医学界新聞

 

【寄稿】

石綿による健康障害・不安を訴える人への対応
-横浜労災病院アスベスト疾患ブロックセンターの活動を通じて

武内浩一郎(横浜労災病院 内科部長/産業保健・産業医支援センター長/アスベスト疾患ブロックセンター長)


 6月30日,石綿セメント会社大手クボタの従業員と周辺住民の石綿関連疾患による多数の死者発生の報道に端を発し,多くの企業の公表が相次いだ。その結果さまざまな公共施設や住宅が,石綿の飛散する危険がある状態で放置されていることが報道され,石綿による健康不安は,石綿作業者や石綿工場周辺住民の問題に留まらず,社会パニックとなった。

 私ども独立行政法人労働者健康福祉機構が運営する労災病院では,7月に全国の労災病院に石綿健康相談窓口を開設,9月には22の労災病院にアスベスト疾患センターを設置し,石綿健康相談,石綿健診の実施,石綿関連疾患の診断,治療にあたっている。また7施設をブロックセンターとし,地域の医療・健診機関,事業所の健康管理者への支援を開始した。毎日数十件の健康相談,多数の石綿健診,医療機関からの石綿関連疾患の紹介に対応しつつ,講演,勉強会,健康相談を連日行っている。

 この活動を通じて痛切に思うことは,石綿大量曝露者の健康障害の問題,中等量曝露者の健康管理の問題,少量曝露者の健康不安の問題を,きちんと分けることが大切ということである。

 劣悪な作業環境で石綿を大量に曝露し石綿肺(じん肺)を発症,健康障害をきたしながら労災認定や労災補償を受けていない人が多数存在する。医療機関や健診機関,関係する事業所は,患者を掘り起こし,漏れなく労災認定,労災補償を行わねばならない。また,当時の事業所や行政はその責めを負わねばならない。

 他方,中等量の曝露で,石綿肺はなく,胸膜プラークも認めるか認めないか程度で,健康障害のない人たちが存在する。彼らが将来中皮腫や肺癌に罹患する確率が一般人より高いことは事実である。しかしその危険性はマスコミの扇動的報道によりあまりに高く誤認されている。彼らにどのような健康管理,健康診断をしていくべきか,そのコスト,放射線被曝線量とのバランスは難しい問題である。

 さらには,石綿による健康障害が問題にならない少量の曝露にもかかわらず,健康不安に悩む人がきわめて多数存在し,彼らには適切な情報提供が必要である。

健康障害がありながら 放置されていた人々

 横浜は昭和30-50年代にかけて石綿の代表的な輸入港であった。石綿の荷揚げ,運搬にかかわった港湾労働者の多くは荷役業者により集められた日雇いで,マスクもつけず,健診を受けることもなく石綿まみれの作業に長年従事し,40-50代で健康を害して離職,その多くは現在生活保護を受けている。彼らはマスコミ報道を見聞きして当院を自発的に受診,その胸部写真には明瞭な間質影や著しい胸膜プラークを認め,呼吸不全を呈している人も少なくない。彼らは,かかりつけ医や保健所の相談者がありながら,誰からも労災申請を勧められることなく今日に至っている。

 横浜港に荷揚げされた石綿は,鶴見・京浜地区の石綿工場へ運ばれ,煙突や水道管などのセメント製品,建材,石綿布団,断熱剤などに加工された。この作業に従事した人の多くも,臨時雇い,季節雇いで,防じんの指導も健康診断もなかった。

 現在,石綿関連事業所の離職者が会社の指示で石綿健診に多数来院する。しかし彼らは事業所の正社員で,多くは作業の監督をしていた人たちである。朝から晩まで石綿まみれで働かされていた臨時雇いの人は,会社の離職者名簿で把握されることもなく,石綿健診を勧める通知も送られない。今回の報道を聞き,自主的に来院した人々は氷山の一角でしかない。

 さらに石綿建材や石綿製品は,造船所や車両工場,プラント工場,建築現場に運ばれ,大きな事業所の下請けの労働者が,マスクもろくにつけずに,切断したり穴をあけたり,設置や除去に従事した。石綿の吹きつけでは,吹きつけ作業をする人は防護をしても,同じ作業場で塗装や内装,配線にあたる労働者は,中小零細の下請け企業を転々とし,石綿に関する知識も,防護の指導も受けずに作業に従事していた。彼らにも,胸膜プラークや石綿肺の所見を高頻度に認める。

 当時はともかく,彼らは今では健康診断も受け,かかりつけ医もおり,別な病気で大きな病院に入院したこともある。しかし,その時々にかかわった医師は,きちんとした職歴,作業歴の聴取を怠り,胸部画像の異常を正しく読影できず,健康管理手帳やじん肺,労災申請の手続きを勧めてこなかった。これは医師の怠慢であるとともに職業性疾病,労働安全衛生への医療教育の不足の結果と言える。

