医学界新聞

 

【インタビュー】

岩田健太郎氏に聞く
(亀田総合病院総合診療感染症科部長)

聞き手●杉浦至郎氏

(神奈川県立こども医療センター;卒後4年目)


宴会で「患者さんのために」と語り出す同級生が必ずいた。
そのおかげで救われた。デキが悪いにもかかわらずやってこれた。

 外来でよくみる感染症へのアプローチが小気味よい切り口で語られた『感染症外来の事件簿』(医学書院,2006年2月刊)が話題だ。実践書としてはもちろん,外来診療の細やかな手順の解説や,各章に散りばめられたコラムからは,著者の岩田健太郎氏の医師としてのattitudeまで伝わってくる。小児総合研修医として研鑽を積む杉浦至郎氏が,岩田氏にインタビューした。


上級医の指示に疑問
その時どうする?

杉浦 感染症については青木(眞)先生や岩田先生の本を読んで勉強しているのですが,実際はグラム染色を重視しなかったり,抗菌薬の使い方に関しても,本に書いてあることと上級医からの指示が異なることがあります。そういう時,私たち研修医はなかなか反論できないので,感染症を勉強するモチベーションも下がってしまうことがあります。

岩田 難しい問題ですね。ただ,実は日本での抗菌薬の使用総量は年々減ってきています。まだ使いすぎる傾向にありますが,昔の「どんどん使えばいい」という風潮はなくなってきました。ベクトルは,確実によい方向に向かっていると思ってください。

 それでも,研修医の立場で上級医に反論するのは,そんなに簡単ではありません。「この使い方は間違っています。本を見てください」なんて言うと,理屈ではわかっていてもムッときます。まずは「近道は遠道」で,上級医との人間関係をしっかり築くことが大事です。人は信用できる相手の言うことしか聞いてくれません。話を聞いてくれそうな先生からアプローチして,そこからトップダウンで改善してもらうとか,賢明なアプローチをすることです。

 お互いにわかりあえるところが必ずあります。例えば,患者さんの病状をあえて悪くしたいと思う医師はいないでしょう。「患者さんをよくしたい」という気持ちはみんな同じで,この一点においては,絶対に議論は起きない。そこからまず始めることです。

仲間を増やす,種を蒔く

岩田 そしていずれは,杉浦先生も上級医になります。その時にいまのスタンスを保っていればいいのです。いかりや長介が「モノを通すためには偉くならなきゃ駄目だ」と言っていましたが,そのとおりです(笑)。

杉浦 前の病院の救急外来では,僕が上級医として1年目を教える機会があったのですが,感染症に興味を持った後輩にいろんなことを教えた結果,今年になったら救急外来にグラム染色の器具が置いてありました。

岩田 すごいじゃないですか!

杉浦 「置いてもらったんですよ。うれしいですよね」と後輩に言われて。

岩田 そういうことがあると,本当にうれしいですね。上級医で理解のある人を仲間にするだけでなく,教える立場になった時に正しい知識を広めていくことも大切です。いまの研修医はスーパーローテーションですから,いろんな科に仲間が散らばっていきます。種を蒔いておけば,将来大きなうねりになる。仲間を増やすというのは,すごく大事なコンセプトだと思います。

患者さんのためには,口をきくのも嫌な人とこそ交渉が必要

杉浦 若い頃,上級医と意見が食い違った時はどうされていましたか?

岩田 それこそ喧嘩ですよ。上級医が読んでない論文を持ってきてゴリ押しする。周りの信頼は失墜し……(笑)。若気の至りですね。失敗を重ねて,今日があります。

杉浦 人間関係が大切ですね。

岩田 そうです。ただ,攻撃に出ていい時もあります。

 感染管理の仕事をしていると,病院中のたくさんのスタッフと仕事をします。話しやすい人は,こちらの言うことも聞いてくれるのであまり問題はないのです。ところが,話しづらい,話を聞いてくれない人に限って,間違った抗菌薬の使い方をします。そういう人たちこそ,感染管理上は無視できない。それで時々はガツンと言う必要があるのですが,その時は絶対に勝てる喧嘩をしないといけない。それで,10回に9回はわざと負ける。

杉浦 わざと?

