医学界新聞

 

対談

信頼関係を築く医療面接

田中まゆみ氏
聖路加国際病院
内科副医長
佐伯晴子氏
東京SP研究会代表


 現在,外来診療は時間に追われ,医師は患者一人ひとりに十分な時間を取る余裕がない。また,医師は少ない時間の中で,十分な説明を行っていると認識していても,医師の説明に満足できていない患者は多く,認識のズレが生じている。こうした中,医師-患者間の情報共有のための,コミュニケーション能力向上に向けた取組みの一環として,医学生・研修医に対し,模擬患者(SP:Simulated Patient)による医療面接などが行われている。

 今回ハーバード大学で外来研修を受けた田中まゆみ氏(聖路加国際病院)と,医療者のコミュニケーション能力の向上に取り組んでいる佐伯晴子氏(東京SP研究会代表)にコミュニケーションの重要性,コミュニケーションによって得られるものについてご対談いただいた。


■変わりゆく医師-患者関係

医師の認識・患者の認識

田中 先日,聖路加で「患者と医師のコミュニケーションの壁」というお話をした時に,患者さんからさまざまなご意見をいただきました。「医師は強い立場。患者は弱い立場」ということを医師が理解していないため,壁があると患者さんはおっしゃいます。その一方で患者さん自身から,「患者の側も悪い」との声も多く聞きました。

 患者側も遠慮せずもっと質問すればいい。患者が黙っていては,医療者にはわからない。患者が変わらなければいけないという声です。また,患者さんからのコミュニケーションに関する質問としては,「医師は患者とのコミュニケーションのとり方を習っているのか」という声が多かったです。

 佐伯さんには,SPとしていろいろフィードバックを与えていただき,医療者のコミュニケーション技術を改善するために助けていただいています。SPの方は若い医師と接する機会が多いと思うのですが,医師の世代ギャップをお感じになることはありますか。

佐伯 そうですね。若い医師,学生さんがいるところには,必ずその指導者がいます。指導者には,話しやすい方もいれば,話が通じにくいといいますか,「話を聞くことがあまり得意ではないのかな」という方もいます。

 学生は指導者をよく観察し,学び,使い分けをしていると感じます。説明にせよ,相手の話を聞くにせよ,ていねいな指導者を見て,「ああ,そうすればいいんだ」「こうすると,とてもいい関係ができるんだ」と学ぶわけです。ところが,そうではない指導者のもとで育った人は,コミュニケーションができる喜び,コミュニケーションがあってはじめてできるものを経験できないわけです。

田中 今,「コミュニケーションが苦手=聞くのが苦手」とおっしゃいましたが,本当にそのとおりだと思います。患者さんは,入手できる情報量が増え,医師に話したい,聞きたいことが増えています。ですが,医師は患者からの疑問に耳を傾けることが,まだまだできていないと思います。

情報の増加による変化

田中 患者さんが情報提供者であり,医師は聞き手に回らなければいけません。その役割の変化に気づいていない医師が問題なのでは,と私は思います。患者さんは聞いてほしいのに,医師が聞こうとしないから,患者さんの不満が募ってしまうのだと感じます。

佐伯 実際,医師はお忙しいですよね。決められた時間の中では,「大勢の患者さんをさばかねばならない」という発想に立たざるを得ないのが現状だと思います。そうしますと,あれやこれやと質問される患者さんを受け止めることは,度量のいることだと思います。

 ある患者さんに10分,15分を割いてしまったら,残りの患者さんに使える時間を,どう短縮していくかと計算も働いてしまうでしょうし,実際は非常に難しい問題だと思います。

田中 診療のための時間がないということは,患者さんもよくわかっておられるようです。私がちょっと時間をとって話しますと,「先生,いいんですか?」と,逆に患者さんが気を遣ってくださったりします(笑)。

 ですが,私は患者さんの持つ情報量が増えてきたことで悪い面はほとんどないと思っています。過渡期でギクシャクすることはあるでしょうが,よい方向に進んでいると思います。

