医学界新聞

 

教養としての
Arztliche Umgangssprache als die Allgemeinbildung
医  者  

ディレッタント・ゲンゴスキー

〔第6回〕 検査用語


前回よりつづく

 今回は現代の医療になくてはならない,臨床検査に関連した医者語について,そこはかとなく書き綴ろう。体の中で起こっている変化を詳しく調べる手段としては血液・尿・病理組織etc.を扱う検体検査のほかにも,X線をはじめ内視鏡も含めた画像診断,さらには心電図・脳波などの生理検査がある。所見も正常だったり異常だったり,前回と変わらなかったり。また,開業の先生から総合病院に精査目的で紹介,ということもよく行われる。臨床の現場でどんな表現が使われるか,まずは例文でみてみよう。


【例文】

1.採血の結果,ワイセが8000と少し多めだがそれ以外はfast o.b.
2.HarnはきれいでZuckerもEiweiβも陰性だった。
3.このごろはマルクやルンバールの時にラインを取らないらしいよ。
4.EKGに異常があります。Herzをgenauに診ていただければ幸いです。―――ご紹介ありがとうございました。CAGでIHDは否定的でした。

標準的な日本語に訳すと
1.採血の結果,白血球が8000と少し多めだがそれ以外はほぼ異常なし。
2.尿に濁りはなく,糖も蛋白も陰性だった。
3.このごろは骨髄穿刺や腰椎穿刺のときに静脈路を確保しないらしいよ。
4.心電図に異常があります。心臓を精査して頂ければ幸いです。―――ご紹介ありがとうございました。冠動脈造影で虚血性心疾患は否定的でした。

特記することなし

 それでは今回も,出てきた医者語にゲンゴスキー流解説を加えよう。ワイセとはweiβe Blutkörperchen,白血球のこと。形容詞weiβ(白い;-eは次に来る中性名詞用の活用語尾)がBlut(ブルート:血液)の中のKörperchen(ケルペルヒェン:小体),つまり「血球」を修飾している。英語にすればwhite blood corpuscle(or cell),略称WBCのことだ。ドイツ語のwは[v]の発音になるので,weiβeをカナで近似すれば本来ならヴァイセとなるところだが,ドイツの大衆車Volkswagenが日本では「フォルクスワーゲン」で通っているのだから堅いことは言うまい。白血球を表すドイツ語にはギリシャ語系のLeukozyten(ロイコツィーテン,これは複数形で単数形は~zytまで)もあり,医者語としては「ロイコ」という省略形で使われることが多い。

 さて,fast(ファスト)とは「ほとんど」という意味のドイツ語の副詞。検査で特に異常がなかったことを表す医者語のひとつo.b.(オーベー,o.B.やO.B.とも書かれる)とはohne Befund(オーネ ベフント)の略。ohneは整形外科特集にも出てきた「~なしに」というの前置詞。Befundは動詞befinden(認める,見いだす)から派生した名詞で「見いだされた状態」を表し,医学用語としては「所見」ということになる。複数語尾の-eが付いたBefunde(ベフンデ)という形も使われる。つまり,o.b.は英文カルテならさしずめunremarkableに当たる表現と言えるだろう。異常なしを意味するドイツ語系略語としては,このオーベー以外にn.b.エヌベーもよく使われた。Besonderes(ベゾンデレス:特別なもの)をnichts(ニヒツ)で否定するのだから,特に変わったことのない状態を表す。つまり,こちらは英語のn.p.(nothing particular)に相当する。

卵の白身

 Harn(ハルン:尿)は医者以外の職種の人たちもまだまだ頻繁に使っている,現役の業界単語。例えば「先生!308号室のA雄さん,きのう一日でハルンが300(ml)しか出てないんですけど,どうします?」。Hrなどと略記されることもある。その尿の中に検出されると異常所見となるEiweiβ(アイヴァイス:蛋白)とはドイツ語お得意の合体産物で,Ei蛋(つまり卵)の中のWeiβ(白いもの)。白血球のところで出てきた形容詞weiβの語頭を大文字で綴ると名詞になる。次のZuckerは英語のsugarに相当する語。点滴ボトルの液がなくなりそうなときに「とりあえずゴプロのツッカーでつないどいて」,と言われたら,5%ブドウ糖液で継続しといて,ということ。ドイツ語で百分率はProzent(プロツェント)と言う。