岩田 わざと負けて,負けてもいいからネゴシエーションは維持する。どんなに苦手な相手でも,交渉だけは絶対に続けます。そして,あまりにも理不尽なことを言ってきた時には攻撃に出て,そこは絶対に勝つ。特に私は,自分よりも年上,あるいは位が高い人に対しては厳しく,下の人たちにはそんなに厳しくしません。

杉浦 ふつうは苦手だとしゃべらなくなりますけど,そこは「患者さんの利益のため」ということですね。

岩田 最終的にはそこに至るわけです。口をきくのも嫌だという人とこそ,交渉しないといけない。感染症って,因果な商売ですね(笑)。

研修医時代のアンチ武勇伝

杉浦 岩田先生の経歴はとても興味深いのですが,どんな目的を持って進路を決めてきたのですか?

岩田 学生さんにもよく誤解されるのですが,私はぜんぜん計画性がない,その場限りの人生です。

 私たちの時代にはダメ研修医が多かったんです。自分の頭で考えることができない,コミュニケーションが取れない。インターネットも普及していないから,知識格差も大きかった。ひたすら雑用をこなし,“朝から晩まで汗水たらして働くのがエライ研修医”みたいなフィロソフィーが育ちやすかった時代でもあります。

杉浦 そこで優劣がつくわけですね。

岩田 貧弱な時代ですね。でも,それは振り返ってみてわかることで,当事者は気がつかない。みな上の立場になると武勇伝を言い出して,「俺たちの若い頃はすごかった」と言いたがるけど,いまの研修医のほうが昔の研修医よりも優秀です。これは間違いない。

 話が逸れましたが,私は学生の頃は臨床マインドがなくて,基礎に進もうかと思っていたんです。人としゃべるのが苦手な“引きこもり系”。ひとりで勉強しているほうが好きでした。それがたまたま,HIVの勉強会に参加するようになりました。それも別に崇高な理念とかがあったわけでもなく,当時好きだった女性に誘われたから始めた(笑)。邪心そのものです。

 そこから反省して,当時いちばん厳しかった沖縄県立中部病院なら自分を叩き直せるんじゃないかと思って,研修先に決めました。でもやっぱり軟弱だったために,沖縄では挫折の毎日なんですね。失敗ばっかりで怒られて,体力的にも劣っているから,毎日「やめたい,やめたい」と思っていました。

 そうこうするうちに,アメリカ研修の話がありました。沖縄から逃げたい一心で面接を受けたら通っちゃった。当時アメリカ留学する人は野心に満ちた人ばかりで向上心が強いのですが,私はそんなにモチベーションも高くなくて,逃げ腰で内科研修を始めました。

 でも,当時の自分としては「アメリカで研修して,カッコいい!」みたいな自負心もあって……。まったく日本と同じことをやっているのに,英語だとカッコよく見えるのが不思議なところです。それで自分が偉くなったような気になって,高飛車になる。多くの日本人がその罠にはまるんですけど,私も同じで,ますますおかしくなった。

杉浦 転機はいつ頃でしたか?

岩田 ニューヨークに行って4年目ぐらいで,さすがにすごく反省しました。その頃は9.11のテロとか,アメリカの基本的な価値観が根底からひっくり返された時代だったこともあって,アメリカの医療を外から客体視しようと思いました。

 日本に帰ろうかとも迷ったのですが,たまたま中国へ行くことになったんです。この時はピュアに「患者さんが診たい」と思いました。アメリカの最後の1年ぐらいと中国の1年間で一生懸命勉強して,この本(『感染症外来の事件簿』)に書いてあるようなことはその時学んだわけです。機会があって日本に帰ってきて,いまに至るのですが,こうして振り返ってみても,負の遺産ばっかりですね(笑)。