佐伯 過渡期ということですが,私はこれを大事にしたいと思っています。

 日本の医療のかたちは,これから変わっていかざるを得ません。医療をする人が豊かな気持ちで医療をし,受ける人も豊かな気持ちでその医療を享受する。それができる環境をつくっていく必要があると思います。お互いがある程度満足できるところでは,時間的にもゆとりがあり,話が聞け,納得できるまで質問もできる。そういうものだと思っています。

■聴くことの重要性

傾聴こそが診断への早道

佐伯 今の医療現場でのコミュニケーション教育は,時間に追われている現場を持ちながら,理想を掲げ,短時間で基礎力をつけるといったことがなされています。

 現場の先生から,「こんなのは現場では使えないよ」「実際にこんなことはできないよ」と言われます。そうしますと学生・研修医の方が,「コミュニケーションなんてどうせ使えないんだ」と思ってしまうのは,残念です。

田中 日本の臨床教育は,外来教育をほとんどやりませんからね。ですから,外来のはじめにたっぷり時間をかけ,経験を積み,徐々に手短にしていく,自然な熟練過程がないんです。

 時間をかけて患者さんの話を聞くことで,患者さんに何が起こってくるかを実感できないので,誰も問題提起をしないのだと思います。

佐伯 なるほど。

田中 私は米国で外来教育を受けましたので,他の医師に比べ問診に時間をかけます。その分,患者さんに待っていただく時間も長くなってしまいます。ですから私は患者さんが入られたら椅子から立ち一礼し,椅子をお勧めしてから着席することをしています。そしてお待たせしてしまったことのお詫びをし,それからは全身を耳にして聴きます。

 それはなぜかというと,患者さんが正しい診断をお持ちになっているのですから,それをいかに引き出すかが,われわれの聞き方の技術如何なのです。私はそれを,外来の診察技術を学ぶ過程で目の当たりにしてきましたので,患者さんのおっしゃることをよく聴くということが,診断技術の中で重要なものだということを痛感しています。

 患者さんのおっしゃることを,ただただ聴く。そこから出発すれば,まず,間違った結論には至らないはずです。時間はかかりますが,それがいちばんの早道なんです。

佐伯 私もそう思います。

人への興味・聴く姿勢

佐伯 SPとして,問診の場面ではよく紋切り型の質問が行われ,その質問項目が終わったら,「はい。次は検査です」と言われてしまう。できれば,「自分はこれだけを受け取っています」と情報を照らし合わせ,過不足を詰めるなどのプロセスを入れることで,かなり補えるのではないでしょうか。

 最後に「他に言い忘れたことはありませんか」と言われましても,何から話せばいいのかわからず,「はあ,とりあえず」で終わってしまいます。学生さんや,若い先生方は,「他に何かありませんかと聞いたのに何も言わなかったから」と…。

田中 言わない患者が悪い,と(笑)。

佐伯 情報を引き出すことや,患者への関心など,もっと貪欲さがあったらと思います。上手下手ということよりも,目の前の人を知りたいという興味・関心でしょうか。医学的な知識が厳然とあるというのとは別に,人について,いろいろなことを喜べたり,楽しめたり…。

田中 親身になるということですね。

佐伯 そうです。すべてを「思いやり」という言葉でくくらず,「どうしたんだろう?」というような,単純な興味を自分の中で起こしていける人は,質問もいろいろな方向から出ます。答える側も「私が答えることに,この人はこれだけ目を輝かしてくれる」と思えば,「もっと言いましょう」となるのではないでしょうか。

田中 そうですね。身を乗り出して聴く,興味を示すということで,患者さん側は,この医師にもっと情報を与えようという気持ちになってくれます。そして,そういう気持ちになって与えてくださった情報の中に,手がかりが見つかるわけです。

 その手がかりに気づくには,ある程度の経験を要します。研修医にすべて気づくことを期待してはいけないのですが,ベテランの先生が雰囲気豊かに聞きだす過程は勉強になりますし,逆に,聞いた指導医は気づいていなくて研修医が「先生,それですよ!」と,興奮することもあります(笑)。つまり,共同作業で答えが出ますと,その場はまるで推理小説で犯人探しができたような,それよりもさらに高級な達成感を,皆で共有できるんです。

