医学界新聞

 

【座談会】

人と生命のあり方を学ぶ



坂井建雄氏(順天堂大学医学部教授・解剖学=司会)
久光 正氏(昭和大学医学部教授・生理学)
関谷悠以さん(順天堂大学医学部6年生)
小川英輝さん(順天堂大学医学部3年生)


 先端技術や生命倫理,健康に対して社会の関心が高まる中,医療者にも,単に専門的な医学知識だけではなく「社会における医学,医療」という幅広い視点が求められている。

 このたび翻訳・刊行された『ヒューマンバイオロジー 人体と生命』は世界各国で教科書として用いられ,解剖学,生理学といった人体の基礎を中心に,生命倫理や環境,実生活ともリンクした内容となっている。そこで今回は,監訳者の坂井建雄氏と,医学教育に携わる久光正氏,医学生2人を交え,医学部での基礎医学教育について座談会を行った。


■医学部入学者の変化

坂井 このたび『ヒューマンバイオロジー 人体と生命』が医学書院から出版されたのを機に,本日は医学教育における解剖学や生理学について,お話を伺いたいと思います。久光先生も私も基礎医学を教えているわけですが,最近の傾向として,中学・高校での学習内容が大きく様変わりしたこと,そして生物を受験科目として選択しない,つまり高校で生物を学んでこなかった学生が増えてきたことがあげられます。

 久光先生は基礎医学と一般教育の両方を教えておられますが,最近のこの傾向についてどう思われますか。

久光 そうですね,例えば昭和大学医学部の現状を申し上げますと,受験の際に化学を選択する人はほぼ全員の9.9割ですが,生物を選択する人は全体の約6割で,残りが物理となっています。

 もちろん,生物を選択したことと医学に適した生物の知識を持っていることは別問題ですが,やはり生物を学んでこなかった学生は,正直なところ,ちょっと知識不足の印象があります。

坂井 私が教えている解剖学まで専門的になると,高校で生物を学んでいても学んでいなくても知識については大差ないのですが,一般教育の先生方は苦労していらっしゃるようですね。

久光 生理学に関しても,そこまでくれば皆同じスタートラインに立つことになりますが,その入り口の垣根の高さ,つまり生物という分野にどれだけ慣れ親しんできたかというところは大きいですね。

坂井 関谷さんは,受験の時に生物を選択しなかったそうですが,入学後は苦労しましたか。

関谷 はい。今さらながら,高校の生物の教科書を開いたりしました。講義でも,生物を勉強してきた人のほうが理解している印象がありましたね。

坂井 今はもう5年生ですから,それを引きずっているということはないですよね。

関谷 それはありません。でも,やはり最初の1―2年は生物の基本的なことを勉強し直す必要がありました。

坂井 小川さんはどうでしたか。

小川 私は受験で生物を選択していました。大学の講義で先生が使う基礎的な生物用語をすでに知っているという点で,高校で学んだ生物の知識は役に立っていると思います。

坂井 順天堂大学では,生物を選択してこなかった学生に対して,1年生の時に生物の講義を用意していますが,なかなかギャップを埋めるのは難しいようです。何かうまい教え方をして,そこを解決してあげたいと思うのですが,なかなかその手立てが見つからないのが現状です。久光先生は授業展開で,何か工夫されていることはありますか。

久光 いちばん大事なのは,学ぶことの楽しさを知ってもらうことです。生理学を面白いと思ってもらうこと,何より「わかった!」という表情をしてもらうことで,私たちも非常に幸せを感じます。今まで疑問に思っていたことについて「こういう理屈でこうなっているんだ。そうだったのか」とわかった時には,ウン,ウンとうなずいてくれますよね。そういう時はこちらも非常に楽しいですし,そうした形で知識が増えていくことは,生理学に限らず,勉強していくうえでの,いちばんの醍醐味だろうと思います。

坂井 学生が喜んでくれることで,教える側もエネルギーを出せますよね。

 私が解剖学を教える時に気をつけているのは,学生はどのくらいの知識を持っているのかを把握することです。学生の理解レベルを少し超えたあたりのものを投げかけて,学生自らが発見したり,答えにたどり着くようにしたいと努めています。ただ,毎回うまくいくわけではないのですが(笑)。

臨床とのつながりを感じられる授業

久光 ほとんどの学生は医師,それも臨床医になろうと思っているわけですが,どんな病気やケガを治療するにあたっても,解剖学と生理学は必ずその基礎になっています。ですから,今学習している生理学のちょっと先には臨床があることを意識させるようにしています。「この病気というのは,ここが原因になって起こるんだよ」というように,生理学と病気,病態との接点をいつも感じさせるような授業をすることで,学生のモチベーションは非常に高まると思います。

