医学界新聞

 

新春随想
2006


21世紀の医療

大島伸一(国立長寿医療センター・総長)


 21世紀という新しい100年を軸にさまざまな議論がなされているが,私は歴史上見られた農業革命,産業革命に匹敵する,あるいはそれ以上の大きな変化が生じるのではないかと想像している。農業革命では,食の獲得と定住と人口の増加を生んだ。産業革命では,エネルギー動力を用いて機械を使い,飛躍的に効率が向上した。都市への人口の集中化,生産性の向上は,生活を便利にし,豊かさとは,富の蓄積と同義となった。そして,価値はモノや数値で計られるようになり,さらに,新しさ,珍しさが消費欲と重なって,日常の生活感覚がマヒし,その結果,理解のできない,訳のわからない事件や現象が頻発するようになってきている。

 どの国も科学や技術は,産業の振興を進め国力を高める最も有効な要素と考え推進してきたが,20世紀は功だけでなく,地球環境の悪化等,科学技術の罪が深刻化した時代である。今や環境汚染は人類の存続に重大な影響を与えるものとして,地球規模で議論がなされている。そして,科学技術は外部の自然の解明から,人間の内部の解明に向かっている。科学は人間の生命現象の解明にも同じ方法論で向かう。外部の自然を徹底的にモノ化してきた科学が,同じ方法で人間の内部に向かった時に,何が生まれるのか。

 そして,高齢化である。人生80歳,90歳という世界のどこも経験したことのない時代が21世紀である。高齢社会では,豊かさの指標が金やモノであることを認めようとしないだろう。金やモノは生活,時には生命を左右するが,それだけでは人は満足できない。もちろん,医学・医療へその影響が及ばないわけがない。今まで,私たちが行ってきた近代科学を基本にした医学,医療,一分一秒でも救命・延命を使命としてきた医療が,高齢者に安心や満足を与える医療となりうるだろうか。21世紀とは,今までの医療のあり方を根本から見直さなければならない時代ではないかと思うのである。


患者の人生のロードマップに沿った医療をめざす

柳澤厚生(杏林大学教授・保健学部)


 私はこの数年間,コーチング・コミュニケーションの研究と医療現場への普及活動を続けている。昨春,神の声のように「患者の人生観と価値観を取り入れたロードマップ」の構想が心に浮かんだ。

 私たちは診察で現病歴,既往歴,家族歴など患者の歴史情報を聞き,診察や血液・レントゲンなどの検査で現在情報を収集する。この情報をもとに病気を診断し,「あなたは高血圧で運動療法・食事療法・服薬が必要です」と患者に伝え,治療が始まる。これは診療現場であたりまえに交わされているコミュニケーションである。

 しかし,そこには患者の人生観や価値観という「未来情報」がない。これを無視しては患者のための医療にならない。ここで「あなたはどのような人生を送りたいと考えているのですか?」とインタビューをする。「仕事はリタイヤ」「春夏秋冬ごとに妻と旅行」「食事療法は意識しないでできている」「減量して身体は軽やか」「服薬はなし」と1つひとつ引き出し,そこから人生のロードマップ(道路地図)を描くのである。

 このロードマップを主治医,看護師,栄養士,薬剤師,家族が共有することで医療の質は劇的に高まる。ロードマップを見れば,医療サイドの役目は一目瞭然であり,これに沿った治療計画を立てられる。「患者はきっとこれを望んでいるに違いない」という一方通行の思い込みはなくなる。何よりも患者が作ったロードマップである。「1年後には血圧の薬を服用していない」とあるならば,「そのためにあなたは何ができますか?」,そして「私たちは何をしてあげられますか?」と訊ねることもできる。そこには「自ら考え,自ら行動する」患者の姿がある。

 多くの方々の熱い賛同を得て,患者の人生観や価値観を引き出すコミュニケーション・スキル,そしてロードマップへの文書化を支援するコミュニケーション・ツールが完成する。これまであえて患者に訊ねてこなかった患者の人生観や価値観を全面に出した,新しい医療インタビューに対する現場からのフィードバックにわくわくしている。


私が外来診療でめざしていること

五十嵐正男(五十嵐クリニック・院長)


