医学界新聞

 

教養としての
Arztliche Umgangssprache als die Allgemeinbildung
医  者  

ディレッタント・ゲンゴスキー

〔第3回〕 整形外科


前回よりつづく

 今回はドイツ語系医者語というと多くの人がまず思い浮かべる,整形外科の特集だ。これまでカルテ診をしてきた印象でも,おそらく一番使用頻度が高い診療科だろうと感じる。もちろん世代差はあり,若い整形外科医はだんだん英語派になってきてはいるのだが。

 前回も述べたとおり,筆者はカルテや医者同士の会話からドイツ語を駆逐しようという意見ではない。日本の近代医学は明治以来ドイツ語圏から多くのことを学んできた歴史があり,その間にたくさんの用語が外来語として定着するのは自然の成り行きだったろう。また,「国際化といえば何でも英語(特にアメリカ英語)が標準であるかのように喧伝する言語帝国主義への批判を込めてドイツ語を使い続けている」とおっしゃる,気骨のある先生たちにはひそかな共感と尊敬さえおぼえる。ただ,同じ文中で英語とドイツ語を混ぜて使ったり,うろ覚えで間違った用法がされているのを改善したいと思うだけである。

 さて整形外科ではどんな風に医者語が活躍しているのか。今回も「実在の症例や医師を直接モデルにはしていない」例文を見ていただこう。


【例文】

病歴:Seit3 Monaten,ohne VeranlassungにLendenschmerzenとl-Coxalgieを生じ,湿布薬でVerlaufをbeobachtenするもzunehmenして,最近はGangstörungも来たしている。

 普通の日本語に直すと「3か月前から誘因なく腰痛と左股関節痛を生じ,湿布薬で経過を観察するも増強して,最近は歩行障害も来たしている」となる。以下,出てきた医者語にゲンゴスキー風解説を加える。

オーネプレッツリッヒに?

 「seit~Monaten」(ザイト~モナーテン)は句として定着している言い回しで,seitは英語のsinceに相当する前置詞,Monatenは期間の単位としての月Monatの複数形がさらにseitの要求する格に変化した形。もし「2週間前から」,ならばseit2 Wochenとなる。続いて「ohne Veranlassung」(オーネフェアアンラッスング)だが,ohneは「~なしに」という前置詞(英語のwithoutにあたる),Veranlassungはこの文脈では転倒や重労働など,痛みを起こしそうな誘因,きっかけを指す。

 この副詞句は整形外科の現病歴にあまりにもよく使われるためか,o.V.あるいはo.v.と略されてしまうことがある。こうなると辞書の引きようがなく,解読できるかどうかは過去に略さない形に出会ったかどうかで決まる。「突然に」の意味のplötzlich(プレッツリッヒ)もよくドイツ語混じり病歴に出てくる副詞だ。o.v.かつplötzlichに(誘因なく突然に)などと連続して使われることもあり,筆者は油断しているとこの節の見だしのように2つを混同して「縮合」しそうになる(よく知らない言い回しはあくまで受動語彙に留めておきましょう,という教訓だ!)。

何語で呼ぼうと痛いものは痛い

 Schmerz(シュメルツ:痛み,疼痛)は「-en」の付いた複数形で接尾語として体のあちこちを示す名詞に付き,その部位の痛みを表す。例文中のLendenschmerzen(レンデンシュメルツェン:Lendeは腰部,次の語との合成語を作る際に-n-が入っている)をはじめKopfschmerzen(コップフ~:頭痛),Bauchschmerzen(バウフ~:腹痛)などなどきりがない。単独でもよく使われ,走り書きのカルテでSch---nとしか判読できなくても前後の文脈と照らし合わせれば「痛み」のことだろうと推定できる。

 ドイツ語で痛みを表す医学用語にはこれら土着系の,やまとことばならぬ「ゲルマンことば」の他に,例文中のCoxalgie(コクサルギー)のようにギリシャ語・ラテン語起源のものがある(ラテン語の接尾辞-algiaはギリシャ語のalgos痛みに由来)。Omalgie(オマルギー:肩の痛み)やGonalgie(ゴナルギー:膝の痛み)ともに,独和大辞典に出ていなかったので,アルギー系はドイツ本国でも医療関係者しか使わない専門用語のようだ。

 日本語でも例えば,普通の外来患者が「主訴はシッセイガイソウ(湿性咳嗽)です」などとは言わないのと同じようなことだろう。そんな発言をするのは自分が「同業者」だゾということを冗談めかして伝えたい医療関係者か,シロウトだが解説本やインターネットで難解な専門用語を仕入れるのが趣味という「医語オタク」くらいだ。ただし,同じギリシャ語・ラテン語由来でも腰痛のLumbago(ルンバーゴ),坐骨神経痛のIschias(イシアス)は学習独和辞典にすら出ているので一般ドイツ人でも使う語彙らしい。