中等量曝露し,肺癌や中皮腫 になる可能性が高い人々

 歯科技工士や自動車整備士,工場の補修や建物の解体業者,石綿作業の監督者,家族,石綿工場の周辺住民などが該当する。彼らの胸部写真を丹念にみると胸膜プラークを認めることがあり,CTを撮れば,より多くの人で確認できる。

 彼らの中から中皮腫が発生することも事実である。しかし,彼らの曝露濃度,期間,石綿の種類,防護方法は多彩である。彼らが癌や中皮腫に罹患する確率は,高く見積もっても10万人あたり100人以下であろう。早期発見するために胸部CTを毎年撮影すれば,その放射線被曝線量のもたらす発癌リスクは,石綿の発癌リスクを上回るかもしれない。

 石綿曝露者が中皮腫や肺癌に罹患した時の補償や援助にも,さまざまな問題がある。詳細な作業歴の聴取,適切な検査,迅速な労災申請がなされずに本来労災認定がかなうべき症例が,医療機関の怠慢,知識不足で,補償が受けられていない事例があることはすでに触れた。しかし職業性の曝露であっても,間接曝露や,労働者の家族,工場の周辺住民は,現行法では労災の対象,救済の対象にはならない。現在準備されている法律では漏れのない救済がうたわれているが,対象が広がれば広がるほど,石綿の曝露源,種類,暴露量,曝露期間が多様な集団に対して,何を基準に救済するか,どの範囲を救済するか,どのような施設で対応するか,対応できるのか,問題は山積している。

過度な健康不安を訴える人々

 石綿の健康相談に来る人には,石綿を少量でも吸入すると高率に癌や中皮腫になると思い込んでいる人が少なくない。吹きつけ場所や断熱材に近寄っただけで,胸痛,呼吸苦,咳などの症状が出現し,石綿が原因と思い込んで来る人も多い。これらの人の不安や誤解を解くのも楽ではない。

 ドライヤー,トースター,ベビーパウダー,子どもの自転車,家の断熱材,体育館の吹きつけが心配……など,相談者の訴えに耳を傾け,石綿の健康障害とはどのようなものか,発癌性はどの程度か,代替アスベストとは何か,レントゲンやCTを撮影すると何がわかるか,そのために受ける被曝線量はどの程度かを説明する。不安を拭うには相当の時間と労力を要するのである。

 報道に携わる人は,石綿という静かな時限爆弾はきわめて性能が悪く,めったなことで爆発はしないことを伝えてほしい。また,「これ以下は安全」という閾値がなく,曝露してから長年たって一定の確率で発癌するものは,石綿以外にも日常にたくさんある。タバコの煙,ディーゼルエンジンの排気ガス,放射線,紫外線,粉じん,さまざまな化学物質。これらと石綿の発癌性はあまり変わりなく,その多くは一定の規制のもと,社会に許容されていることなどを,石綿の記事を書く時には,ぜひ触れてほしいものである。

石綿問題を契機として

 昨年,全国38の労災病院の内,5病院の統廃合,売却が決定された。労災保険のあり方も批判されている。炭坑は閉山,労働環境も改善し,労災患者は減少,労災病院不要論も聞かれる。本当にそうであろうか。私はそうは思わない。

 この21世紀にも,産業構造の変化により多様な職業性疾病,労働安全衛生の問題が存在する。石綿しかり,高度経済成長の負の遺産とも言えるヒ素,ダイオキシン,メチル水銀,クロムなどの発癌,環境汚染,産業廃棄物処理の問題はすべてこれからである。

 また,コンピュータ社会,IT産業の興隆は,目,頸肩腕,ストレスなどの新たな健康障害を生み,一方で液晶,半導体,ファインセラミック,インジウムなど,新たな金属を扱う作業者に新しい労働災害が発生している。

 さらには化学物質過敏症,職業関連アレルギー,24時間業態,Shift workにおける過重労働,睡眠障害,睡眠時無呼吸症候群,職業感染症,医療従事者の結核,針刺し事故,家畜業者の人獣感染症,中小零細企業に働く人の労働安全衛生,海外勤務者の健康管理,外国人労働者の労働安全衛生,メンタルヘルス,職場のいじめ,自殺,枚挙にいとまがない。

 最近の医学界において職業性疾病,労働安全衛生,労働災害が,いかに過小評価されてきたか,そして仕事と病気,仕事と健康という視点が,多くの医療者に欠けてしまっていたことを,この石綿問題が気づかせ,労災病院のあり方を含め,現代の職業性疾病,労働安全衛生の諸問題への取り組みが活性化する契機となってほしいと願うものである。


武内浩一郎氏
1981年東大卒。東大病院第3内科助手を経て,92年横浜労災病院呼吸器科部長。2004年に横浜労災病院内科部長,産業保健・産業医支援センター長を兼務し,05年より現職。