医学界新聞

 

連載
臨床医学航海術

第6回   意識改革(1)

田中和豊(済生会福岡総合病院臨床教育部部長)


前回よりつづく

 臨床医学は大きな海にたとえることができる。その海を航海することは至難の業である。吹きすさぶ嵐,荒れ狂う波,轟く雷……その航路は決して穏やかではない。そしてさらに現在この大海原には大きな変革が起こっている。この連載では,現在この大海原に起こっている変革を解説し,それに対して医学生や研修医はどのような準備をすれば,より安全に臨床医学の大海を航海できるのかを示したい。


 前回までに現代医療には9つの大きなパラダイム・シフトが起こっていることを解説した。このような歴史上始まって以来の大きな変革を乗り切るためには,私たちはまず最初に私たち自身の意識を改革しなければならない。臨床医学の大海を航海するにあたって,筆者は医学生や研修医に4つの意識改革を行うことを勧める。その4つの意識改革とは,「プロ精神を持つ」,「フィールド・ワークを行う」,「真理の追究目的から患者の幸福目的へ」と「知識を知恵にする」である。今回は第1の意識改革である「プロ精神を持つ」ことについて述べる。

プロ精神を持つ

 まず最初に筆者が医学生や研修医に自問してほしいのは,「医学部に入れば一生楽して生きていけると思っていないか?」ということである。医師とは専門職である。ところが,多くの医学生や研修医と関わっていると,それを疑いたくなるような医学生や研修医が多すぎるように思う。病院見学に来る医学生や研修医志願の面接試験を受ける医学生を見て驚くのは,「学生の時はクラブ活動で汗を流し,社会性を養いました。体力だけが自慢です。研修医になったら医学の勉強に専念しようと思います」という学生がいまだにいることである。確かに過去には「学生時代=遊び」,「研修医時代=勉強」という図式が成り立った時代もあった。しかし,現在は前述したように医師として働くためには膨大な基礎医学,臨床医学,そしてEBMの知識を頭に入れなければならない。コンピュータも英語もできなければならない。したがって,現代のような日進月歩の時代に学生時代に遊びほうけて研修医になってから勉強すれば何とかなると思っている医学生は,それ自体で専門職としての医師として失格であると筆者は考えている。実際このような発言をする医学生は研修医になってもあまり進歩しない。このような学生は結局スポーツを勉強をしなかったことへの言い訳にしているのである。また,不勉強である理由をスポーツなどのクラブ活動のせいにするのはスポーツマンシップから考えても疑問である。もちろん筆者は学生時代に遊んだりクラブ活動をすることが悪いといっているのではない。医師として働くには体力も必要である。しかし,体力だけではこの時代にどうにもならないのである。知力・体力・情操などすべてが必要なのである。だから,上述のような学生に出会うと,筆者は「生きた化石」といわれるシーラカンス,あるいは,絶滅したはずの恐竜に出会ったような感覚を受ける。

医師憲章

 医師は専門職であるので,専門職をめざす医学生や研修医ならば,ぜひプロ精神を持ってもらいたい。このことと関連して,2002年にEuropean Federation of Internal Medicine, American College of Physicians-American Society of Internal Medicine(ACP-ASIM)とAmerican Board of Internal Medicine(ABIM)は新世紀の医師のプロ精神=医師憲章を発表した。彼らはそこで,医師のプロ精神に関して,(1)患者の福祉優先の原則,(2)患者の自立性の原則,(3)社会的公正の原則の基本原則と10の職業的責任を定めている。そして,プロ精神として,(1)患者の利益を自己の利益よりも優先する,(2)高い倫理水準,道徳水準を遵守する,(3)社会のニーズに応える,(4)誠実,思いやる心,隣人愛,首尾一貫していることなどの重要な人間的価値を体現している,の4項目を挙げている。