 今私が開業医として行っている一般外来診療には,かつて病院時代に経験したような緊張感と達成感に溢れた魅力はない。そのためか開業当初の1-2年は大切なものを失ったような喪失感におそわれ,夜は病院の夢を見ることが屡々であった。

 しかしよく考えてみたら,病院での先端的な専門医療も確かに必要ではあるが,その対極である一般外来で行われる医療の数は,はるかに多い。生命が危機に瀕するような重篤さはないが,日常の健康な生活を脅かす問題が後ろに隠され,その人を不安に陥れていることに変わりはない。

 今私がよい外来の医療を続けるために努めていることは次の4点に絞られている。

1)患者は自分の親しい隣人であることを常に意識し,いつも自分から心を開いて患者に接すること。心が通い合えばよい情報が得られるし,説得力も増す。
2)患者たちの支払いがより少なく済むよう,不要な検査を省き,薬代もより少なく済むよう高価な薬を避ける。そのためにはジェネリック医薬品をできるだけ使う。
3)自分自身の医学知識を常にupdateさせ続ける。
4)自分の守備範囲を越える疾患に出会った時に,お願いできる優れた開業医の同僚と病院とを普段から見つけておく。

 自分自身の医学知識をupdateさせ続けるために,診療机の上のコンピュータにCD-ROMから格納された医学教材を大いに利用している。簡単な問題の場合は医学書院から出版されている『今日の診療プレミアム』,大きな問題の場合には米国の主要学会が共同編集し,発売している『UpToDate』が非常に助けになる。これらにより瞬時に問題の答えが得られるので,ほとんど毎日のようにお世話になっている。

 本来ならばretireしている年齢に達しているのに,いまだに元気で仕事が続けられ,しかも多くの人から必要とされていることに,心より感謝している。


安全保障としての医療

鈴木 厚(川崎市立川崎病院・地域医療部長)


 国民が日本の医療に切望していることは,「医療の質を上げてほしいこと,医療の安全性を高めてほしいこと」の2点である。この国民の願いに応えるためには国民医療費を上げなければ達成は不可能であるが,この国民の願いを踏みにじるような診療報酬の減額が本年4月に控えている。

 日本の医療は,世界がうらやむ高い水準にある。WHOは日本の医療を世界第1位,アメリカの医療を第37位と評価している。この高い評価は日本国民が高度医療を安い値段で受けられるからで,これは医療機関の努力と犠牲によって成り立っているが,このことを誰も言わないので誰も知らない。

 日米を比較すると,医師1人当たりの患者数では日本は米国の4倍以上,約8分の1の単価で患者を診察している。このように安い医療費で患者を診ているため,多くの医療従事者は多忙にもかかわらず病院は経営難におちいっている。

 日本の国民総医療費31兆円はパチンコ産業と同額であり,葬儀産業(15兆円)の2倍にすぎない。それなのになぜ政府は医療費を抑制するのか。それは日本国には1000兆円近い借金があるため,国庫から出している医療費8兆を減額したいからである。政府の経済政策の失敗を国民の生命に転嫁しようとしているが,はたしてこれでよいのだろうか。「国民の生命と健康を,パチンコ産業と同額の金額で守れ」とする政策は大きな間違いである。

 政府やマスコミは「医療費の論議を医療機関の儲け話」にすりかえ,「医療事故を医師や看護師の資質の問題」にすりかえ,医療のあり方を国民の安全保障として真剣に考えていない。国を守る自衛隊は27万人,国民の生活を守る警察官は26万人である。いっぽう日本の国民の生命,国民の健康を守る医師数は26万人である。

 医療はサービス業ではない。日本人の生命を守る安全保障である。この安全保障の根幹を支える医療に不満や批判を言うならば,その前に諸悪の根元である医療費抑制政策を止めさせるべきである。


新たな眼科医療をめざして

高橋 広(柳川リハビリテーション病院・眼科部長)


 ロービジョンケアという言葉を聞いたことのある医療人は,どのくらいいるだろうか。

 ロービジョンケアは,視覚障害者に対するリハビリテーションである。視覚障害児・者の9割はまったくの失明者ではなく,何らかの視機能を有する(ロービジョン者)。その視機能を最大限に活用してQOLの向上をめざすケアをロービジョンケアという。

