医学界新聞

 

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第 66回

ケイティ・ワーニッキー事件(3)
パーカー・ジェンセンの「誘拐」事件

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2644号よりつづく

〈前回までのあらすじ:ホジキン病の少女ケイティ・ワーニッキー(12歳)に必要な治療を受けさせることを親が拒否していると,テキサス州は,ケイティの身柄を保護したうえで治療を受けさせることを決めた〉

 治療の方針を巡って医師と意見が対立した親がわが子を「誘拐」する事件は,実は,ケイティの事件が初めてではなかった。すでに,2003年8月,ユタ州でパーカー・ジェンセンという12歳の男児が,親に「誘拐」される事件が起こっていたのである。以下,パーカー・ジェンセン「誘拐」事件の顛末を紹介する。

ユーイング肉腫と化学療法

 パーカーの口腔底に「しこり」があるのが気づかれたのは,02年10月のことだった。歯科医は「唾液腺が詰まっているのだろう」と両親に説明したが「しこり」はなくならず,翌03年5月初め,口腔外科医の執刀の下,径8mmの腫瘍が摘出された。

 摘出された「しこり」が「ユーイング肉腫」であったとの診断が報告されたのは,手術から2週間ほど後のことであった。「手術だけでは5年生存率は5%ほどしかないが,化学療法を受ければ70%ほどの生存率を望むことができる」と,医師たちはパーカーの両親に,即刻化学療法を始めることを勧めた。

 しかし,しこりがあったということを除けば何の症状もなかったし,まったく健康といっていい状態の子供に,重篤な副作用を生じ得る化学療法を受けさせることに両親は逡巡した。化学療法を始める前に,セカンド・オピニオンを得たいという両親の希望を容れ,ボストンのダナ・ファーバー癌研究所で組織を再検する段取りが整えられた。しかし,保険会社が組織再検費用を保険で支払うことを拒否したため,この計画はキャンセルされてしまった。

 転移の有無を検出するための画像診断も行われたが,明らかな転移巣は認められなかった。「初めから何の症状もなかったし,検査の結果,体のどこにも腫瘍細胞があるという証拠もない。なぜ危険な化学療法を始めなければならないのか」,パーカーの両親は化学療法に同意する気にはなれなかったのだった。

化学療法開始を 判事が両親に命令

 「この腫瘍では,通常の検査では検出できない微小転移があるのが普通なのです。症状もないし,検査で腫瘍も見つからないのに,なぜ,化学療法を始めなければならないのかと,納得できないお気持ちはわかります。けれども,お子さんの命ということを考えた場合,化学療法を始めなければならないのです」。医師たちは説明を繰り返したが,両親の同意を得ることはできなかった。

 意を尽くしての説得が成功しないままひと月が経過した6月中旬,業を煮やした医師が,「子供に必要な治療を受けさせることを親が拒否している」とユタ州児童家庭局に通報,パーカーのユーイング肉腫治療を巡って,州が介入することになった。児童家庭局は,法廷に対し,「児童虐待」の可能性があると,ヒアリングの開催を要請した。

 ヒアリングの結果,ロサンジェルスの病院でセカンド・オピニオンを得たいという両親の希望が容れられた。7月末,3回目のヒアリングでロサンジェルスの医師が電話による証言を行ったが,その内容は,「診断はユーイング肉腫。最適の治療は化学療法」と,当初の診断・治療方針を全面的に支持するものだった。この証言を受け,判事は,8月8日までにパーカーの化学療法を始めるよう,両親に命令したのだった。

「My Child, My Choice!」

 しかし,事前に「ロサンジェルスの病院の検査結果に従う」と約束していたにもかかわらず,両親はパーカーの化学療法を始めようとはしなかった。8月8日,命令を無視された判事は,「すでに化学療法の開始が11週も遅れている」とパーカーの身柄を児童家庭局が保護するよう指示したが,その直後,ジェンセン一家の行方は知れなくなってしまった。判事の命令から1週間後,両親に対して「誘拐」容疑で逮捕状が発行されたのだった。

 やがて,父親とパーカーの兄弟たちがアイダホ州に潜伏していることが明らかとなった。パーカーは,母親に連れられてテキサス州ヒューストンの「代替医療」施設を訪れていたのだが,ユタ州の「妨害」()にあって治療を受けることができなかったと,アイダホ州の家族と合流した。8月末,両親は記者会見を開き,パーカーに化学療法を受けることを強制しようとするユタ州は,「子供が受けるべき医療についての決定を下す親の権利を侵害している」と,訴えた。

 マスコミに訴えて世論の支持を得る両親の作戦は成功,「親の意向を無視して危険な化学療法を強制するために,家族を離ればなれにしようとしている」と,ユタ州の児童家庭局は強い批判にさらされることになった。9月4日,ユタ州議会前でパーカー一家の支持者たちによる集会が開かれた。参集した数百人の支持者たちが,「My Child, My Choice!」と,シュプレヒコールを繰り返したのだった。

この項つづく


:ヒューストンの代替診療施設で治療を受けさせたいという意向を,パーカーの両親が事前に表明していたこともあり,ユタ州捜査当局が,パーカーが現れたらすぐ通報するよう,同施設に要請する手紙を送っていたのだった。