第2682号 2006年5月15日


カスガ先生 答えない
悩み相談室

〔連載〕  11

春日武彦◎解答(都立墨東病院精神科部長)


前回2678号

Q救急の患者さんが搬送されてきました。ホームレスで,骨折と肺炎という奇妙な組み合わせで呻り声をあげています。身内は誰もいません。治療を開始しましたが,多少落ち着いてくると,まだラインがつながっているのに「俺の身体は俺がいちばんよく知っている。もう治った,退院させろ!」と騒ぎ出し,「人権問題だ,これ以上なにもするな!」と医療処置を激しく拒否します。説得しても,結局聞き入れてもらえず,自己責任で退院すると誓約書を書いてもらい,帰っていただきました。私としては寝覚めが悪くて仕方がありません。(救急研修医・29歳・男性)

自己責任と患者の運

A明らかに損をするであろう判断を「本人が言い張るのだから」と受け入れてよいものなのかどうか――そうした疑問に,本人の責任能力の問題や価値観の多様性といった問題,さらには我々医療者としての使命感や誠意が絡んでいるわけですよね。しかも運が悪いと我々はマスコミに叩かれたり,なぜか急に親族が登場して告訴されかねない。困ったものです。

 わたしとしては,まず患者さんが精神的に疾患を持っているかどうか,換言すれば心神喪失とか心神耗弱に相当しているかどうか(意識清明であることは前提条件です)が大きな判断材料になると思います。精神科医にコンサルトできるならばよいでしょうが,それが無理だったら判断の目安は幻覚妄想の有無といったところでしょうか。ただし幻覚妄想が確認できないイコール正常というわけでもない。もっともホームレスとしてそれなりに生活を営んでこられたことをもって「広い意味で正常」とみなす発想もあり得ましょう。

 幻覚妄想がなく,著しい思考障害が認められず,家族が見つからず,本人が自己責任について明言し,さらに我々の説明や助言をあくまでも拒むとしたら,これはもう相手の言い分に従うしかないかもしれません。気が変わったらすぐに助けを求めてくるように「選択肢」を言い含めたうえで,帰っていただくということになりましょう。

 わたしの経験した類似ケースでは,性格の偏りなのか妄想なのかにわかには判断がつきませんでした。処置は中断したままとりあえずベッドで翌日まで休むことを承諾させたうえで,抗幻覚妄想薬であるリスパダールの液剤を本人には内緒で(この点に問題がありますが,大事の前の小事と割り切るしかありませんでした)投与してみました。すると曖昧であった妄想が逆に鮮明な形であぶり出され,こりゃ統合失調症で判断能力を欠く状態だと判断し,事実上の強制治療に踏み切ったことがあります。

 といった次第で,相手の言い分をそのまま受け入れるべきかの判断は容易ではなく,またマニュアルでも作っておけばどうにかなるといった話でもありません。そして現場の判断においては,たとえ相手が頑強に拒否をしたとしてもこちらの判断次第では強制的に加療できるだけの設備や看護力があるか,スタッフの気持ちの流れはどうなのか,さらに自分自身の覚悟のみならず体調とかスタッフとの人間関係といったきわめて不確定な要素が最終的には「決め手」となるでしょう。もしもその不確定さこそがあなたにとって「いい加減」と映り,寝覚めの悪い原因であると感じているとしたら,そのような不全感には一生つきまとわれるでしょう。

 不確定要素が関与してくるのは仕方がありません。それが現場というものです。不確定要素を「成り行きまかせ」とか「ポリシーを欠く」と考えたら悩まざるを得ないでしょうね。が,あえて極端な言い方をするなら,不確定要素は「運の問題」として患者さんへと戻される性質の事象だとわたしは思っています。もちろん我々として可能な限りの誠意を尽くしての話ですが。そうした消息をマニュアル作りなどといった不毛な作業にすり替えたがるような頭の悪い営みは,時間の無駄であります。

次回につづく


春日武彦
1951年京都生まれ。日医大卒。産婦人科勤務の後,精神科医となり,精神保健福祉センター,都立松沢病院などを経て現職。『援助者必携 はじめての精神科』『病んだ家族,散乱した室内』(ともに医学書院)など著書多数。

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