医学界新聞

 

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第88回

ピル(医療と性と政治)(19)
「性の乱れ」を防ぐことに躍起となる権力者たちの習性

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2689号よりつづく

 これまで,18回にわたって,ピルの開発・普及の歴史を振り返ってきた。半世紀以上前のあるディナーの席で,マーガレット・サンガーがグレゴリー・ピンカスをたきつけたことがピルの歴史の始まりとなったのだが,2人がピルのアイデアを初めて話し合った当時の米国は,避妊の普及活動をすること自体が違法とされた時代だった。

政治的手段で「性の乱れ」を防止?

 そもそも,なぜ,米国で,避妊普及活動が違法とされたのかというと,それは,「避妊が普及すると『性の乱れ』を招く」と,為政者たちが危惧したからにほかならない。実は,権力を持つ人々が「性の乱れ」を防ぐことに躍起となる現象は,決して過去に限った話ではなく,いまも,多くの政治家が,「性の乱れは防がなければならない」という強い「信念」の下,避妊の普及を妨げるために努力を傾注しているのである。

 しかし,避妊普及活動を犯罪として取り締まることが1965年の最高裁判決によって不可能となったため(この判決については次回詳述する),いま,「性の乱れ」を招来することを危惧する政治家たちが避妊普及を妨害する手段は,予算処置や,行政への介入という,「政治的手段」へと変わってきている。例えば,本シリーズの冒頭で,米国で,緊急経口避妊薬「プランB」の処方箋不要化が政治的理由によって妨げられている事例を紹介したが,政治が行政の判断に介入する手口の典型例といってよいだろう。

 また,予算処置による避妊普及活動妨害の典型は,HIV感染予防に関する国際協力に見ることができる。例えば,90年代,ウガンダ政府は,HIV感染を予防するために,大統領自らが先頭に立って「ABCキャンペーン」を展開,劇的効果を上げた〔Aはabstinence(禁欲),Bはbeing faithful(浮気をしない),Cはcondom(コンドーム使用)の略であり,HIV感染を予防するための3段構えの防御策を呼びかけたものだった〕。一方,ブッシュ政権は,03年から,主にアフリカ諸国を対象とした,巨額のエイズ支援緊急資金協力を展開しているが,予防活動に関する資金協力については「禁欲キャンペーンに限る」という条件を課し,例えば「ABCキャンペーン」を含むプログラムには資金協力しないという方針を採っている。その結果,米国の資金援助が得られるかどうかは国家財政に多大な影響を与えるだけに,ウガンダ政府は「ABCキャンペーン」を縮小,「禁欲キャンペーン」へと切り替えざるを得なくなった。「性の乱れ」(それも他の国の)を防ぐことに情熱を燃やす米国の政治家の圧力が,HIV感染予防活動の実効性を大きく削ぐという,「悲劇的な」結果を招来しているのである。

奇怪な日本の薬事行政

 ところで,権力者が「性の乱れ」を防ぐことに躍起となるのは,日本も例外ではない。例えば,90年代の日本は,先進国中,唯一低用量ピルを承認していない国として知られたが,関連諸学会の進言にもかかわらず承認がなされなかった原因が,政治家たちが「性が乱れる」と反対し続けたことにあったことは周知のとおりである。

 低用量ピルの認可申請から10年近くが経った99年4月,ニューヨークタイムズ紙に,日本で低用量ピルが承認されていない背景を紹介する記事が掲載されたが,私は,その記事を読みながら,恥ずかしさで身が縮むような思いをせざるを得なかった。

 記事は,シェリル・ウダン記者の執筆になるものだったが,ウダンは,まず,日本では,低用量ピルが認可申請後10年近く承認されていないこととはまったく正反対に,勃起不全症治療薬バイアグラが認可申請後わずか6か月という「超特急」で承認された事実を紹介した。さらに,ウダンは,日本では,世界的に安全性が確立された低用量ピルが認可されていないだけでなく,副作用ゆえに米国では88年以降販売されなくなった「危険な」高用量ピルのみが認可され,販売され続けている事実をも紹介,日本の薬事行政の奇怪さを米国の読者に印象づけた。

一転,認可された低用量ピル

 日本で低用量ピルの認可が遅れていることの理由について,ウダンは,「ピルが解禁されると,『性の乱れ』や『性病の蔓延』が危惧される。実際,日本では若年者の性病感染率が上昇傾向にある」とする,厚生省(当時)の言い分を紹介したが,その一方で,低用量ピルが承認されている米国では,厚生省の危惧とは裏腹に性病感染率が低下傾向にある事実を挙げ,その論理の根拠の薄弱さを際立たせた。

 さらに,ウダンが,「バイアグラが『超特急』で認可されたのは,有力政治家が,自分たちで使いたいと圧力をかけたからだ」という風評があることを紹介したうえで,「『バイアグラを使用している』とメディアに書かれた政治家2人が,出版元を告訴した」と書いたくだりを読んだ時,私の「恥ずかしさ」は頂点に達したのだった。

 「有力政治家がバイアグラ承認を急がせた」と,ウダンが米国の読者に紹介した風評が真実であったのかどうか,私には知るよしもないが,「バイアグラをスピード承認した一方で,ピルは10年近く承認していないのは男女差別」とする批判が日本の薬事行政に大きな影響を与えたことは,間違いがないようである。というのも,バイアグラが認可されてからわずか半年後の99年6月,「性が乱れる」と,ずっと女性がアクセスすることが妨げられてきた低用量ピルが,科学的・医学的状況が大きく変わったというわけでもないのに,一転,認可されたからである。

この項つづく