坂井 解剖学では解剖実習を行いますが,私たちは組織学・生理学・生化学を含めた基礎医学の内容を臓器別にまとめた,統合的なカリキュラムをつくっています。このカリキュラムを少し学んだところで解剖実習が行われるので,人体に対する知識と理解が進んだ段階で実習を行うことができます。

 小川君は今,生理学と解剖学を学んでいる真っ最中ですが,実習の感想はどうですか。

小川 解剖実習が始まり,2つがリンクするようになってから,ますます面白くなった感じがします。講義でわからなかった部分を解剖で実際に見て学び,逆に解剖でわからなかったことを講義で見直したりすることができるので,理解が深まるのを実感しています。

久光 すばらしいですね。私はごく短いのですが臨床経験がありますので,出会った患者さんや,当直をしていた時の恐ろしさなど,体験談を織り交ぜて話をしますと,学生は一生懸命に聞いてくれます。うまくいったことを話した時より,うまくいかなかったことの話した時のほうが,学生は一生懸命聞いていますね(笑)。「そんなに苦労したんだ」「じゃあ,これを知っておくと苦労しなくて済むのかな」と思うようです。

坂井 基礎医学だけを学んでいる学生からは「なぜこんなことを勉強しないといけないんだろう」という思いが,チラチラと出てくるのを感じます。そこでわれわれは「これは臨床へいく準備段階として,絶対に必要なことだ」と言うわけですが,その甲斐もなく,みな上級生になると決まったように「基礎でもっとしっかり勉強しておけばよかった」と言っています(笑)。

久光 それは,10人中10人が言いますね(笑)。できるだけそうならないようにするためにも「臨床のここでは,こういう知識が必要だよ」ということが伝えられると少しは違うだろうなと思っています。

関谷 低学年の時は基礎医学の大切さに気づかず,基礎医学を生物や化学の延長として捉える学生も多かったです。基礎と臨床をリンクさせたお話には大変興味を抱きますし,勉強の動機付けにもなります。

坂井 学ぶ内容そのものだけでなく,学ぶ内容の位置づけや意味を理解することが大事ですね。久光先生はそこを体験的に伝えておられるわけですし,私も自分の経験からいろいろ付け加えていますが,こうした学ぶ内容をさらに少し膨らませるということは,教科書ではなかなか難しいですね。

久光 私たちが目的とするのは,人の体の悩み,心の悩みに医学がどのように対応していくかということです。そして,世の中は医学だけで成り立っているわけでありません。医学は社会とつながっていて,さらに視野を広げると,世界があります。その中で自分はどういう目的に向かって今何を勉強しているのかと,全体とのつながりを理解しながら勉強していくことができると,学習としてすばらしいと思います。

■答えが出ないことを考えてみる

坂井 『ヒューマンバイオロジー』の翻訳に携わって感じたのは,実生活のストーリーから書き出されているという新鮮さでした。久光先生がおっしゃられた社会との,あるいは自然の中での人間の位置づけという概念を導入しているわけです。

関谷 コラムも身近な話が多くて,今社会問題として議論されている生命倫理や地球環境についても取り上げられています(図1)。普通の教科書には,こういう部分がありませんね。

図1 ヒトのクローニング(P.397)
コラムは「生命倫理」「地球環境」「健康」といったテーマついて書かれ,読者に自分の意見を求める内容になっている。

坂井 そうですね。医学部で生命倫理や健康について教えないわけではありませんが,講義で“固く”教えられるのと,こういう本の中で,別の文脈として出てくるのとでは印象が違うでしょうね。

小川 1年生の時に倫理について講義を受けましたが,講義では聞くことに集中してしまい,自分の意見を考えることができませんでした。そのせいか,あまり印象に残っていないんです。でも,この本は日常生活とリンクしていて,印象に残ると思います。

坂井 この本はコラムも含めて,読者が自分で考えることを意図した書き方をしています。アメリカの教科書には最近そうしたものが増えているように思いますが,読者に問いを投げかけてくる。そしてその問いというのが,必ずしも答えが出るものではないんですね。医療・医学というものも,常に結果が明白に出るものではありません。

 私も,情報や知識を教えるだけでなく,自分の体験とある程度結び付けて「わりきれない部分もあるけれど,直面していかなければいけないんだよ」ということを伝えたいと思っていますし,それを心がけているつもりです。そうした状況が反映された本であり,人間のあり方そのものを象徴するようなつくり方をしていると思いました。