杉浦 いえいえ,アメリカで研修しているだけで立派な……。

岩田 そう思っちゃうでしょ。でも,ぜんぜんそんなことはないんですよ。

杉浦 そうやって謙虚に自分を振り返れるところが,すごいと……。

岩田 すごいでしょ! って,ここで自慢してどうすんだと思いますが(笑)。振り返ると反省ばかりです。

初期研修の罠,置き去りにされる医師の本分

杉浦 いまの研修医に,岩田先生ならどんなアドバイスをされますか。

岩田 私は間違いだらけの研修をしてきたので,あまり言えることはありません。ただ,行政も研修医も「初期研修で研修医は何を得られるか」と考えますよね。でも,どこかの大統領じゃないですけど,「病院が研修医に何をしてくれるか」よりも,「研修医が病院に何ができるか」「自分は患者さんのために何ができるか」。医師の本分はそういうものだと思うのです。

 先日,ある留学セミナーに,パネリストとして呼ばれました。たくさんのパネリストが成功談を話すのですが,私が愕然としたのは,彼らの一人として患者さんの話をしなかったことです。自分がどうやってレジデンシーを獲得したかとか,面接で勝つにはどうするかとか,そんな話ばかりです。

 私が学生の頃は,宴会とかでも「自分は患者さんのためにこうしたい」とか,「自分が病気になった時にはこういう思いをしたから,同じ思いを患者さんにさせたくない」とか,そういう話をする同級生が必ずいました。そのおかげで私は救われたと思っています。デキが悪かったにもかかわらず,いままでやってこれた。

 だから,患者さんのことはどこへいっちゃったんだろうと,ふと思うわけです。特にいまの初期研修医はスーパーローテーションだし,そういう罠がけっこうありますね。

――医学書院HPでは「感染症外来の事件簿」読者アンケートを実施していますが,「先生の夢は何ですか」という質問が寄せられました。

岩田 あまり人前で言いたくないですが,いまの夢は,一回でいいから完璧な外来診療をしてみることです。ワンセッション,ワンセッション,完璧をめざしていますが駄目です。「これ以上はできない」という満足感を得たことが一度もないんです。

――逆に言えば,反省点を常に見出しているわけですね。

岩田 反省ばかりです。外来をやるたびに,「次の患者さんにはもうちょっとマシなことがしたい」と思っていますが,なかなかそうはいきません。

 ただ,少なくとも3年前の私の外来よりも,いまのほうがちょっとはマシだと思います。遅々とした歩みながらも,後ろを振り向いてみると,何合目かまでの山登りはできている。でも,上はもっと高くて,天井知らずなんでしょうね。もっともっと上手になりたいです。

杉浦 私はまだローテート研修中で,「この研修で何が得られるか」という点にどうしても目がいきがちです。もう一度初心に帰って,患者さんのために何ができるか,深く考えてみようと思いました。そして,自分に満足せずに,常に改善すべきところを探してがんばり続けることができたらと思います。

岩田 いや,いまの研修医はみんな人格もできているし,優秀なので大丈夫ですよ。がんばってください。

杉浦 今日はありがとうございました。


岩田健太郎氏
1997年島根医大卒。沖縄県立中部病院研修医,セントルークス・ルーズベルト病院内科研修医,ベスイスラエル・メディカルセンター感染症フェロー,北京インターナショナルSOSクリニック家庭医を経て,2004年より亀田総合病院。米国感染症専門医。著書に『抗菌薬の考え方,使い方』(共著,中外医学社),『悪魔の味方――米国医療の現場から』(克誠堂)など。

杉浦至郎氏
2003年三重大卒。淀川キリスト教病院研修医を経て,05年より神奈川県立こども医療センター総合診療科小児総合研修医。「どうしたらより多くの子どもが幸せになれるか」を考えながら研修中。インフルエンザ桿菌髄膜炎で苦しむ子と出会うたび,ワクチンが導入されていない現状にやりきれなくなることも。