医学界新聞

 

〔連載〕
感染症Up-to-date
ジュネーブの窓から

第5回 麻疹流行の際に問われる責任-ルーマニア,そして日本

砂川富正(国立感染症研究所感染症情報センター)


前回よりつづく

断片的に伝わるルーマニアの麻疹情報と過去の推移

 ルーマニアでは家禽での鳥インフルエンザが2005年12月末現在でも拡大傾向にある一方,11月下旬から12月にかけてそれ以上に気になっていた当地のニュースがある。それは“麻疹の流行”であった。黒海に面した港町であるコンスタンタを中心に患者数は日に日に増加していき,12月6日付のAP伝では,ついに患者数は4000人以上,10人が死亡,とされた。この週末にコンスタンタでは2名の小児が死亡したらしい……など伝わる情報は,ワクチンで予防可能ではあるが,やはり重症な感染症である麻疹らしい内容であった。患者の大半はワクチン接種を受けていなかった,などの情報が伝えられていく。

 WHOのワクチン予防可能疾患モニタリングシステム(2005年10月更新)よりルーマニアの項を見ると,麻疹関連ワクチンとして,同国ではMMR(麻疹・風疹・流行性耳下腺炎)ワクチンを生後12-15か月に接種し,7歳時点で麻疹単抗原ワクチンを接種するスケジュールとなっている(つまり麻疹ワクチンについては2回接種)。昨年までに報告された麻疹患者数の推移が2001-2003年までが各年9-14例で,麻疹を含むワクチン推定接種率も各年97-98%であったのが,2004年については,接種率は同様であるが患者報告数が117例と急増したのは背景の何らかの変化を示唆した。また米国では,2005年の5-6月にルーマニアからの輸入例に端を発した34例の麻疹患者が報告されていた(米国CDC情報)。

 約8年前にさかのぼるが,1996年12月から1997年9月までの間にルーマニアでは大きな麻疹の流行があり,13例の死亡を含む2万34例の麻疹患者が報告されている。患者の年代は,2歳以下および10-18歳の2つにピークを持ち,58%の患者が1回のみの麻疹ワクチン接種歴を有した。このアウトブレイクは,1回の麻疹ワクチン接種では,感受性者は蓄積し,アウトブレイクが発生する可能性を如実に示す例としてたびたび引用される。

ルーマニアにおけるアウトブレイクの発生原因および不作為に対する責任の追及

 それでは,2005年のアウトブレイクはなぜ発生したのだろうか。メディア情報によると,2005年の麻疹・風疹・流行性耳下腺炎のワクチン・スケジュールは,ワクチン(予算の?)不足により頓挫していたと伝えられた。その情報が事実ならば,かつてのソ連邦崩壊後に発生した,ワクチン接種体制崩壊に伴うジフテリアの集団発生を思い起こさせる。ヨーロッパの地域機関が,この事例について問い合わせを行っているはずであり,いずれ詳細な情報が共有されるであろう。

 このアウトブレイクへの対策として,ルーマニアの厚生大臣が緊急の予防接種キャンペーンを指示したことが伝わっている。また同大臣のこの事態への怒りは凄まじかったようだ。「2003年以降多くの小児がワクチンを接種されなかったことから今回のアウトブレイクが発生した」とし,検察当局に今回の事例,および関係者が適切に業務を遂行したかどうかについて調査するように書簡を送った。そのうえで,2名のワクチンプログラム担当者を解雇し,ルーマニアCDCには情報伝達の面での問題を指摘し,その解体を命じた。今回の事例に関しては,地方行政への予算の供与と実施の面で問題が多々あったようである。野党は厚生省の怠慢を非難し,逆に厚生大臣の辞職を要求した。

わが国における麻疹や風疹の流行の責任

 ルーマニアの麻疹アウトブレイクは,2つの点で,日本の麻疹発生および対策について考えさせるニュースであった。

 1つ目は,世界的な麻疹排除に至っていない現在,要因の如何を問わず,ワクチン接種率が低率に推移した場合に,大規模な麻疹のアウトブレイクは発生するということだ。患者の年代別分布などの詳細情報は不明だが,患者数や死亡者の数は,2001年頃の沖縄における麻疹アウトブレイクの状況と不思議によく似ている印象がある。

