医学界新聞

 

連載
臨床医学航海術

第5回   現代医療のパラダイム・シフト(5)

田中和豊(済生会福岡総合病院臨床教育部部長)


前回よりつづく

 臨床医学は大きな海に例えることができる。その海を航海することは至難の業である。吹きすさぶ嵐,荒れ狂う波,轟く雷……その航路は決して穏やかではない。そしてさらに現在この大海原には大きな変革が起こっている。この連載では,現在この大海原に起こっている変革を解説し,それに対して医学生や研修医はどのような準備をすれば,より安全に臨床医学の大海を航海できるのかを示したい。


 現代医療のパラダイム・シフトとして,最後にいまさらだが「医師中心から患者中心の時代へ」と「教育者中心から学習者中心の時代へ」の移行を取り上げたい。

医師中心から患者中心の時代へ

 医師=Doctorとはラテン語で「教師」を意味していた。したがって,医師には知識があり権威があった。そのため当然,患者の検査・治療についての最終決定権も医師に存在した。この考え方は父親が子供に最良のものを与えるように意思決定するのになぞらえて,一般にPaternalism(父親主義,家父長的権威主義,温情主義)と呼ばれてきた。そして,このPaternalismを背景にした医師絶対主義が,医療過誤や医療訴訟により崩壊したことは第3回の「確実性から不確実性の時代へ」の中で述べた。

 この医師絶対主義の崩壊とともに新たに台頭したのが「患者中心の医療」という新しい考えである。医師も患者も不確実で絶対的なものではないので,同じ不確実な存在ならば患者の利益を第一に考えようという発想である。この「患者中心の医療」という考えとともに医療の意思決定権は医師から患者に移ったのである。

 過去には患者のことを研究材料という意味で「マテリアル」などと呼んでいたこともあったようである。保阪正康著『大学医学部-命をあずかる巨大組織の内幕』には「戦前,病人はマテリアル(材料)と呼ばれ,珍しい病気の者で貧困なものは施行患者の扱いをうけ,研究材料となること,及び,死亡の際に病理解剖を受けることが条件とされた。『学問の進歩のために若干の犠牲がでるのは止むをえない』ことを考える風潮が大勢を占めていた。外来患者が学生の診断実習の材料となり,入院患者も指名されれば,臨床講義に出るのは当然のことであったし,外科手術に当って,患者が『万一手術中に死亡することがあっても一切異議申すまじく』という一札を病院側に入れる習慣が大学闘争の頃まで続いた」とある。しかし,現在自分が「マテリアル」になることを望んでいる患者はほとんどいないはずである。それどころか逆に,インターネットなどの情報を通じて医師や病院を患者が選択する時代になってきている。カルテなどの「医療情報公開」や「セカンド・オピニオン外来」などはこの「患者中心の医療」の例である。そして,この「医師中心から患者中心の時代へ」の変化に大きく貢献しているのが,前回述べたIT(情報技術)産業の発展による高度情報化社会なのである。

 この「医師中心から患者中心の時代へ」の変化は,医療の中心が180度変換したということで,例えてみれば天動説が地動説に変わったような大きな変革である。哲学者のImmanuel Kantは,著書『純粋理性批判』で,それ以前の「客観が主観を決定する」という認識論に対して新たに「主観が客観を決定する」という認識論を提唱した。彼はこの認識論の劇的な転換を天動説から地動説の変換に例えて「コペルニクス的転換」と呼んだ。この「医師中心から患者中心の時代へ」の変化は,医療界における「コペルニクス的転換」と言うことができる。

教育者中心から学習者中心の時代へ

 教育の世界にも医療と同様に大きな変革が起こっている。教育の世界でも教育者は医師と同様に知識を授ける権威がある。したがって,医療において医師が絶対的であったのと同様に教育界でも教育者が絶対的であった。そのため,教育の世界でも教育者が一方的に知識を伝授したり,あるいは,自分の考え以外を許さない独断的な講義が行われてきた。

 大学医学部には自分の研究業績についてばかりの講義をして,さらに,それを試験問題に出す教官もいる。学生が知りたいのは,ある疾患についての一般的な診断方法や治療方法であるはずである。一般的な診断方法や治療方法を講義したあとに自分の研究業績を講義するのなら理解できるが,最初から最後まで自分の研究業績を話されて,しかも,それを試験に出されたのではたまらない。講義がおもしろいなら学生の出席率は自然によくなるはずである。おもしろくない講義をする教官ほど学生の出席をとりたがる傾向があるのは今でも同じらしい。

 教育とはそもそも教育者が学習者に知識を一方的に伝授することに優越感を覚えたり,自分の権威を誇示するのが目的ではなく,学習者が成長することこそが究極の目的のはずである。医療の最終目的が医師の利益ではなく患者の利益であるように,教育の最終目的も教育者の自己満足ではなく学習者の成長のはずである。

 このような理由から現在教育界でも「教育者中心から学習者中心の時代へ」変化している。この教育界における変化に貢献しているのも,IT産業の発展による高度情報化社会である。すなわち,過去には教授の講義や専門誌の論文という限られた情報源しかなかったため教育者の絶対性が保たれていたが,現在ではこのような教授の講義や専門誌の論文を読まなくてもインターネットやテレビの医療番組などで最新の医学知識が一般人にも迅速に普及されるようになったのである。現在では退屈な講義や講演を聴くよりも,テレビの医療番組をビールを飲みながら見たほうがよっぽど最新の医療知識を効果的に学習できることがある。

 この教育界の変化も一種の「コペルニクス的転換」であると言える。

まとめ

 以上のように5回にわたって現代医療のパラダイム・シフトについて述べてきた。これらのパラダイム・シフトの諸相はそれぞれが密接に関係し合いながら変革している。パラダイム・シフトの諸相にはこれ以外にもまだまだあるであろう。しかし,これらの新しいパラダイムも時代が変遷すればやがてまた変革するものなのである。

 読者の方々には医学の歴史の中で現在はこのような大きな変革の波が押し寄せている時代なのだということを十分に理解してもらいたい。

医療のパラダイム・シフトの諸相
・基礎医学から臨床医学の時代へ
・疾患志向型から問題解決型の時代へ
・専門医から総合医の時代へ
・単純系から複雑系の時代へ
・確実性から不確実性の時代へ
・各国主義からGlobalizationの時代へ
・画一化からtailor-madeの時代へ
・医師中心から患者中心の時代へ
・教育者中心から学習者中心の時代へ

この項おわり

参考文献
1)保阪正康:大学医学部-命をあずかる巨大組織の内幕(講談社文庫,1987)
2)大西弘高:新医学教育学入門-教育者中心から学習者中心へ(医学書院,2005)


田中和豊
1994年筑波大卒。横須賀米海軍病院インターン,聖路加国際病院外科系研修医,ニューヨーク市ベスイスラエル病院内科レジデント,聖路加国際病院救命救急センター,国立国際医療センター救急部を経て,2004年済生会福岡総合病院救急部,05年より現職。主著に『問題解決型救急初期診療』(医学書院刊)。