医学界新聞

 

名郷直樹の研修センター長日記

30R

優雅で感傷的な日本医療

名郷直樹   地域医療振興協会 地域医療研修センター長
東京北社会保険病院
横須賀市立うわまち病院
市立伊東市民病院臨床研修センター長


前回2686号

●月×日

 今週の研修の振り返りのひとコマ。循環器内科をローテートし始めた研修医が,この1週間を振り返って言う。

「何も知らないために何もできない自分が悔しい。指導医の先生に聞けば何でも事が進んでいくのに」

 これはかなり私自身のつぼにはまる発言だ。これこそ15年以上前の私自身の疑問じゃないか。でもこういう時こそ,落ち着いて反応しなければならない。

「そんな時こそ,何も知らない研修医に大きな役割があるところだと思うんだけど,どうかな?」
「知らないほうがいいことなんてあるんですか?」
「もちろんそう思うから,そう言っているんだけど」

いきなりぶつかった。まあ当然といえば当然だけど。でも私には明確だ。何を研修医に伝えたいか。

 めざすは,「優雅で感傷的な」日本医療。循環器の専門的なことについて,知っていてもいいけど,知らないほうがいいのだ。「優雅で感傷的な」日本循環器医療のためには。さらに医者としての専門的なことについても同じで,知っていてもいいけど,それだって本当は知らないほうがいいのだ。「優雅で感傷的な」日本医療のためには。わけがわからないだろう。そんなこと研修医に言っても。

 それではこれならどうだ。「優雅で感傷的な」日本のへき地医療。ちょっとわかる気がする。へき地医療について,知っていてもいいけど,知らないほうがいいこともたくさんある。「優雅で感傷的な」日本のへき地医療実践のためには。伝えたいのはそんなことなのだけど。そんなことじゃわからないな。頭の中で説明を考えてみる。

 まずひとつ大事なこと。医療について知っている人に,医療について語らせる。普通はそれしかできない。医療について知らない人に,医療について語らせるのは無理な相談で,そんなことは当たり前だ。果たしてそうか。知っているということは,知らないことを必ず含んでいる。全部を知っているなんてことは,それもまたありえない。それは知らないことについて語る以上にありえないことだ。実は知らないで語ることも,知ったうえで語ることも,実はどちらもありえないことなのだ。ゆえに,知っていることについてだけでなく,知らないことについても,自由に語ることが許される。だから知らない循環器のことについて自由に語ればいいのだ。研修医こそ,そんな役割を担うことができる。それこそ「優雅で感傷的に」医療を語る唯一の医者。

 もうひとつの大事なこと。知らないから知りたい。既存のローテート科の研修では,そういう当たり前のことが起きる。しかし今この場で,その当たり前のことが起きない。多分私が何を言っているのか研修医は知らない。どちらも同じ知らないことなのに,循環器のことについては知りたい。今私の言っていることについては知りたくない。知らないことは全部同じ。専門医療についても,一般医療についても,医療以外についても。知らないことをすべて同じように知らないと言える「優雅で感傷的な」唯一の医者,それが研修医ではないか。

 私の言っていることについて,知りたくない,という壁をいかに乗り越えるか。とりあえず1冊の本が勧めたくなる。

「いい本があるんだ。忙しい研修中に読むのは難しいかもしれないけど。『優雅で感傷的な日本野球』って小説なんだけど。野球の本のように思うかもしれないけど,ここには,優雅で感傷的な日本医療のことが書かれているんだよ」

 知らないことを知りたいと思うのは普通のことだ。循環器についての専門的なことを知りたいと思うように。循環器について知りたいと思うのは当然と感じられるのに,へき地医療について知りたいと思うのは当然と感じられない。この差は何だ。循環器について知りたいと思うように,日本のへき地医療について知りたいと思ってもらうためには,どうしたらいいのか。キーワードは,「優雅で感傷的」だ。「優雅で感傷的」な循環器医療なんてわけがわからない。でも「優雅で感傷的な」へき地医療というとかなりピンと来る。私はますますピンと来て,研修医はますますわけがわからない。

「知らないというのは,とても優雅で感傷的なことなんだ。そして,へき地医療ではそれがとっても大切なことだと実感した。それが,自分自身がへき地医療を続けた中での,リアルな感想なんだ。どう? 優雅で感傷的な日本のへき地医療について,少しは知りたくなったかな?」

(参考文献)
高橋源一郎:優雅で感傷的な日本野球(河出文庫)


名郷直樹

1986年自治医大卒。88年愛知県作手村で僻地診療所医療に従事。92年母校に戻り疫学研究。
95年作手村に復帰し診療所長。僻地でのEBM実践で知られ著書多数。2003年より現職。

本連載はフィクションであり,実在する人物,団体,施設とは関係がありません。