医学界新聞

 

【特集】

見えないことで見えてくる
福岡大学医学部社会医学実習レポート


 福岡大学医学部では守山正樹氏(福岡大教授・公衆衛生学)らの指導のもと,社会医学実習としてアイマスクの着用による視覚障害体験実習が行われている。この実習は視覚障害体験を通じて,人間や環境についてより深く考えることを目的としており,当事者も交えたグループワークも行う。今回参加したのは医学部の3年生14名。見えない環境に置かれた彼らが3日間の実習で何を学んだのか。実習の様子とともにお伝えしたい。

実習のスケジュール

1日目
午前:障害のイメージ化,屋内での全盲体験
午後:屋外での全盲体験

2日目
午前:感覚地図作成
午後:地下鉄でのバリアフリー評価

3日目
午前:地下鉄でのバリアフリー評価
午後:当事者とグループ行動


 今回の実習はテーマを「視覚障害とバリアフリー」とし,単に視覚障害を体験するだけでなく,視覚障害者の立場から生活環境を見つめ直すことも目的としている。そのため,まずは食事やテレビ,電話,買い物といった日常生活の動作について,自分の目が見えなくなった場合に,それらに対する意欲や頻度がどう変わるか,イメージするところから始まった。

 その結果,学生の意見としては,視覚に頼らないラジオや電話の使用頻度は上がる一方,買い物など外出の機会は減るだろうと予測された。しかし,視覚障害を持つ当事者の方いわく「映像が見えなくても,テレビや映画は音で楽しめます」。買い物やスポーツも少し工夫すれば,積極的に楽しむことができるとわかり,学生は「思っていた以上に活動的な生活を送っているんだ」と新鮮な驚きを感じたようだ。

はじめてのアイマスク

 視覚障害のイメージ化に続いて,いよいよアイマスクによる視覚障害体験となった。白杖歩行訓練士の山田信也氏(国立函館視力障害センター)の指導のもと,まずは教室内を移動。アイマスクを付けるまでは見慣れた教室でも,急に視覚を奪われるとまったく違った世界となる。「どっちに移動すればよいのかわからない」「椅子にぶつかりそうでこわい」といった声があちこちであがった。

 そこで次は,山田氏の声による誘導で教室から出て,建物内を一列につながって移動した。自分から声を出し,また相手の声を聞くことで,おおよその方向や周囲の状況を知ることができる。目の見えない状態での音の重要性があらためて認識された。

手を引かれて街へ

 視覚障害者の移動介助(手引き)について山田氏の指導を受けた後,2人1組で介助される側,する側と交替しながら市街地を移動した。目の見えない状態で1人で行動することに比べれば,目の見える介助者に手を引かれて歩くのは非常に安心できるようだ。しかし介助する側を体験した学生からは「自分が気にしない段差でも,介助される側には大きな障害になりうる。感覚の違いを理解するのは難しい」という感想が聞かれた。

 休憩地点の神社では,白杖の使い方を練習。路上の障害物や路面の状況を把握するのが白杖の役割だが,実際にやってみるとまっすぐに進むのも難しく,方向を間違えたことに気づかず歩き続ける学生も。手引きと違い,自分で周囲の状況を把握しなければならない白杖は,やはり相応の熟練が必要のようだ。

生活の視点から障害を考える

 実習2日目は山田氏と永幡幸司氏(福島大助教授・人間支援システム)の指導で「感覚地図」を作成した。感覚地図とは,音や匂いといった視覚障害者にとって手がかりとなるものに基づいて作成された地図のこと。学生は「ラーメンの匂いを右手に進む」「パチンコ店の音が聞こえたら道路を渡る」といった内容を盛り込んだ地図を作成し,続いてアイマスクを着用した状態で感覚地図に従い目的地をめざした。しかし実際に目が見えない状態で歩いてみると,店のドアが閉まっていて匂いがしない,音がうるさすぎて逆に正確な場所がわからないという状況があった。路面や障害物に直接触れられる白杖や足裏の感覚に比べ,予想していたよりも音や匂いが情報としてあいまいであることがわかったという。

 実習2日目,3日目はこの他にアイマスク状態で地下鉄のバリアフリーのいきとどいた新しい路線と従来の路線に乗り,案内板や券売機,ホームの状態を比較。バリアフリーがどのように導入されているのか,足りない点などを評価した後,さらに当事者とともに鍼灸マッサージや買い物,ゴルフを行い,視覚障害者の持っている感覚や,日常生活における工夫を直接目にすることができた。

 3日間の実習を通して,参加した学生からは「障害を特別視することが,心のバリアになっていたと思う。この実習で視覚障害に対する新しい見方を持つことができた」「とても貴重な経験をさせてもらった。これから1人の人間として,医師として成長するうえで生かしていきたい」といった感想が寄せられた。今後もこの実習によって,より多くの学生が,当事者の立場について考えるきっかけとなることに期待したい。


