医学界新聞

 

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米国における疼痛・緩和医療の取り組み
ハワイ大学臨床内科レジデントからの報告

伊藤 大樹(ハワイ大学臨床内科レジデント)


 「痛みを止めると重篤な病気の診断が遅れることがありますから,今は我慢してください」

 激務で知られる日本国内某研修病院の救急室で,苦痛に悶える患者を前に,私は何度この言葉を発したことだろう。当時,私は診断がつかないうちに痛み止めを投与することは,邪道な医療行為だと信じていた。実際,指導医よりそのように徹底して教育されていた。

 卒後7年が経過した2003年7月より,米国ハワイ大学レジデンシープログラムにて内科研修を開始した私は,早くもこの妄信(?)と米国医療現場の間で葛藤を強いられることとなった。ここ米国では癌性疼痛などの慢性疼痛はもちろんのこと,急性の頭痛,胸痛,腹痛に対しても禁忌がない限り,診断前にモルヒネなどの麻薬性鎮痛剤が当たり前のように静注される。当初は,「アメリカ人は表現が大袈裟で痛みに弱いな」と本気で考えていた。今回,私はこの徹底した疼痛ケアの背景にあるPain and Palliative Medicineを,米国ハワイ大学内科レジデントとして,集中的に学ぶ機会に恵まれたので報告したい。

新しいPain careの方向性

 Pain and Palliative Medicineは米国でも新しい医療分野であるが,現在は全米に53の専門医養成プログラム(フェローシッププログラム)が存在する。私が研修しているハワイ・ホノルル市内Queen's Medical Centerでは,Memorial Sloan Kettering Cancer Centerでトレーニングを受け,その後New York Mount Sinai Medical Centerでfacultyとして活躍されていたDr. Daniel Fischbergを部長に迎え,2004年にPain and Palliative Medicineが1つの科として発足した。Dr. Fischbergは麻酔科医ではなく内科医であり,この科は彼と他に専門トレーニングを受けた5人の看護師より構成されている。

 主治医として入院患者を持つことはなく,基本的には他科からの紹介患者の診療,pain careについての啓蒙・教育活動が主な仕事内容である。われわれが扱うpainは「total pain」を指す。これは(1)physical pain(身体的疼痛),(2)social pain(社会的疼痛),(3)emotional pain(感情的疼痛),(4)spiritual pain(註1)の4つを意味する。よって他科からの依頼には,外傷・手術後・癌性疼痛などの身体的疼痛管理のみでなく,さまざまな疾患による終末期患者の「total pain」の緩和,時にはホスピスケア(当院は院内にホスピスが存在する)が含まれている。後に症例提示で述べるような終末期患者・その家族・担当医師の間に入り,話し合いを進めること,時には望ましい方向に導いていくことも,われわれの大切な仕事である。

 当院は米国ハワイ諸島全体の最終高次救急医療を担い,当科も積極的に急性期医療に組み込まれている。今年上半期のみで院内971症例のコンサルトを受けており,この数字から急性期治療においてもpalliationが重要視されていることがわかると思う。

Palliationの基本コンセプトと end of life care

 従来,米国でも疼痛治療のコンセプトは,まず診断,その後に疼痛治療が開始されるべきものとされていた。一方,新しい疼痛治療のコンセプトでは,疾患に対する診断・治療過程と同時に開始されるべきものとされている。つまり,palliationは終末期のみに限定されたものではないということである。

 終末期では根治治療を行うか否かに関らずpalliationは大切な位置を占める。われわれは病院の性格故に,急性期にありながら末期またはその境界上にいる患者について,コンサルトを受けることも多い。この場合いわゆる「end of life issue(終末期にかかわるさまざまな問題)」の解決がわれわれに期待されている。「end of life issue」には,(1)DNR(do not resuscitate)の決定を含めた治療方針の決定,(2)身体的疼痛を主とした緩和医療,(3)宗教的・精神的ケア,(4)心理的・社会的ケア,(5)ホスピスケアなどを含んでいる。