 そういう経験をさせてあげたいと思いますが,今の研修制度の中に,そういう場がありません。これは本当に気の毒です。これからはそういう場をつくっていきたいと思います。

佐伯 「あ,これだ!」という瞬間は,知的好奇心も満たされて,これからやるべきことが明確に見えてくるあたりが,やはり醍醐味だと思います。それでこそ,科学といろいろなものの統合した医学であり,医療であることの魅力だと思います。

田中 そうですね。よくいわれる,“医のアート”,芸術としての医術ですよね。単に知識だけでなく,コミュニケーションの中で構築されていくものがあると思います。

佐伯 ぜひ,その大きな意味での喜び,手ごたえを感じていただいて,少しずつ経験を積んでいただきたいなと思います。そういう醍醐味,手ごたえというものを知らないと,その人は何を自分が医療に携わることの満足感,達成感とするのだろうと不安に思います。

■よりよいコミュニケーションのために

暮らしに迫る問診

田中 以前,深部静脈血栓症のあとで感染症を起こしたヒスパニックの患者さんがいまして,理論的にも文献的にも順序が逆ではないかと,皆,頭を抱えていました。ですが,何かの拍子に患者さんが,「医師にかかるのであわてて足を剃ったんです」と…白人やヒスパニックの女性は身だしなみとして,足を剃る習慣があるんですが,その患者さんの一言で,両足の感染症は,剃毛が原因で起こったのだと…。

 これは論文にも,症例報告にもできません。医学的には些細なことなのですが,研修医たちの喜ぶまいことか(笑)。「これで謎が解けた!」という感じで喜びました。それは,患者さんのことをそれだけよく理解できたという喜びです。医学的には意味のないことですが,皆が満足し,晴れ晴れとした顔でした。

佐伯 医学的な切り口だけでは,限界があるということでしょうね。

田中 そうですね。いかに問診が大事か,患者さんの生活全体を見て理解することの喜びというのを,わかってくれて本当によかったと思います。患者さんの話に耳を傾けて,患者さんから答えをいただき,喜びを積み重ねていったら,問診上手,聞き上手な医師になると思います。

佐伯 やはり,いかに暮らしに迫ることができるかどうか,という気がします。

 ある大学で試験に医療面接を取り入れ,「以前は5分だったのを10分にしています」と,4年生ぐらいの方が取り組まれていました。ですが5分を10分に増やしても,まだまだ患者の暮らし・生活に迫れていない気がします。教える先生の中にも,生活に迫るといった感覚がないのかもしれません。

田中 そうかもしれませんね。

佐伯 私たちは試験の課題にある患者としての演技をします。演技をする中で私たちが大事にしているのは,さまざまな暮らしをしている患者さんのシナリオです。その人の持っている生活観や人生観など,いろいろなことを聞くことではじめて,その人の生き方や希望といったものを理解していくことができる。そういうことを,多くの学生さんに体験してほしいなと思ってやっています。

田中 本当に,患者さんの暮らしに寄り添い,サポートできなければいけないわけですよね。今までみたいに,なんでもかんでも検査入院,精査入院という時代は過ぎたと思います。

佐伯 そうですね。

田中 診療報酬制度の変化とも絡むのですけれども,DPC(Diagnosis Procedure Combination)などができて,入院は極力短くしたいということで,医師のアプローチも変えざるを得なくなりました。

 これからはとにかく問診,問診で,検査は最小限にし,ほとんど目鼻がついてから,最後の詰めとして入院していただく。最短の入院で,QOLが低下しないうちに,住み慣れたお宅に帰っていただく。そういう医療でなかったら,それこそ高齢の方は足腰が立たなくなる,認知症は進むなど,入院が長くなるほど悪化し,お家に帰った時の患者さんとご家族のご不満は積もっていくと思います。

広い視野を持つ

佐伯 医学部に進学する人たちの育ってきた環境をみると,ほとんど都会生活しか知らず,少人数の家族しか経験がないという人たちです。人が生まれることも,死ぬことも,あまり身近なものではない気がします。ですから,仕事の種類とか,社会を知らないといいましょうか,ご自分の半径1メートルぐらいのところがすべてのように感じます。そのあたりは少し考え直してもいいのではないかと思っています。