プンク

 血管以外のところに針を刺したり管を突っ込んだりして体液や標本を取ってくる,いわゆる浸襲的な検体検査というものがある。その代表として例文に掲げたマルクとは,Knochenmark(クノッヘンマルク:骨髄)の生検を指す。ドイツ語Markは本来いろいろなものの「髄,芯」を表しうる語だが,医者語に限れば脊髄(Rückenmark:リュッケンマルク)の略として使われることはほとんどなくなったから,現在では混同の心配はなさそうだ。もう1つのルンバールはLumbalpunktionの前半,「腰部の」という部分が検査の通称として使われたもの。Punktion(プンクツィオーン:穿刺)はプンクと通称され,検査手段としてだけではなく,治療目的でも行われる。

 さて,その穿刺手技であってはならないことと言えば……「おい,シーカンがプラスだから気をつけろよ!」。そう,針刺し事故だ。シーカンはC型肝炎,ここでは被検者がそのウイルス抗体陽性という意味。ちなみにB型肝炎はビーカン。梅毒については,昔のワッセルマン反応に由来する「ワ」ないし「Wa」が今でも隠語,符牒として使われることがある。

略語は危ない

 例文4に出てくるドイツ語genau(ゲナウ)はここでは正確に,詳しくという副詞。形容詞としても使われ,例えばgenaue Untersuchung(ゲナウエウンターズーフンク)とは詳しい検査。すなわち精査(-eは活用語尾)。Herz(ヘルツ:心臓)は普通の独和辞典にも載っている一般語につき解説は省略。

 さて例文4にある略語のうち,ElektrokardiogrammのEKGを英語版のECG(electrocardiogram)と入れ替えても,綴りの似具合と文脈から類推は容易だろう。しかし後半の2語,それぞれcoronary angiography, ischemic heart diseaseの略は循環器疾患に詳しくない先生には通じないおそれがある。もちろん,この例文は略語の弊害を強調するために誇張してある。明らかにドイツ語のほうが得意とわかる紹介元の先生に,英略語だらけのこんな返事を書く鈍感な専門医は現実にはいないと信じたい。もしも本当に「自分がわからないドイツ語を使われた仕返しに,わざと英語を使ってやった」という確信犯がいたとすれば,専門技術を深める前に人格形成をやり直した方がよいのではなかろうか。しかし故意ではなくとも,普段使い慣れている自分の専門領域の略語が相手に通じるかどうか,あまり気にせず院内の対診依頼状などに書いてしまう先生はときどき見かける。

 略語には専門が違うと通じないという以外にも大きな問題がある。同じ文字列が複数の医学用語の略になりうることだ。特にアルファベット2文字の語は危ない。筆者も脳血流シンチグラフィの依頼状に書かれている「PD」がperfusion defect,Parkinson's disease,posterior dementiaのどれの略だろう,と迷ったことが実際にある。「DM」も糖尿病diabetes mellitusの略として非常にポピュラーではあるが,文脈によってはdermatomyositisかも知れない。筋肉に症状がある症例では時にまぎらわしい。

おぬし何者?

 ある日,かくしゃくとした老婦人に注射をしようとすると,ちらりとこちらを見て,「わたしゃゲフェースが細いので気をつけてくださいヨ」とおっしゃる。ピンと来たのでカルテの表紙を見ると,思ったとおり健康保険の種別が医師国保だった(つまり開業の女医さん)。センセイ,同業者を驚かすのは止めてください。Gefäβとは液体を容れる容器ないし脈管のこと(英語ならvessel),ここでは静脈の意味で使われている。

つづく

次回予告
今度は病棟で使われる医者語を集めて語ってみよう。エントの前にキカテキゴコーシンをお願い致します,などとよく使うが,entlassenの反対語をご存知か?

脚注:前々回掲載の産婦人科用語のうち,qfbは横指径(オウシケイ)ではないか,とのご意見をいただきました。まことにその通りで,慣用では「径」が省略された形をよく耳にするものの,原語に幅を意味するBreite(形容詞形ならbreit)という語が含まれている以上は日本語訳もそれを反映したものが正式です。ご指摘くださった読者の方に感謝します(ゲンゴスキー)。


D・ゲンゴスキー
本名 御前 隆(みさき たかし)。1979年京都大学医学部卒業。同大学放射線核医学科勤務などを経て現職は天理よろづ相談所病院RIセンター部長。京都大学医学部臨床教授。専門は核医学。以前から言語現象全般に興味を持っていたが,最近は医療業界の社会的方言が特に気になっている。