 従来のわが国における視覚リハビリテーションで眼科が果たす役割は,失明の告知と盲学校や更生施設につなげることであった。しかし,このシステムでは,患者である視覚障害者は医療から単に見放されたとしか受け取れず,悩み,苦しみ,果てはうつ状態となり,日常生活訓練を求め,盲学校や福祉の戸を叩くものは少なかった。

 これではいけないと最近の眼科医療では,眼を診て失明が予想できたり,視覚的困難の訴えがあったなら,たとえ治療中であってもロービジョンケア(訓練)を開始する眼科が増えてきた。そこでは患者や視覚障害者の苦しみや悩みを感じる心が最も重要で,したがってわれわれは感性を磨くことに努めなければならない。眼科診療以外でも,心のケアを主体としたロービジョンケアを受けることができれば,その患者はさらに癒されていく。そして,読み書き,歩行や日常生活訓練を行うことで,「できなくなった活動」を1つひとつ「できる活動」にしていき,「している活動」が増えることでQOLも向上し,自信も回復する。

 こうして,障害を受け入れ,生きていく力(する活動)を再び持てるのではないか。不幸にも見えなくなった患者の不安に怯える姿を見て,何も感じない医療人はいないと信じる。ロービジョンケアの起源は「医の心」であり,「医のやさしさ」であるので,すべて医療人がそっと「心の手」をだせば,そこからロービジョンケアは始まる。

 現在の眼科医療はquality of vision(QOV:視覚の質)を上げることを目的に飛躍的に進歩しているが,その究極の目的は患者や視覚障害者のQOL(生活の質,人生の質)の向上である。したがって,私は眼科医療が生活や人生を支援する医療・ロービジョンケアへ展開していくことに今年も邁進していく。


新しい道を歩むことを決めた友人医師への年賀状

松村真司(松村医院・院長)


 新年あけましておめでとうございます。

 ごぶさたしているうちにお正月になってしまいました。いろいろありましたが,結局これまでめざしてきたものとは,違う道を選んだと聞きました。節目の年になりそうですね。新しい年が先生にとってよい年になるよう,心よりお祈り申し上げます。

 さて,最後に先生にお会いした時に聞かれて,うまく答えることができなかった「これまで私は何を目標にして過ごしてきたのか?」という質問に答えてみようと思います。

 今ほど情報も選択肢もなかったので,先生のように悩むことは僕にはありませんでした。不十分でも,その時点で自分にできることを見つけ,それをなんとかする,ただそれだけでした。ですから,明確な目標はなかったのです。しいていえば,「存在し続ける」ことだけが目標だったのかもしれません。その中で,僕が注意してきたことが2つ,あります。

 それほど昔のことではありませんが,何人もの若く優秀な医師たちが,忌まわしい事件を引き起こす団体と関わり問題になったことがありました。それに対しては,みな忘れようとするだけで,なぜそんなことが起きたのか,どうすればよかったのかについて,今でも答えが出てはいません。医師としての最初の数年をそんな時代に過ごした僕は,個人的な対策として,断定的にものを言う人たち,それから若さや頭脳を利用しようとする人たちのことは,どんなに正しいことを言っていても距離を置くようにしてきました。

 もう1つは,内的規範を持つ,ということです。先生もすでにお気づきのように,物事は考えたほど単純ではありません。時には,現実に合わせ自分を変える必要もあります。そんな時は,自分の中の規範をまず頼りによく考え,周囲は気にしないようにしてきました。滑稽かもしれませんが,こうして僕は今でも自分の中に自由と力を蓄えるようにしています。ただ,後悔したくないだけなのかもしれません。

 結局うまく答えられていないかもしれませんが,これが今の僕の答えです。

 今度お会いするときには,先生の新しい経験を聞かせてください。とても,楽しみにしています。

 それと,最後に。先生が選んだ道なら大丈夫です。何かあれば,いつでも相談してください。できる限り,手助けします。

 今年も,そして,これからもどうぞよろしくお願いします。

2006年 元旦