田中 そうですね。純粋培養をしておいて,「人の気持ちがわかる人になれ」といっても,無理ですものね。

佐伯 小学校時代の友だちであれば,職業も専門もさまざまでしょうから,そういう人とのご縁をもっと大事にしていく。あるいは地域の中で自分が暮らすということにもっと目を向ける。それには時間的なゆとりが必要だと思います。ですが,それをしないと拠って立つところがなくなってくるのでは,と心配もしています。

リスク認識のズレ
埋まらないミゾ

田中 医師と患者の立場というのは,ある意味,永遠にわかりあえない面があることを,認識しておかなければいけないと思います。その立場の差をコミュニケーションでなんとか埋めようとするのですが,その時にすごく基本的な認識の差があって,愕然とすることがあります。

 例えば医師の側からすると,検査そのものにリスクがあること,薬には副作用があると理解しています。ところが,患者さんは「薬は飲めばよくなるもの」とお考えで,副作用が出るとものすごくお怒りになる方がいます。そういう基本的な医療全般にまつわるリスクをまったくご存じなく,病院は「黙って入れば治って帰るところ」ととらえている患者さんに対して,そんなに楽天的でいいのかと驚きを禁じえないわけです。

 「一歩病院に入ったら完璧に戻して帰してもらえるはず」という期待はどこからくるのでしょうか。

佐伯 いくつか原因があると思いますが,1つは,かつて伝染病・栄養失調といったものが多くを占めていた時には,西洋医学にかかることで劇的によくなりました。「病院に行くこと=治ること」だったわけです。結核のように,東洋医学では治らなかったものが治るようになった。ですから,病院はいいことをしてくれる場所という思いがあったでしょう。

 もう1つは,国民皆保険という非常によい制度です。給料を受け取っている者は天引きをされ,負担している実感があまりなく,病院へ行けば安い料金で診てもらえる。そのあたりの,心の油断みたいなものも災いしている気がします。

 医療を受ける側が心しておかなければいけないことがあったはずなのですが…。医師に「任せなさい。私がちゃんとやりますから」と言われ,よく考えずに「病院へ行けばちゃんとしてもらえる」と思ってしまったのではないでしょうか。

田中 いままで「任せなさい」だった医療者が,そうは言えなくなり,何かが起こった時にも,「これはもう,運命です」と言えなくなりました(笑)。

 患者さんは,運命では納得できなくなり,「手術をすれば一定の確率で,こういうことも起こりますよ」「えーっ!」となります。そこではじめてコミュニケーションが成立するようになるわけです。医療者は,悪いところも全部知らせるようにしなければいけないでしょうし,患者さんもある程度のリスクはあることを理解していただくことも大事です。

佐伯 確かに。

田中 医療には少なからずリスクがあります。それを過大評価し,手前味噌に使うことは許されませんが,ある程度は理解していただけたら…と思います。これは医師と患者間の認識の差の中で,いちばん不幸な差ではないかと私は思います。

佐伯 そうですね。これは大急ぎでやらなければいけないことです。幻想と過大な要求をしてはいけない。そのうえで大人として「自分を伝えて,相手もそれを理解する」姿勢が必要だと思います。今まではお任せと言いながら,一方で文句ばかりを言うワガママ勝手な患者さんもいて,困らせていた部分があっただろうと思います(笑)。

 今後は大人になっていくといいましょうか,大人としてきちんと,率直に話ができてはじめて,「出会えてよかった!」という余地もかなりあると思います。ぜひそういう方に出会っていただきたい,と思っています(笑)。

■SPの想い-医療者へのエール

田中 研修医のほうが,指導者よりもコミュニケーションが上手なところがありますよね。そうしますとロールモデルがいない中,SPの方が研修医たちに教えてくださって,コミュニケーションが素直な感性の中で育っていくというのは望ましいと思っています。

佐伯 研修医の方に教えるというのは違いますが…。肌で感じていただくきっかけにと思っています。

 田中先生は多くの患者さんを診てこられ,患者さんによって説明の納得の仕方は,1人ひとり違うことを実感しておられますよね。

田中 違いますね。

佐伯 もちろん,共通していえる最低限の部分はあると思います。ですが,説明のここの部分が不安だ,ここの部分がわかりにくいというのは,人によって違います。これは,教養のあるなしとはまた違うことでもあると思うんです。1人ひとりの感性が違うということがあると思います。