プロ精神とは有道者精神

 医師憲章ではプロ精神はこのように定義されたが,筆者はプロ精神professionalismの根幹をなすものは有道者精神であると考えている。つまり,その有道者精神とは,プロたるものは他人との優劣を競うだけではなく,自分の理想にできる限り近づくように不断の努力をするというものである。すなわち,プロの医師ならば自分の患者に対して最善の治療をしようと努力する。プロの芸術家ならばコンクールの結果だけでなくできるだけ完璧に自らの芸術を作り上げる。プロのスポーツ選手ならば勝ち負けという結果だけでなく,できるだけ完璧に自分の理想のプレーをする。プロ精神として,確かに前述の医師憲章の4項目は重要である。しかし,プロは単に社会のニーズに応えるだけでなく,完璧をめざすべきなのである。この精神を筆者はあえて完璧主義perfectionismと言わずに有道者精神と呼びたい。なぜならば,完璧主義という言葉は,「医師=完璧=絶対」というイメージから医師絶対の思想,つまり,paternalismを連想させるからである。もしも学生や医師が,このような有道者精神あるいはプロ精神を持っているのならば,「学生時代はクラブ活動に専念して,卒業後は医学の勉強に集中したい」などという発言をするだろうか? プロ精神は学生時代から持つべきものである。

 この有道者精神がどのようなものであるのかが,第1回連載で紹介した森鴎外の小説『カズイスチカ』からうかがえる。主人公の青年医師花房は開業医である父の日常生活を見て,「父がつまらない,内容の無い生活をしているように思って,それは老人だからだ,老人のつまらないのは当然だ」と思っていた。しかし,あるとき花房は熊沢蕃山(くまざわばんざん)の書いたものに,「志を得て天下国家を事とするのも道を行うのであるが,平生顔を洗ったり髪を梳(くしけず)ったりするのも道を行うのであるという意味の事が書いてあった」のを読んだ。「花房はそれを見て,父の平生を考えて見ると,自分が遠い向うに或物を望んで,目前の事を好い加減に済ませて行くのに反して,父はつまらない日常の事にも全幅の精神を傾注しているということ」に気づき,父を有道者として尊敬し始める。この小説で若い花房が父である翁(おきな)に及ばないと思った点が2点あるという。第1は「一種のCoup d'œil(クウドヨイユ)」。すなわち,「『この病人はもう一日は持たん』と翁が云うと,その病人はきっと二十四時間以内に死ぬる」ことを見抜く心眼力である。そして,第2は,「翁は病人を見ている間は,全幅の精神を以て病人を見ている。そしてその病人が軽かろうが重かろうが,鼻風だろうが必死の病だろうが,同じ態度でこれに対している」点であった。この「全幅の精神を以て病人を見ている」という態度こそが医師としてのプロ精神であり,そして,そこに若い花房は父の医師としてのプロ精神を発見し,父を有道者として尊敬するようになったのである。

 現在の新医師臨床研修制度の到達目標の1つに,医師としての人格を涵養するとある。今の若い研修医に,この森鴎外の小説『カズイスチカ』を読ませて,「軽症であろうが重症であろうが全幅の精神をもって患者を診ろ」などと言っても,老人のたわ言と言われるのが関の山,と思うのは筆者だけであろうか?

医療のパラダイム・シフトの諸相
・基礎医学から臨床医学の時代へ
・疾患志向型から問題解決型の時代へ
・専門医から総合医の時代へ
・単純系から複雑系の時代へ
・確実性から不確実性の時代へ
・各国主義からGlobalizationの時代へ
・画一化からtailor-madeの時代へ
・医師中心から患者中心の時代へ
・教育者中心から学習者中心の時代へ

求められる意識改革
・プロ精神を持つ
・フィールド・ワークを行う
・真理の追究目的から患者の幸福目的へ
・知識を知恵にする

参考文献
1)European Federation of Internal Medicine, American College of Physicians-American Society of Internal Medicine(ACP-ASIM), American Board of Internal Medicine(ABIM): Medical professionalism in the new millennium: a physician charter. Ann Intern Med 2002:136:243-6.
2)森鴎外:カズイスチカ,山椒大夫・高瀬舟(新潮文庫)

次回につづく


田中和豊
1994年筑波大卒。横須賀米海軍病院インターン,聖路加国際病院外科系研修医,ニューヨーク市ベスイスラエル病院内科レジデント,聖路加国際病院救命救急センター,国立国際医療センター救急部を経て,2004年済生会福岡総合病院救急部,05年より現職。主著に『問題解決型救急初期診療』(医学書院刊)。