久光 生物学の勉強をしていると,どんどん内容が細かくなっていくので,今自分はどこを勉強しているのかが,途中でわからなくなってしまうことがあります。

 その点で,この本は各章の後ろにその臓器が全体の中でどういう役割を果たしているのかをまとめた説明があります。1つの臓器は必ず他の臓器と協調して仕事をしているのだということを,もう一度思い出させてくれるつくりになっていて,これは非常に大切なことだと思います。不必要な臓器など1つもなく,それぞれが連携プレーをすることで1人の人間ができているのだということを忘れないでくださいね,というメッセージのように感じますね。

坂井 この本をもとに1年生の諸君に勉強してもらえたら,どんな医学生になってくるかなと楽しみです。

小川 2年生になってからの臓器別の授業でも,その講義の前に少し読んでおくだけでだいぶ理解度が違うと思います。

久光 ちょっとびっくりするくらい,きれいな臨床の写真が使われていますね。写真ばかりでも逆にわかりづらくなってしまうのですが,この本では図のほうがわかりやすいものはイラストでていねいに説明されていて,そういった組み合わせもすばらしいと思いました(図2)。

図2 T細胞と細胞性免疫(P.155)
がん細胞をT細胞が攻撃している走査型電子顕微鏡写真とともに,パーフォリンによる細胞障害の仕組みをイラストで解説。

坂井 医療の場で診る「患者さん」というのが基礎医学を学ぶ段階ではなかなかイメージしにくいのですが,患者さんというのは悩みを持っている1人の人間だということを,あちらこちらにエピソードを散りばめて感じさせてくれます。

久光 医学部に入学した人たちには,当然動機があるわけですが,この本はその動機を忘れないためにはどういう勉強の仕方をすればよいのかを教えてくれるような印象を持ちました。

 章の初めに,その章でいちばんのトピックになりそうな写真が載っていて,「これからこういうことを勉強するんだな」と意欲をかきたてられますね。

より多くの人に人体を知ってほしい

坂井 この本の6―7割は解剖学と生理学を基本にしたものですが,翻訳していて「この本を医学生だけに読ませるのはもったいないな」という気がしました。人間の体のことについては,医療従事者だけでなく,もっと多くの人が学んで,知ってよいのではないかと感じています。

久光 たしかにそうですね。多くの人たちのニーズに応えられるような書き方,内容ですから,医学を勉強する人だけが読むのはもったいないですね。看護師はもちろん,他の医療従事者の方々,健康や体のことに関心のある方々にも,多くの知識を提供してくれると思います。

坂井 今までの医療のように,医師が何でも決めてしまうのではなく,むしろ情報を患者さんに伝え,本人に決めてもらう時代になってきています。そうなると医療を受ける患者さんの側,つまり一般の方々も,自分の体の仕組みについてある程度は知っていないと,情報を与えられても十分にいかせなくなってしまうと思います。

 人体標本の展覧会など,人体の構造がいろいろなところでヴィジュアルに出てきて,そうしたものに馴染む機会も多くなっていますが,これも人体に関する一般の関心の広まりというか,表われなのではないかと思います。

久光 解剖学は図や写真で説明しやすいのですが,生理学は視覚化して教えることが難しい部分があります。でも,この本の図はわかりやすいですね。一般の方はもちろん,医学生であっても,やはり視覚的に理解できる工夫がされているのは非常によいと思います。特に最近の人たちは,字ばかりだと飽きてしまう傾向がありますから(笑)。

関谷 本を読まない人が多いですし(笑)。

小川 実は私も,本を読むのがあまり好きではないんです。ですから,図がわかりやすいかどうかというのは,教科書を選ぶ時に重視しています。

坂井 この本は,体や病気に関して知りたいことがある時に,それに関連したことが必ずどこかに記載されていますから,役に立つだろうと思います。また,教科書のような形をしていますが,中身そのものは読み物として,コラムなどをはさんで飽きずに楽しみながら読めるように工夫されています。

 まとめられた知識をコンパクトな形で提供するだけでなく,日常生活の中で出会うような個人的,社会的な問題と関連づけて書かれています。われわれの人生や社会には科学でスパッとは割り切れないことがあるのだということを,気づかせてくれますね。

久光 そういうコンセプトとも,ポリシーとも言えるものが,一本通っている本ですね。

坂井 その意味では,人間らしい,顔のある教科書という印象を持ちます。

■正常を知ることの大切さ

関谷 今こうして読んでみて,5年前,基礎医学を学ぶ過程で,こうしたエッセンスをまとめた本があったらよかっただろうと思います。臨床にいけばいくほど解剖学や生理学の大切さが身にしみてわかりますから。