 ここで症例を通して,Pain and Palliative Medicineの具体的仕事内容を紹介したい。70歳男性,既往歴に糖尿病,慢性腎不全があり,今回消化管出血のため他院で内視鏡治療および開腹手術を受けた。しかし術後吻合部出血,中心静脈ライン感染症,真菌敗血症,DICを合併し当院集中治療室に搬送された。患者は長期にわたり人工換気,緩徐持続的血液透析,ノルエピネフリン持続静注を受けていた。

 われわれは疼痛コントロールのためフェンタニル静注,譫妄に対してハロペリドールを開始した。同時に意思表示のできない患者の意思決定代理人(註2)を決定後に,家族・集中治療専門医・腎臓専門医・外科医を一同に集め,Dr. Fischbergの指導のもと話し合いを行った。

 患者は前もって口頭による家族への遺言やリビングウイルなどにより,死が不可避な状態に陥った時の治療方針を事前指示(註3)し,また意思表示ができなくなった時の自分の代理人を指名することができる。事前の代理人指名がない場合,米国では患者の意思決定代理人を医療現場で決定できるよう法整備されている。

 話し合いでは各医師に各々の立場から家族へ,病状・治療法・予後についての説明を行ってもらい,このまま治療を継続しても生存の可能性はきわめて低いこと,単に患者の苦痛を長期化させることになる可能性がきわめて高いことが伝えられた。これらは「futility」(註4)と呼ばれ,米国では「効果の無い治療」を指す言葉として使用されている。また意思決定代理人である患者の妻からは,患者が以前より単に疾病を長期化させるだけの治療は望まないと話していたこと,現在の状態は夫つまり患者が望むような状態でないことが話された。

 翌日,患者の意思決定代理人よりDNRの決定,人工換気の中止・抜管(withdrawing treatment治療中止)の決定が医師に伝えられた。その夜,多くの家族が見守る中,患者は病との闘いを終え永眠された。

Palliationへの取組みを

 日本ではwithholding treatment(その時点で行われている治療は継続するが,それ以上の積極的追加治療を行わないこと)は比較的よく行われている。しかしwithdrawing treatmentについては,治療中断のための条件が裁判で出されているが,よほど慎重にしないと殺人罪で訴えられかねない。

 米国では上で述べた「futility」という考え方が広くコンセンサスを得られており,さらにwithdrawing treatmentとwithholding treatmentとの差は医師・患者の家族がうしろめたいと感じるかどうかの心理学的違いのみで,倫理的・法律的意義は同等であるとされている。これらを背景とし米国ではwithdrawing treatmentが可能となっている。

 Palliationは医師の専門領域にかかわらず,すべての医師が理解し実践すべきものであると信じている。日本でも活発な議論と法を含む環境の整備がなされ,これが広く普及することを期待している。


(註1)spiritual pain:Pain and Palliative Medicineにおけるspiritualityとは「自分の現状を認識したうえで,目標・生きがいを持って生きていくこと」を意味する。ここでは「自分が死に逝く現実を受け入れられないこと」,「自分が生きる意味・生きがいを見つけられないこと」などを指している。

(註2)意思決定代理人:日本でも似た任意後見人制度がある。遵守違反に対し米国では法的な罰則規定がある一方,日本では罰則規定がなく制度は普及していない。そして,臨床現場での代理人の決定は法的な整備がされておらず,論議の余地を残している。また患者が意思表示できなくても,「患者の自己決定権」があらゆることに優先され,尊重されるように環境整備されていることも,日本との違いである。

(註3)事前指示:患者は意思表示ができるうちに,自分が不可逆的状態に陥った時,どのような治療を受けたいか表明することができる。

(註4)futility:直訳すると「無益」となるが,医学的に妥当性のない医療行為を指す。実際,この言葉を使いたがらない米国医師も多い。特に集中治療室で使用される現代臨床倫理学の大切なkey wordである。


伊藤大樹氏
1996年神戸大医学部卒業。卒後,沖縄県立中部病院で内科研修,沖縄県宮古島で内科医として離島勤務を経験。その後,東女医大循環器科,東京池上総合病院循環器科でトレーニングを行う。2003年より米国ハワイ大臨床内科レジデント。06年7月より米国シカゴロヨラ大循環器科で専門医トレーニングを開始予定。