医学界新聞

 

金原財団印象記

米国消化器病週間2005に参加して

大谷顕史(佐賀大学消化器内科)


 私はこのたび,金原一郎記念医学医療振興財団より,第19回研究交流助成金の補助を受け,2005年5月14-19日,アメリカ合衆国シカゴのマコーミックプレイスにおいて開催された米国消化器病週間2005(Digestive Disease Week 2005 : DDW 2005)に参加しました。米国消化器病週間は,米国肝臓病学会(The American Association for the Study of Liver Diseases),米国消化器病学会(The American Gastroenterological Association),米国消化器内視鏡学会(The American Society for Gastrointestinal Endoscopy),消化器外科学会(The Society for Surgery of the Alimentary Tract)の4学会より構成されています。毎年世界中から1万4000人を越える医療関係者・研究者が参加する,消化器病分野で最大規模の学術集会です。関連学会が集結することで学問的効率・教育的効果の向上,時間・経済的節約を図ることが可能となり,今では同様の学術会議が欧州や日本でも定着し,それぞれ欧州消化器病週間(United European Gastroenterology Week),日本消化器関連学会週間(DDW-Japan)として開催されています。

シカゴの印象

 米国消化器病週間2005の様子を報告する前に,開催地シカゴについて筆を走らせていただきます。シカゴは人口290万人を有する全米第3位の大都市で,街の東側にはアメリカ五大湖の1つミシガン湖が広がっています。アメリカのほぼ中央に位置するという地理上の利点を活かし,古くから交通の要所,物流の要として発展してきました。シカゴ市の北西にあるオヘア国際空港は,過去30年以上も世界で最も交通量の多い空港として知られており,現在でもユナイテッド航空,アメリカン航空のハブ空港として利用されています。またシカゴは摩天楼発祥の地としても知られており,シアーズタワーをはじめとする超高層ビルやマリーナシティーといった奇抜なデザインのビルが建ち並んでいます。

 シカゴは日本の函館とほぼ同じ緯度に位置し,ミシガン湖からの強い風の影響もあって,冬の厳しい寒さは有名です。そういえばアメリカの人気TVドラマの「ER・救急救命室」でも,白い息を吐きながら分厚いコートを着てコーヒーを飲むシーンがよく出てくるように思います(このドラマのモデルとなったクック・カウンティ病院は,少し前に閉鎖されたらしく,残念ながら見学することはできませんでした)。今回の滞在期間中は日本よりもずっと寒く,日本からの参加者は口を揃えて「シカゴは寒いねえ!」と言っていました。街を歩いても,人々はコートを着込んだり,セーターを着たりといった感じで,春はもう少し先かな?という感じでした。そういえば街中心部の道路脇の植え込みにはきれいなチューリップが満開でしたから,庭のハナミズキの花が終わって新緑が眩しく感じる私の住む南国九州とはかなり気候が異なるようです。

米国に見る国民気質

 さて,今回の米国消化器病週間2005では,われわれの教室から7演題が採択され,私も筆頭演者として2演題を発表しました。1つは胃食道逆流症(Gastro-esophageal reflux disease)に合併する嚥下困難感に対するプロトンポンプ阻害薬の効果について臨床的に検討した演題,もう1つは大腸癌と肝細胞癌を発生する実験動物モデルについての演題です。臨床と基礎,胃食道逆流症と大腸および肝臓の発癌,というまったく異なる演題を2日連続で,しかも米国で発表するという骨の折れる仕事でした。しかし,幸か不幸かこのような機会をたびたび与えていただいていることもあり,なんとか無事終えることができました。いずれもポスター発表でしたが,世界各国の医師や研究者から多くの質問をいただき,議論を交わせたことは非常に有意義なものでした。口頭発表では時間の制限があり,母国語の日本語でさえ満足な質疑応答ができないことも多々ありますが,ポスター発表では不得手な英語でも何とかなる(ような気がする)ものです。例年,12時からの2時間は発表者がポスター横に陣取り,質疑応答をするように決められています。広いポスター会場も,この時ばかりは満員御礼といった感じとなり,あちらこちらで熱心な議論が行われました。

 米国の学会に参加していつも感心することは,プログラム片手に会場を歩き回り,お目当ての演題を見つけると熱心にメモを取り,質問をしている人を数多く見かけることです。もちろん日本の学会でもそのような人がいないということはないでしょうが…。また,日本人のグループがポスターの前で熱心にメモをとっているにも関わらず,何の挨拶や質問もないというのも奇妙に感じます。自分たちだけで話をして,またどこかへ行ってしまいます。確かに僕の人相が悪いのは否定しませんが,興味があるのなら一言くらい声をかけてもよさそうなものです。

 口頭発表は,各会場に分かれ,複数のセッションが行われました。こちらは日本と同様,満員御礼で活発な議論がなされている部屋,ガラガラで寂しい部屋,と聴衆の興味に比例して会議が進行しているように感じました。この米国消化器病週間は年々参加者が増えており,10年前と比べると日本や韓国といったアジアからの参加者も増加しているのは大変喜ばしいことです。その一方で,9・11以降,イスラム文化圏からの参加者をほとんど見かけなくなったという悲しい現実もまたありました。

学会を終えて

 今回の学会旅行で個人的に最も困ったことは時差ぼけでした。これまで何度も海外へ渡航し,国際学会にも参加していますが,「時差ぼけで夜中に目が覚め,その後眠れない」といったことはありませんでした。しかしながら今回はシカゴからの帰路,スタンフォード大学に立ち寄ったため,米国に合計7日間滞在したのですが,結局時差ぼけは治りませんでした! この原稿を書いている時点で帰国後10日ほど経っていますが,まだ夜中に目が覚めます。2004年12月,米国ワシントンで行われた国際会議に出席した際は,時差ぼけはほとんど感じませんでした。この半年で何か変わったことがあるかといえば,とうとう35歳になった(四捨五入すれば40!)ことくらいです。

 いつまでも若いつもりではいますが,日頃の当直勤務が微妙に辛くなってきたり,腰周りに余分な組織がついたりと,確実に老化現象は進行しているようです。若いということは,適応能力に長けているということなのかも知れません。年齢を重ねるごとに,頭も体も硬くなり,「自慢話」や「法螺話」,「昔は良かった」「今の若い連中は……」みたいな話が多くなり,最終的に皆に嫌われる頑固ジジイになってしまうのではないか,という恐怖が現実のものとして近づいてきているようです。大学のクラブの後輩や,医局の若いドクターには少なからずそのように思われている節もあり,またそれも仕方のない一面もあると思います。せめて自分の家族にはそのように思われないようにしないと寂しい老後になるなあ,と自分の今後の半生をも考えさせられた2005年の初夏でした。