医学界新聞

 

名郷直樹の研修センター長日記

25R

流れに求める

名郷直樹   地域医療振興協会 地域医療研修センター長
横須賀市立うわまち病院
市立伊東市民病院
東京北社会保険病院臨床研修センター長


前回2659号

●月×日

 2つ目のローテートも,もう終わりに近い。落ち着いたような,落ち着いていないような。何かが変わったような,変わっていないような。研修医たちも大きな問題を抱えながら,少しは前に進んでいる気がする。それでもまあ仕事の方は落ち着いてきたな。

 なんだか変なのは日々の生活だ。家族はもう田舎暮らしを忘れたかのごとく,都会暮らしを楽しんでいるように見える。娘は,かばんから手を離しても落っこちないくらいの満員電車で文句を言いつつも,なんだか楽しそうだ。息子は,駅前のデパートが遊び場だ。でも決してそれだけじゃなくて,テニス部に入って日焼けサロンで焼いたかのような黒さ。そんな子どもたちに対して,私自身はといえば,どうだろう。娘や息子が言うには,田舎の時よりやさしくなった,なんて言う。お世辞かもしれないし,ほんとかどうか知らないが,そんなことを言う。やさしくなったというのはどういうことだろう。年をとったということか。それならまあわかる。

 今日は東京の本部まで出張だった。本部は,国会議事堂が窓から見える都心の一等地にある。最近は週に1回くらいは本部へ電車通勤。いつも電車に乗るたびに変な気分だったのだけれど,今日はまた特別妙な気分だった。ここはどこ? 極端にいうとそんな感じ。子どもたちが都会の生活になじんでいくのと比べて,自分はいつになったらこちらの生活になじめるのだろう。いまだになにか観光旅行にでも来ているような感じがして,ここに住んでいるという実感がない。田舎暮らしが長かったし,引っ越して来てまだ間がないし,そのうち慣れるに違いない,そう思っていたのだが,今日もまた同じ感じ。むしろ意識する分,ひどくなっているかもしれない。ぜんぜん慣れない気がする。これほどの大都市でないにしろ,18歳までは人口200万の丹谷古屋市で育ったというのに。

 たとえば今,目の前にある1本の飲みかけのペットボトル。それを眺めていても,別に妙な気分はしない。昨日も飲んだし,今日も飲んだ,明日も飲むだろう。でも今,突然私が生まれた頃へとタイムスリップして,同じように目の前にこの飲みかけのペットボトルがあったとしたら。何か妙な気分がするのじゃないか。中に入った不気味な黄色い物体は? ひょっとしたら爆弾かもしれない。あるいは,こんな説明の方がわかりやすいかもしれない。時を止めて,過去の一切の記憶をなくしてこのペットボトルを見たとしたら,どんな感じがするだろう。それもまた妙な感じがするのではないか。電車からの景色は,たとえていうとそんな感じ。

 そんなことを考えながら,はっと思い当たることがあって,ぞっとする。何とか続けている内科外来。目の前にいる1人の患者さん。タイムスリップした世界で目の前にあるペットボトルのように,電車の窓から見えた妙な景色のように,そこにいる患者さん。同じ感じだ。へき地診療所の外来では,決してなかったその感じ。ここでの外来は時が止まっている。

 時は止まらない,なんていうけれど,そんなのうそだ。いつも時を止めている。時を止めなければ,病歴だって聞けないし,診察だってできない。血圧だって測れない。金八先生の最終回に流れた歌(世情だったっけ?)のように,時の流れを止めて,変わらない夢を見たがるのは,科学者たち,あるいは,私たち西洋医学を受け継ぐ医者だ。しかし目の前にある現実は,行く川の流れは絶えずして,またもとの水にあらず,という流れ。

 診察室の中で,時を止めて,患者さんをみた時,さまざまなものがみえた。血圧が高いですね。糖尿病です。胃の中にガンがあります。多くの病気が見つかり,それは確かに大きな成功だった。でもへき地の診療所で,そんな仕事をしても,都会の病院ほどは評価されない。そんなことはもっと大きい病院でやってもらいます。そんな中で,検査なんかやめましょう。血圧なんか測らなくていいのです。薬だって飲んでも飲まなくてもそんなに変わりありません。そんなことをやるようになって,何か新しいことを学んだ。時を止める方法に対して,時を止めない方法。そういう新しい手法を学んでいたのかもしれない。

 時を止めるということを,もう少しうまく説明したい。たとえば臨床病理カンファレンス。患者が死亡し,時が止まったところで,臓器を刻んで,観察し,さらに細かく切って,顕微鏡で観察する。こうした手法が大成功を収めたのが,西洋医学だ。尊敬する解剖学者は,スルメを見てイカがわかるか,なんて本を出していたが,解剖学者に限らず,臨床の医者だって,時を止めて,いつもスルメを見ているのだ。あるいは生のイカを目の前にしていながら,スルメからのデータでイカでの出来事を想像しているに過ぎない。

 へき地の診療所には流れがあった。昨日,今日,明日。時を止めないと見えてこない都会の生活,時を止めると見えない田舎の生活。時を止めないで提供する研修。一体そんなことが可能だろうか。

 娘が国語の授業で,意識の流れ,なんてテーマで勉強したらしい。ジョイスとかプルーストって読んだことある? なんて生意気なことを聞く。でも読んでないから,生意気とも言えない。プルーストでも読んでみるか。

次回につづく


名郷直樹
1986年自治医大卒。88年愛知県作手村で僻地診療所医療に従事。92年母校に戻り疫学研究。
95年作手村に復帰し診療所長。僻地でのEBM実践で知られ著書多数。2003年より現職。

本連載はフィクションであり,実在する人物,団体,施設とは関係がありません。