 なお,Coxalgieの前に付いている「l-」は形容詞link(リンク:左の)の略のつもり。反対の右は「r-」(recht:レヒト),両側を意味するbeiderseitig(バイダーザイティッヒ)は「bds-」などと書かれる。

あいつはゲダンケンガングがおかしい

 Verlauf(フェアラウフ:なりゆき,経過),beobachten(ベオバハテン:観察する,英語ならobserve),zunehmen(ツーネーメン:増す,悪化する),とこの辺の語は綴りさえ判読できれば普通の独和辞典で意味は十分調べられる。Gangstörung(ガングシュテールング)のGangは動詞gehen(行く,英語のgo)の関連語で,歩くこと,行くことが元の意味だが,比喩的にやり方,進行なども表すことがある。

 ちなみに昔,論旨に飛躍がある人をけなすのによく使われたGedankengangとはGedanke(考え,説)の展開の仕方,これが変ならその人の話にはついていけない。「ン」をはさんで響きの硬い音が並んで,まるで機関銃の発射音のような語感をかもし出し,他人を非難する時に使うと迫力があって効果的な単語だった。Störungは動詞stören(妨げる)から来ている。うまく歩けないとHinken(ヒンケン:跛行)が生じることになる。

メッスング(Messung計測)などなど

 例文にはないが,整形外科の理学的診察では関節の可動性を角度で表現するなど,計測が盛んである。腕や脚の周囲径(Umfang)を測って客観的に腫れや萎縮を評価することもよく行われる。特にOberschenkelumfang(大腿周囲径)とUnterschenkelumfang(下腿周囲径)はよく使われ,それぞれo.s.u,u.s.u.と略記される(Schenkel:シェンケルとは太腿,脚のこと)。

 さて,整形外科といえばKnochen(骨)を忘れちゃいけない。英語と違ってドイツ語ではnの前のkも律儀に発音するので,カナで近似するとクノッヘンとなる。同様にKnie(膝;英knee)はクニー,Knoten(結び目;英knot)はクノーテン。

 その他にこの科でよく出てくるドイツ語系用語としては,Wirbel(ビルベル:脊椎),Gelenk(ゲレンク:関節),Muskel(ムスケル:筋肉)などがある。そういえば,カルテ運びなどの単純作業や単調な実験操作のことを冗談でMuskelarbeit(ムスケルアルバイト:肉体労働)と呼ぶ言い方があった。

ご注文はかけそばですか?

 自分の専門領域の話題で恐縮だが,最後に一部の外科系医師が骨の検査のつもりで乱発する「テクネシンチ」という語について一言述べておきたい。確かにテクネチウムの放射性同位元素Tc-99mはシンチグラフィ(scintigraphy)と呼ばれる核医学画像検査で活躍するが,その標識物には多くの種類があって,骨の他にも脳・心臓・腎臓など目標臓器に合わせて使い分けられているのである。彼らが意図している検査は,混乱を避けるために正確な用語で「骨シンチグラフィ」と呼んでもらいたい。

 われわれ核医学専門医は,「テクネシンチ」と聞くと何も標識していない過テクネチウム酸を使った甲状腺や唾液腺の検査を想起してしまう。麺類の専門店で客が単に「そばをくれ」と注文したようなものだ。店員は「何そばにしますか?」と聞き返すか,ネギ以外は具の入っていないのを持ってくるだろう。骨の検査にはテクネチウム自体ではなく,それを骨に集まりやすい物質に標識した製剤を使うのだから,「かけ」ではなく,例えば鴨肉入りのそばに相当する。「お客さん,注文は正確にお願いしますよ!」。

つづく

次回予告
 今度は産婦人科を特集しよう。「Anämieの原因になっているgänseeigroβのMyomに対してATを提案したがWunsch nach Kindの強いEhemannの説得に難渋……」。誰かが筋腫の手術に同意してくれないようだ。どんな性状の腫瘤なのか。反対している理由は何だろう。


D・ゲンゴスキー
本名 御前 隆(みさき たかし)。1979年京都大学医学部卒業。同大学放射線核医学科勤務などを経て現職は天理よろづ相談所病院RIセンター部長。京都大学医学部臨床教授。専門は核医学。以前から言語現象全般に興味を持っていたが,最近は医療業界の社会的方言が特に気になっている。