医学界新聞

 

視点

医学教育への想い

相野田紀子(金沢医科大学助教授)


 本学に,“開かれた空間”を合い言葉として今年度開設された医学教育センター(山本達学長直属,鈴木孝治センター長)は,学生のための電子カルテ用パソコン室とスキルスラボを併設している。教員,事務スタッフ,学生共有の大テーブルが置かれたミーティングルームへの入り口と各研究室のドアは常に開け放たれ,当センターの学内知名度が高くなるにつれ,学年にとらわれない学生の出入りが多くなってきた。テーブルで学生たちと昼食をともにすることもある。共有スペースからは,パソコン画面と向き合っている臨床実習中の5学年生たちの真剣な顔を眺めることができ,つい話しかけたくなって,彼らのところへ出かけては勉強の邪魔をしている私である。学生たちもまた,仕事中,会議中,昼食中,雑談中の教員の姿を直接見ることができ,まさに双方向性の開放といえる。

 医療の場で32年間続けてきた言語臨床の分野を辞し,非医師,しかも文系出身者として医学教育分野に携わって6年目。今まで若い人たちに「誰かが敷いたレールの上を走るより,誰かが走るためのレールを敷く方がずっと面白い」,「失敗なんて怖くない,失敗しないことこそ怖い」などと言い続けてきた私にとって,この方向転換はごく自然だった。それは,臨床も教育も原則は同じだ,と常日ごろ感じていたからにほかならない。医療の場でのように,救急の問題もあれば,慢性の問題,さらにはリハビリテーションが必要な問題もある。ただ医療と異なるのは,“治癒”という概念がないだけである。つまり,“この問題については解決した”というようなことが教育にはなく,ある時点での教育的かかわりが,ずっと後にまで影響を与えるかもしれないということである。

 ちょうど医学教育改革の波がうねり始めたころに,この分野に関われたのは幸運だった。実践の場で改革の波に触れながら,そして医学生たちと直に接しながら,あらためて教育学や認知心理学の基本的な勉強をし,自分自身の能力に何度はがゆい思いをしたことか。医学教育分野における自分のアイデンティティに,どれほど悩んだことか。“人”との教育的なかかわりについて先人たちが残してくれたさまざまな理論や見解を知り,知った内容を具体的に考えることができる実践の場。現状を活かすも殺すも自分自身であることに気づいたのは,最近である。スリリングな毎日の栄養剤は,理論を中心とした自己学習と学生たちから伝わって来るエネルギーだと教えてくれたのは,学生たちのような気がする。

 “学ぶ”とは,“教える”とは・・・未来の“私の主治医たち”の姿を眺めながら,悩みは果てない。学びたいと思う人たちがいて,精一杯学んでほしいと思う人たちがいて,そして“開かれた空間”があちこちにあれば,これからもずっと楽しいスリルを味わえそうだ。


略歴/金沢医科大学医学部助教授・医学教育学。1968年津田塾大学英文科卒,68-95年金沢大学医学部・金沢医科大学耳鼻咽喉科にて言語聴覚障害の臨床(87年医学博士)。96-99年国際医療福祉大学保健学部教授。2000年より現職。05年医学教育センター併任。