医学界新聞

 

ストレスマネジメント
その理論と実践

[ 第3回 セルフケア(1) ストレスへの気づき ]

久保田聰美(高知女子大学大学院 健康生活科学研究科 博士課程(後期))


前回よりつづく

 セルフケアの出発点は,自分自身のストレスに気づくことです。しかし,このストレスという相手は意外と手ごわく,得体のしれないところがあります。日頃は,「最近胃が痛くて」「ストレスじゃない?」と何気ない会話の中で出てくるものの……さて,自分にとって何がストレスなのかと振り返ると答えに困ることはないでしょうか?

自らのストレスに気づかないナース

 先日「最近食べた後すぐに胃が張ってきて,お勧めの胃薬ないですか?」とある若いナースが相談にやってきました。

 彼女はいつも真面目すぎるほどの勤務態度で,毎日遅くまで記録に追われ,夜勤明けのときもサマリーを書いている姿が気になっていました。そこで,「サマリーなんてたまには遅れてもいいから」と助言しました。すると,「いえ,油断してたらすぐに転院が決まるし……」「そのときは誰かが書いてくれるよ」「そんな……,とんでもないですよ。みんなに迷惑かけますから」「あなたが頑張っているのはみんなよくわかっているから,たまには休んでいいのよ」「大丈夫です,ちゃんと休んでます」といった調子です。

 そんな会話を横で聞いていた研修医が「ストレスだよ,ストレス!」とちょっと茶化した感じで会話にはいってきました。それに対して「私ストレスは全然ないですよ! 仕事も楽しいですし……」と真顔で答えたのです。その表情は,真剣そのものでした。

 そのとき,本人が本気でストレスがないと思っている様子に,筆者自身驚きを感じたのをよく覚えています。実は,「最近宴席での飲み方や行動をみているとかなりストレスがたまっている様子なので気をつけてほしい」と主任から報告を受けたばかりだったのです。

 周囲の人たちが気づくくらい,ストレスフルな状況であっても,本人がストレスに気づかないことはよくあります。彼女のように真面目で周囲を気遣い,献身的な働きぶりのナースにはよくみられます。彼女の言葉の向こうには,自分がストレスを感じることはまわりを批判していることにも繋がるという思い込みも少し感じました。そうした思い込みを修正し,自分自身のストレスに気づくような周囲の働きかけも重要となってきます。

ストレス要因への認知の歪み

 一方,「ストレスで胃が痛い!」「ストレスで眠れない!」と口癖のように話している人もよくみかけます。その様子からとてもストレスマネジメントがうまくいっているようには感じられません。よくよく話を聞いていると,「またAさんと夜勤がついてるわ,最悪」「これだけ苦労して退院調整したって,どうせまた入院が……」「どうせ意見したって何も変わらないし」等々,まわりの状況の捉え方が偏っていたり,被害者的思考が強く自らストレスをつくりだしていっているようにも感じられます。「そういうあなたの話を聞く私の方がストレスだわ」という周囲の人の声も聞こえてきそうです。

 しかし,こんな人に「そうかなあ」と素朴な疑問を投げかけてみても,「何をいっているの,あなたは」と反論されそうで,なかなか言い返せないムードを持っています。そんな状況を打破する手立てはないものでしょうか?

ストレスとは?認知的評価と問題解決的対処

 こうして考えていくとストレスの捉え方の難しさがわかってきます。この問題は,専門家の間でも議論の歴史があるほどなのです。そこで,少し堅苦しい話になりますが,ここでストレスの定義を概観してみましょう。ストレスの定義は研究者の数だけあるとも言われていますが,大きく二つの流れがあります。