田中 そうですね。育ってきた背景も違いますしね。

佐伯 同じ職業であっても,こだわる部分は違ってきますよね。そうなると,1人ひとり違うということを,SPとの実習で実感してもらい,今回上手にできたけれど,これが100%正解ではないんだとわかってほしいですね。

 自分はとりあえずこれだけの準備はしました。残りは患者さんと一緒に話しながら決めていきましょう。という形で,情報を患者さんからいただく時,逆にこちらから医療を提供する時,説明をする時,あるいは一緒に考えていく時にコミュニケーションの場を一緒につくり,情報をきちんと患者さんに共有してもらえるようにする。そういう取り組みをする姿勢の問題になると思います。

田中 そういうことを,SPの方とのセッションを通じて,「1人ひとり違うんだ」「シナリオどおりにはいかないなあ」と実感し,学んでいくんですね(笑)。

 シナリオどおりにいって,「はい,100点」というのでは,むしろトレーニングになりませんし,体験してはじめてわかることですしね。

佐伯 そうですね。難しさと同時に,「なんか,おもしろいかもしれないな」と思っていただければ…。

田中 ええ,そうですね。

佐伯 あとは,一般の者として医療者に対してとても感謝していますよ,期待していますよというエールを送る場にもなればいいなと思っています。

田中 SPの方から,「頑張ってね」という声援を感じることができれば,研修医の方たちも,ちょっと腹の立つ患者さんと出会った時にも,よりよい理解ができるようになるかもしれないですね(笑)。応援してくれている患者さんも,大勢いらっしゃいますしね。

佐伯 医療は大事なお仕事ですから,周りもちゃんと支援しなきゃいけないと思います。今の仕組みのままだと,志ある人ほど疲弊していくのではないかと,そこがほんとうに危惧しているところです。

田中 医療者を,時にはほめてあげてください(笑)。

■医師-患者関係の将来像・理想像

――最後に医師-患者間の将来像・理想像についてお願いします。

佐伯 コミュニケーションを技術として磨くのではなく,患者さんとのお付き合い・ご縁とかと捉えてもらえたらいいかなと思います。

 そして本当に命を喜べる人。単純に,生まれてくるということも喜べる,亡くなるということにも頭を下げることができる,素直な感性を持って,ずっと人の命を見つめていってほしいです。そういう命を支える医療の専門家になってほしいと思っています。

田中 私はどの医師にかかっても,ある程度同じ説明,手当てをされる,そういう安心感のある標準を,医師の間で築きたいです。「あの医師はこう言った」「この医師はこう言ってる」と,患者さんが感じている限り,医師に対する一般的な信頼というのは,できないだろうと思います。ですから,医師の間で,ある程度の標準化をし,どの患者さんにも,同じ水準の医療を提供したいと考えています。

 そして同時に,スタンダードの医療をしながら,1人ひとりの患者さんの暮らし,考え方,価値観といった,非常に個人的なところに立ち入っていく。標準的なことをしながら,しかも1人ひとり違うということ,そこが理想的な患者-医師関係になってくるだろうと思います。信頼関係ができたうえで,1人ひとりの好み,生活にあった医療を,ある程度オーダーメイドできる。そういう関係ができたらいいなと思っています。

――本日は,どうもありがとうございました。

(終了)


田中まゆみ氏
1979年京大卒。天理よろづ相談所病院,京大大学院を経て渡米。マサチューセッツ総合病院(MGH)他でリサーチフェロー。ボストン大公衆衛生大学院修了。2000年よりコネティカット州のブリッジポート病院で内科臨床研修。04年より聖路加国際病院勤務。著書に,ハーバード大医学部でのクラークシップ体験をレポートした『ハーバードの医師づくり』(医学書院)がある。

佐伯晴子氏
1977年大阪外語大ロシア語科卒。英語・イタリア語講師などを経て,95年設立の東京SP(模擬患者)研究会で模擬患者およびコーディネーターとして医療者教育にかかわり,現在同研究会代表。主な著書に『話せる医療者』,『あなたの患者になりたい』(ともに医学書院)などがある。慈恵医大で「日本語表現法」を担当。社会保障審議会医療部会委員。