久光 どういう時にそれを感じますか。

関谷 病気の治療は,その病気の原因に基づいていますから,病態生理を理解していると,病気と治療を単語として覚えるのではなく,一連の流れとして把握できます。今,臨床を回りながら,改めてその部分を理解しようと思っています。

坂井 それぞれの病気を,基礎的な部分まで含めて理解しようとすると大変なエネルギーを要しますが,まず人体における正常な状態が把握できていると,非常に楽です。病気の症状や経過についても,次はどうなるのか,この手前はどうだったのかということが想像しやすいのではないかと思います。

関谷 そうですね。正常をちゃんと理解できていないと,異常がわかりません。

久光 私も学生の時は,解剖学の講義を聞いていて「だからどうしたの?」という感じだったんですよ(笑)。でも「ここが折れるとこうなる」「ここがねじれるとこういうふうになってしまう」といったことを理解するためには,その基本となる本来の姿がわかっていなければいけません。

 生理学においては,一見しただけでは働きがわからないものもたくさんありますが,全体から見ると,必ずそれぞれの臓器や細胞はなんらかの役割をしています。ですから,「これが崩れるとこういう病気になるんだ」というように,病気の理解において,解剖学・生理学,あるいは生化学は非常に重要だということが,今さらながらにわかりますね。私の本棚には今でも――もちろん開くことはありませんが――学生時代の解剖と生理のノートがありますよ。

関谷 私が今いちばん開くのは解剖学と生理学の本で,当時のプリントやノートは,臨床の教科書と一緒に並べて置いています。

坂井 病態生理を理解する前提として,正常の構造と機能の理解が大切です。さらに踏み込んでいうと,すでに正常のものを学ぶ時に,構造と機能がリンクしているという考え方が大切です。その延長上に病態生理と正常がリンクするという考え方が生まれるんですね。基礎のところで,構造と機能がリンクしながら人間が創られているというところを実感し,納得しておいてくれると,あとが楽勝なんですよ(笑)。

関谷 私が臨床実習の場で実感するのは,基礎医学が種で臨床医学が実だということです。種から芽が出て花が咲き,実となりますが,またその実の中には種が含まれています。現在の医学教育では,低学年で基礎,高学年で臨床を勉強するためか,基礎から臨床への一方向に思えてしまいますが,双方の循環を感じることが大切なのではないでしょうか。医師になって患者さんの質問にきちんと答えられるよう,学生の今のうちに基礎をしっかりと身につけたいと思います。

小川 やはり解剖学も生理学も医学の土台となるものなので,しっかり学んでいきたいと思います。また構造,機能と別々に理解するのではなく,2つをリンクさせて理解できれば理想的だと思います。

久光 これまで,「解剖学」「生理学」と別々の教科書で勉強して,学生さんの頭の中でそれらを一緒にしてきた形でした。最近は,それらが一緒になった「解剖生理学」,あるいは臓器別の話がされるようになって,この本でも臓器別に解剖学的知識,生理学的知識,その他の知識を上手に組み合せて書かれていますので,とりあえずは何冊も読まずに1冊でいいよ,という見方もできますね。

坂井 教える側は,学生に学習のきっかけを与えようとして,どうしても試験をテコに使うところがありますが,そういうせちがらいものだけでなく,こういう楽しい本を紐解いて,楽しみながら学習するチャンスの1つになればいいなと思いますね。まじめに,楽しく読んでもらうと,本当に力がつく本だと思っています。1年生の夏休みに,これを1冊読んでくれたら,すごく力がつくと思います。本日は,どうもありがとうございました。


坂井建雄氏
1978年東大医学部卒業後,解剖学教室にて助手,助教授を経て90年より現職。2006年4月より篤志解剖全国連合会会長を務める。著訳書に『からだの自然誌』(東京大学出版会),『ムーア臨床解剖学』(MEDSi),ほか多数。

久光正氏
1977年昭和大医学部卒業,81年同大大学院修了,89年より現職。東洋医学的診断・治療のメカニズム解明に関する研究を進めている。2000年,コアカリキュラムに準拠した昭和大学新カリキュラムを作成。02年より医学部教育委員長。

関谷悠以さん
順大医学部6年生。大学ではバレーボール部,熱帯医学研究会に所属し,毎年学年委員を務めている。将来はしばらく臨床医として働いた後,大学院で公衆衛生を学び,国際保健の道に携わりたいと考えている。 

小川英輝さん
順大医学部3年生。大学では1年生の時からサッカー部に所属している。医の倫理の問題を新聞記事で読み,興味を持った。多くの視点から物事を考えることのできる医師をめざしている。