医学界新聞

 

カスガ先生 答えない
悩み相談室

〔連載〕  8

春日武彦◎解答(都立墨東病院精神科部長)


前回2659号

Q 先日,精神科を受診した患者さんが,担当医のことを「あの先生,いい先生よ~。とにかく話をじっくりと聞いてくれるし」とほめているのを耳にしました。現在外科で研修中の私は,この言葉に考えさせられてしまいました。確かに患者さんの語りにじっくりと耳を傾けることは大切でしょう。でも,医師というプロフェッショナルな仕事において,「話をじっくりと聞いてくれるいい先生」だけでは,ちょっと寂しい気がしないでもありません。ただの親切オバサンだって話を聞いてあげることはできるんですから。医師としての自尊心,あるいは矜持の持ち方として,精神科医であるカスガ先生はどのようにお考えでしょうか(失礼な質問かもしれません,すみません)。(研修医・♂・30歳・外科)

精神科医の自尊心

A とてもいい質問だと思います。あなたがおっしゃる通り,精神科の仕事には親切オバサンとか心優しいボランティアとか癒し犬なんかのほうが,むさくるしい医者なんぞよりよほど安らぎをもたらす場合があります。担当医よりも受付ナースのほうを頼りにしている患者さんすらいらっしゃいます。でも,それでいいじゃないですか。患者さんが救われれば,結果オーライじゃないかと私は思います。

 それならば医者なんか不要になりかねないと心配でしょうか? でも,そんなことはありません。ディレクターとして精神科医は,それなりの方向づけをしたり,周囲の応援が間違った方向に行かないように案配しているのです。精神科医が監督兼主役の場合もあれば,監督だけに徹して画面には登場しない場合もある。カウンセリングにしたって,医師は解決法とか「魔法の助言」なんかを与えるわけではありません。基本的によい聞き手に徹し,患者自身が自分の問題点に気づき,それを克服するようにガイドしていく役なのです。

 したがって,なるほど「オレがあの患者を治したんだ」といったカタルシスは乏しいかもしれませんね。しかしそのようなわかりやすい達成感を望むのなら,例えば自動車修理の仕事でもすればよろしいのではないでしょうか。

 精神科の仕事は,結局のところ世間の人々や家族をも含めてのチーム医療であると考えています。そうした認識に立って,時には黒子に徹することもあります。私はそれがおもしろいので,精神科医を続けています。おっしゃるとおり,患者さんの話に耳を傾けるなんて,誰にでもできます。にもかかわらず,じゃあ耳を傾けてさえいれば患者は皆救われるのかといえばそんなことはない。私個人の美学といたしましては,誰にでもできるようなことをしているのに誰もが達成し得るわけではない結果を引き出すところにこそ,精神科医の喜びがあると思いますね。

 まあ,外科医にしたって,「神の手」とか言われても,例えば縫合技術だけに限るなら,カケハギ屋さんのほうがうまいかもしれません。実際には,そういった部分的な器用さなんかよりも,総合的な判断能力や決断力のほうが遥かに重要となりましょう。そうした点では,外科であろうと精神科であろうとその他の科であろうと,案外と共通した部分は大きいのではないでしょうか。

次回につづく


春日武彦
1951年京都生まれ。日医大卒。産婦人科勤務の後,精神科医となり,精神保健福祉センター,都立松沢病院などを経て現職。『援助者必携 はじめての精神科』『病んだ家族,散乱した室内』(ともに医学書院)など著書多数。

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