守山正樹氏,山田信也氏,永幡幸司氏にきく

体験を通して人間と障害への理解を


――この実習を始めたきっかけを教えてください。

守山 私は,これから医師になる人たちに病気や障害の体験をしてほしいと思い,十数年前,前任地の長崎大学にいた時から似たような実習を行っていました。当初は手や足を縛って動けないようにする試みをやっていたのですが,その後,当時長崎県立心身障害児療育指導センターにおられた白杖歩行訓練士の永井和子さんに3年ほど指導してもらって,アイマスクをかけて長崎市内を歩き回るという実習を始めました。これが今の実習につながったわけです。

 実際にやると準備も大変なのですが,10年以上も続けてこられた理由は,学生の反応がとてもよいからです。どんな授業よりも,学生の顔つきが変わる。卒業式で「医学部6年間であの実習がいちばん印象に残っている」と言う学生がいたくらいです。短い時間ではありますが,障害を持った人の立場に立つことを学ぶうえで,非常によい実習だと思います。

山田 私の所属している視力障害センターでは,職業訓練として按摩・マッサージ・指圧・鍼を教えていますが,これらは問診や打診,触診などを使って行います。医学の世界でも年配の先生方はこうした技術を持っておられますが,若い人たちからは失われつつあります。この実習は感覚というものを理解するきっかけになるし,障害を持った人が病院に来た時,今までと違ったサポートができるようになるのではないかと思います。

 障害を持った人が病院にたどり着くまでに,どんな思いをするか。1人で来られる人もいますが,誰かにお願いしなければいけないこともある。そうした人を前にして「わあ,どうしよう?」ではなく,「いろんな思いをして来ているんだろうな」と,全部受け止めて癒していく,それが医の原点みたいな部分だと思うんですよ。そこを大事にできればと考えました。視覚障害体験はそのための,1つの切り口としてとても使いやすいわけです。

――今後さらに増やしたい項目や,取り入れたい内容はありますか?

守山 どこに焦点を当てるかによって,かなり違ったタイプの実習になると思います。まったく見えなくするか,部分的に見えなくするか,聞こえない状況を加えるとどうなるか…とやっていくと,いろいろなメニューが可能なわけです。

山田 今年のテーマは原点に立ち戻って「バリアフリーとはどういうことなのか」ということを,もう一度きっちり押さえていこうということです。昨年は模擬患者形式で,互いに視覚障害を持つ患者や医師の役をやり,相手が本当に言いたいことをどう聞き出すか,というテーマで実習しました。

 短い診療時間の中でも,本音を引き出す言葉というのがあると思うんです。そういうものをつかめたら,医師を志す人にとって大きなプラスになるし,患者さんも幸せです。今後も,そういうコミュニケーションスキルについて,充実させていけるように話し合っています。

互いの率直な気持ちを語る

永幡 視覚障害を持つ人の本音というのは,何重ものオブラートに包まれていることがあると思うんです。疑似体験を通してでも,そうした部分を知ることは大事だと思います。自分が何もリアリティを感じていないことについて話をしても,患者さんは「この人,わかってないな」と,見抜いちゃうと思うんですよね。相手の目線に立って話を聞くことを体験的に学ぶのは,医学部の学生に限らず,どんな分野にいる人にとっても,意義のあることだと思っています。

 実際に今回も,学生が疑似体験して思ったことを率直に語り,それに対して当事者の人たちも率直に語る。そして互いに「こういう感じ方があるんだ」ということを共有していく。この過程を,どうやったらよりよいものにできるか考えていくことは,医学教育の分野において非常に意義のあることでしょうし,一般化できる話とも思います。それが,いちばんこの実習に期待していることであり,自分自身この実習にかかわっていて,すごく勉強になっていることです。

――学生さんにも好評ですね。

守山 一見するとワアワア,キャアキャアやっていて,半分遊んでいるみたいに見えますが(笑),他愛のないように見えて,内的には深い体験をしていると思います。

 5年ほど前,実習最後の発表会の時に「3日間で自分が学んだことを一言で言うと」と言って,赤いチョークで黒板いっぱいに「愛」という字を書いた学生がいたんです。本人が,視覚障害体験を通じて,障害を持っている人の気持ちやバリアフリーとはどういうことなのかを学び,彼なりにそのことを総括して「愛」という言葉が出てきたんでしょうね。私は生まれて初めて医学部の学生が「実習で私は愛を学びました」と言ったのを聞いたのです(笑)。

 3年ほど前から,視覚障害を持つ当事者の方に来ていただいています。親しくお話しさせていただきながら,見えない世界を教えていただいて,一緒に考える。ずっとその病気や障害で苦しんできた人たちの,その世界のほんの入り口を覗くくらいのことしか実習ではできませんが,体験を通して1人の人間と障害を理解していくことは,もっとも大切なテーマだと思っています。これからも,そこのところを大切にしながら,さらに発展していければよいですね。