 一つは,セリエに代表される直線的な因果関係の考え方による「外的刺激要因に対する生体の防御反応」としてのストレスです。会社の経営状態が悪くなると血糖値が跳ね上がる糖尿病の社長さんというのもよく聞く話です。一見,ストレスに強そうと評価される筆者も,数十年振りに学生に戻った大学院での試験のたびに過敏性大腸炎で悩まされました。セリエは,こうしたストレスを引き起こす要因をストレッサー(経営不振や試験),その結果引き起こされる反応をストレス反応(血糖上昇や過敏性大腸炎)と呼んだのです。

 セリエの定義は,どんなストレッサーでも同様の反応が起こる(非特異的反応)というものでした。しかし,試験を受けている同級生がみんなトイレに駆け込んでいるわけでもありません。この状態への説明として個人差や緩衝要因等を組み込んだ形で発達してきたものの一つが,NIOSH(National Institute for Occupational Safety and Health)の職業ストレスモデル1)です(図1)。

図1 NIOSHの職業性ストレスモデル
出典:原谷隆史,川上憲人:労働者のストレスの現状,産業医学ジャーナル,22(4),1999.(吹き出しは筆者追記)

 しかし,試験を受けている同級生を見回してみると,ストレス反応どころか平然としている人もいます。こうした人たちは何のストレスもないのでしょうか? そうした疑問に答えるもうひとつの流れがラザルスらに代表される,ストレスの二方向的な処理過程としてのプロセスを重視した相互作用モデル(図2)です。

 このモデルにおいて,ストレスとはその人自身が環境との関係において,負担や脅威を感じ“対処”が必要だと“評価”されるものだとされています。つまり,「重大なストレスとは時には危機とも呼ばれるもの」ではありますが,一方では「自分たちがそれまで持っていると思ったこともない適応的な対処の原動力を引き出してくれるもの」でもあるのです2)。

 一見すると平気な顔をして試験を受けている友人は,ストレッサーである試験を「これはなかなかてごわいぞ」と感じたものの(認知的評価),試験勉強をきちんとしているので(問題解決的対処),外からはわかりませんが,それはストレスがないわけではなく,対処の結果であると考えられます。認知的評価までは同じだとしても,家事や仕事を言い訳にして,肝心の試験勉強をせずに「駄目ならまた受けたらいい」と自分に言い聞かせている筆者(情緒的対処)とはちょっと違うのです。

日々の出来事にストレス理論を活用しよう

 ストレスの定義は諸説ありますが,どの立場がよいとか悪いとかではなく,みなさんの置かれているストレスフルな状況を理解するひとつの視点だと思い活用してみてはいかがでしょうか?

 ちなみに私は,試験のたびに起こるいろいろな反応は,私自身に気づかせてくれるサインとして捉えていました。そうして自分を冷静に見つめてみると,ストレッサーやまわりの環境の考え方にも変化が出てきます。前述の同様の状況であっても,「十分ではないけれど効率的な準備ができている」とか「子どもたちも協力してくれて今回は勉強時間も増えている」というふうに。そうすると不思議に身体症状も軽くなってくるのです。残念ながら,何度受けても試験は楽しいと感じるまでには至りませんでしたが,日々の出来事に応用してみたら,少しずつ楽しく感じることができるかもしれません。

 最後に文中の事例のような身体症状をすべてストレスのせいにしてしまう風潮が強くなってしまうのも考えものです。周囲の人とも相談しながら,気になる症状が続くときは早めの受診も大切です。

次回につづく

注:文中の事例は,個人を特定できないように脚色しています。ご了承ください。

引用・参考文献
1)原谷隆史:NIOSH職業性ストレス調査票,産業衛生学雑誌,40, A31-A32, 1998.
2)Lazarus R.S, Folkman S:Stress, Appraisal, and Coping 1974,本明寛,織田正美,春木豊訳,ストレスの心理学-認知的評価と対処の研究,実務教育出版,1991.


久保田聰美
保健師として働く人の健康づくりに関わったのち,近森病院で看護管理者として勤務。同時に産業カウンセラーとしてメンタルヘルス対策事業に取り組む。現在は病院を休職し,研究に専念。