一人が,“受付窓口での対応のところに書いてありますが,こんどから呼び出しは○○様とするのですね”という発言があった。私は一瞬ためらったが“そうです”と答えた。“新人も来ることですし,4月からそうしたい”といった内容のことを述べた」。(拙著,マネジメントの魅力,135-138,日本看護協会出版会,2000年.)

 患者名の敬称変更は他の部門にも波紋をもたらした。「婦長会が終わって一時間もたたないうちに医事課長」がやってきて,「“外来の看護婦さんたちは患者さんを○○様と呼ぶことに決めたそうですが,これは窓口で足並みをそろえなくてはならないし,医事課としては明日から協力してくれと言われても困ります”と言う。情報の浸透の速さに私は内心驚いた」と私は記している。

 まだあった。「しばらくして別の会議から戻ると,机の上にメモがあり,検査技師長が電話をほしい」という。そして,「検査室ではすぐに○○様には変えられない。業務通達が出れば統一できるが」と言う。「しかし,○○様と呼ぶことに反対はしていないし,いいことだと思っていることや,いろいろな意見の人がいてすぐに全員が協力できないかもしれない」という話を「私」は聞いたあと,こう答えている。患者名の敬称を一律に規制しようとするものではないこと,受付窓口での呼び出しに限定していること,さらにどのような敬称で名前を呼ぶかは関係性によって変化するものであること,そしてこうもつけ加えた。「できれば業務通達といった命令で動くのではなく,皆がよいと思っていることを協力して実行したいと思っていること」を。「検査技師長は“わかりました。何とかやってみます”といって電話を切った」とある。

 当時,サービスの質を議論している中で,銀行やホテルでは○○様と呼んでいるのに,病院はなぜ○○さんなのか,○○様と呼ぶと何が変わるのかなど話題になっては消えていた。実は,受付窓口の呼び出しの際に用いる敬称を変えるという小さな変化を起こすのに,1年以上もかかっていたのである。

 看護部長・副院長としての私は,その後,4月2日の事務系責任者会議や,4月3日の医師の部長会などで,マナーのパンフレットを配布し,患者名につける敬称の考え方を述べ,「変化」への協力を感謝している。

一般名詞に敬称は不要

 あれから10年,2006年6月のある幹部候補生の研修会で,この敬称について受講者の一人がこのように発言した。「私は患者様というのはおかしいと思う。様というのは,自分がそうなりたいものにつける敬称と聞いている。誰も患者になりたいと思わない。どう考えたらよいのか」という。

 一連の「さん」から「さま」への変革は,「患者名につける敬称」について言及しているのであり,「患者」という一般名詞に敬称は不要であると私も思う。デパートの店員が「こちらに“お名前さま”を書いてください」というのも甚だ奇妙である。とすると“お医者さま”はどうなるのか……。

次回につづく