|
教養としての
Arztliche Umgangssprache als die Allgemeinbildung 医 者 語 |
| 〔第5回〕 | 悪性腫瘍の通称 |
(前回よりつづく)
今回は以前に少し話題を出した各臓器の悪性腫瘍の呼び方について,臨床現場で非常によく使われているK付き言葉を中心に語ってみよう。例文として,そのような語をわざとたくさん含んだ言い回しを作ってみた。略語を見てもとの癌が想起できるか,一種のクイズと思って楽しんでいただければ幸いだ。
| 【例文】
(1)悪性腫瘍の部位別死亡者数の第一位がMKからLKになって久しい。女性ではMMKやUKも上位を占めている。
今回は標準的な日本語への全訳ではなく,下線部分について,元の略さない綴りと和訳だけを示させてもらう。
|
さて,例文に出てきた癌の原発臓器を示すドイツ語のうちで,おなじみでないものに少し解説を加えよう。乳房を表すMammaはラテン語の語頭を大文字にしてドイツ語に取り入れたもの。大独和辞典に載っていないことから推して医学用語としてしか使われないようで,日常語ではBrustらしい。連載第2回の「老先生の手紙」でご紹介したようにBrustは胸部全体を指す時にも使われるから,文脈により語義が変化することになる。乳癌をMKではなくMMKと略すのはもちろん,胃癌との混同を避けるための工夫だろう。言語学の用語を使えば衝突(collision)の回避ということになる。Kiefer(キーファー)とはあごのこと。「上の」という意味の接頭辞oberが付いてOberkiefer(オーバーキーファー)で上顎。ちなみに下顎はUnterkiefer(ウンターキーファー)。Kehlkopf(ケールコップ:喉頭)はKehle(ケーレ:喉,のど)の最後のeが取れて,Kopf(頭部)と合体したもの。Zunge(ツンゲ)は舌。対応する英語はtongue。Gallenblase(ガレンブラーゼ:胆嚢)も合体産物で,Galle(ガレ:胆汁)を入れるBlase(ブラーゼ:ふくろ)の意。
なお,食道癌にはOKという略し方もあることを言い添えておく。
しかし,不正確な発音やみっともない混合使用を少々指摘したくらいでは,永年にわたって広く普及したK付き略語は簡単には廃れないだろう。何といっても,早く書けるのが多忙な臨床現場では捨てがたい利点に違いない。Kなら線を3本引くだけだが,「癌」と漢字で書くと17画もあり,カタカナで「ガン」としても6画だ。臓器名のほうもアルファベットで略すのだから,例えば膵癌の「月」を書いている間にPKと書き終われたりして勝負にもならない。
Kにはもうひとつ,癌の告知が一般的でなかった時代に使われた婉曲話法ないし隠語としての一面があった。同様の言い換え用語として,転移(ドイツ語はMetastase,英語ならmetastasis,日本語化した通称としてはメタ)はMと略記する。ご存知のとおり,カルテの病名欄は診療報酬を算定する事務職員も使うので昔も今も日本語表記が原則である。しかし以前は悪性疾患だけ例外とされ,「子宮K肺M疑い」などと書く決まりになっていた。その名残りか,今でも診療記録本文には甲状腺K,K性胸膜炎,M検索などなど,漢字と混ぜた表記もよく見かける。
さてさて,癌の俗称や略称はK付き言葉以外にもいろいろある。その中で舌癌Zungenkrebsをツンクレ,子宮癌Uteruskrebsをウテクレなどとする呼び方は,低俗な響きがありお勧めできない。よい子は絶対に真似しないようにしましょう。その他にカルツィ(チ)ノーマを縮めた「カルチ」も聞くことがある。例えばある先生が亡くなったお父さんを回顧して,「親爺はプロスタータのカルチになりましてね,見つかった時にはクノッヘンにメタが来ていてマハトロースでした」。前立腺癌が骨転移して,当時としてはなすすべがなかった状態を表現したものだ。Knochenは整形外科特集でもお話ししたように骨,machtlosは「無力な」の意味の形容詞。もちろん現在では内分泌療法などにより必ずしも手詰まりではない。
さて,癌特集の最後は闘病の心境を詠(うた)った名句で締めくくりたい。
| おい癌め 酌みかはさうぜ 秋の酒 (江國 滋) |
すごい境地だなあ。酒の肴はしゃれを効かせて,蟹料理だったのだろうか。
(つづく)
| 次回予告 この次は検査関連の用語について,いろいろと語ることにしよう。「ハルンはきれいだし,採血検査もワイセがちょっと増えているだけでファストオーベー」といわれたが,大丈夫なんだろうか。 |
D・ゲンゴスキー
本名 御前 隆(みさき たかし)。1979年京都大学医学部卒業。同大学放射線核医学科勤務などを経て現職は天理よろづ相談所病院RIセンター部長。京都大学医学部臨床教授。専門は核医学。以前から言語現象全般に興味を持っていたが,最近は医療業界の社会的方言が特に気になっている。