医学界新聞

 

看護のアジェンダ
 看護・医療界の“いま”を見つめ直し,読み解き,
 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。
〈第9回〉
われわれがアサーティブになれない理由

井部俊子
聖路加看護大学学長


前回よりつづく

 行政で仕事をしているベテラン看護職が,先日,私の顔をみるなり口にしたことは,「あのアサーティブ・トレーニングをやめて,他をかきわけてでも主張する訓練にしたらどうでしょう」ということだった。どこの会議でも看護職はおとなしすぎるというのだ。押すべきところで発言しない,そもそも発言しないので通る案件も通らないという。

 政治家たちのテレビ討論をみていると,他の人の発言にわり込むように発言しないと発言の機会がやってこないし,司会者の質問からそれて自分の主張をしたり,声を荒げたり,こぶしをあげたり,彼らの発言様式は多彩である。

 看護職で,このような発言様式を採用している人は少ない。こうしたタイプの発言者は品がよくないと看護界では嫌われる。

傾聴・共感とアサーティブ

 あるアメリカの心理学者によると,人間関係の持ち方には大きく分けて三つのタイプがあるとされる1)。第一は,自分のことだけ考えて他者を踏みにじるやり方。第二は,自分よりも他者を常に優先し,自分のことを後回しにするやり方。第三は,自分のことをまず考えるが,他者をも配慮するやり方であり,アサーションは第三のやり方をさす。

 つまり,アサーティブな自己表現とは,自分も相手も大切にした自己表現であり,自分の人権である言論の自由のために自ら立ちあがろうとするが,同時に相手の言論の自由も尊重する態度である。したがってアサーティブな発言は,自分の気持ち,考え,信念などを正直に,率直に,その場にふさわしい方法で表現されるが,相手が同じように発言することも奨励しようとするのである。このような言動は自分にとってすがすがしく,相手にもさわやかな印象を与えるとされる。

 アサーティブな自己表現は,看護基礎教育でも教えられ,さらに認定看護管理者のカリキュラムにももり込まれているコミュニケーション技法である。

 しかしながら,そもそも看護の第一義的な役割はケアを提供することであり,傾聴や共感が高く価値づけられて実践の中にとり込まれる。看護職は,したがって,まず相手の話を聴くという態度が習慣づけられる。さらに,「医師の指示を受ける」という関係性を他の領域にも引きずっていて,アサーティブな自己表現の後半の部分(相手の言論の自由の尊重)を優先することになる。

強調すべき「自分の権利の尊重」

 看護職がアサーティブな自己表現に消極的になるのは,上司や同僚との日常的な関係性からも形成される。

 新卒ナースは先輩やプリセプターから,おとなしく従順であることが生き延びるうえで大切であることを刷り込まれる。例えば,科学的でないことを“指導する”プリセプターに“反論”する新卒ナースは生意気だと感情的なレッテルをはられる。最初は理不尽なことに立ち向かおうと意気込んでいても,くり返される小言に新人はその意欲を少しずつ失い,遂には沈黙を選択することになる。

 高圧的な管理者もまたアサーティブな自己表現の機会を,師長たちから奪ってしまう。上司の理不尽な決定に対抗しようと意気込んでいても,のれんに腕押しで,権力だけを行使する上司に少しずつ見切りをつける。

 職場の協働者である医師との関係においても,看護職はアサーティブな自己表現を自ら抑制してしまう。

 看護職はこうしてアサーティブな自己表現の中の,「自らの言論の権利」をひかえめにしてしまうのである。

 看護職のアサーティブ・トレーニングでは相手の権利の尊重とともに,あるいはそれ以上に,自分の権利の尊重が強調される必要があるということを,冒頭の会話が示している。

次回につづく


参考文献