 2点目として,ルーマニアでの今回の流行に際する状況と比較して,わが国では感染症の流行が見られた場合に,その責任を誰が取るのかきわめて曖昧だということだ。代表的なワクチン予防可能疾患である麻疹(および風疹も)の予防については,厚労省は患者発生を押さえ込もうとする意思の欠如,あるいは患者発生時の責任回避の傾向が見て取れることは,昨年(2005年)8月に公布され,本年4月より実施される予防接種法の政省令改正を見ればかなり窺い知れる,と筆者には感じられる。この改正は,麻疹,風疹の定期接種を1期(1歳代),2期(小学校入学日前より1年間)の2回接種とし,麻疹・風疹混合ワクチン(以下MR)を使用することを含んでおり(この点は大きく評価される),ついに日本も麻疹・風疹の排除に向けて腰を上げたかのように見えた。

 しかし,実際にはこれらの動きは現状ではポーズに過ぎなかったようだ。2期のMR接種を受けられるのは,2005年4月2日以降に出生した児であり,2010年までの5年間,実質的に2回接種は行われない。また使用ワクチンについては,2006年4月1日以降はMRのみ使用可能であり(従来の麻疹および風疹単抗原ワクチン(MおよびR)は定期として使用不可),過去にMおよびRの一方あるいは両方を別々に接種した者,過去に病気としての麻疹および風疹のいずれか一方に罹患したとされる者は,未接種あるいは未罹患であってもMR,M,Rのいずれをも定期予防接種として接種不可となる。また保護者がMやRを希望する場合,法に基づかないが,各市町村の費用負担にてこれを行い得る,として市町村に実施と責任を完全に丸投げされている。

 これらの理由説明とも取れるパブリックコメント等を何度読んでもよく理解できない。MR2回の方針を現状のエビデンスで施行する積極性と,単抗原あるいは自然罹患後の生ワクチンを問題とすることのバランスの悪さは特に目につく。筆者は国際的な専門家とのディスカッションをたびたび試みるが,今回の日本の改正は,医学的な説明がまったく不能である。国内の現場および専門家は,厚労省の改正内容を公布後初めて知り驚愕し,落胆したのだが,このような大事なワクチン行政の変更について,その公布に至る経緯の情報開示は皆無であったことも,わが国の官僚主導の行政における大きな問題点ではなかろうか。

ワクチンを含む感染症行政における問題点の指摘を現場から絶やしてはならない

 昨秋,日本を含むWPRO(WHO西太平洋地域事務所)は,2012年までの地域内からの麻疹排除をゴールとすることを正式に宣言した。厚労省は,世界の流れも見ながら,麻疹・風疹対策強化のための2回接種導入を検討したはずだ。しかし,法令上の整合性を重視し,また副反応訴訟への懸念を重視するあまり,医学的に無理のある多くの制約に加え,今後も流行が発生するリスクへの視点を明らかに欠いてしまった。

 今回の施策は,多くの子どもを麻疹などの国際的に減少しつつある感染症罹患へのリスクに再び曝すということである。「超少子化社会の到来」というわが国の憂慮すべき状況下にあって,国は,代え難い宝である一人ひとりの子どもを先頭に立って大事に養育すべきではないか。示されたシステム下でも最大限の努力を行わなければならないが,保護者,臨床現場,自治体,そして専門家は,改正に伴う現場の問題点を厚労省に正面から指摘し続けるべきだ。

 ここ数年のわが国における麻疹患者数減少は必然ではなく,2000年前後にかけて,有効なワクチンを受けることなく死亡したり重症化したりした多くの患者を目の当たりにした,沖縄をはじめとする日本全国の医療や公衆衛生「現場」の血の滲むような努力があったことを,今一度噛み締めてみる必要がある。ルーマニアでは,今,その血の滲むような戦いが政府を先頭にきっと始まっていることだろう。

つづく