医学界新聞

 

寄稿

BSEパニックは去ったのか
いつまで続く日本の迷走

近藤 喜代太郎(放送大学客員教授・北海道大学名誉教授)


 2001年9月10日,千葉県白井市で発見されたBSE陽性牛は日本をパニックに陥いれ,根拠もないのに,「日本は大丈夫」と言っていた農水省は茫然自失した。わずかの日数で対策が完成し,どの国もやってない全頭検査でパニックの大波は去ったかにみえるが,その後も日米摩擦,血液行政への波及など,迷走が続いている。

 本稿の目的は,国際基準をよそに,いかにも日本的な混迷を深めるBSE対策の問題点を衝くことである。

検査陰性でも 未感染の保証はない

 プリオン蛋白の分子構造が異常化すると,接触した正常プリオンを異常化し,多くの哺乳動物にプリオン病,または「海綿状脳症」という致命的疾患を生ずる。本症は種の異なる動物に伝播することがある。BSE(Bovine Spongiform Encephalopathy:牛海綿状脳症)のプリオンでヒトにおきるのはvCJD(variant Creutzfeldt-Jakob disease:変異型クロイツフェルト・ヤコブ病)である。

 10月18日,早々と打ち出された対策の中心は,肉骨粉の使用禁止,発生国からの牛・牛製品の禁輸とともに,次の3点であった。
1)特定危険部位(SRM)の除去
2)すべての月齢の牛の全頭検査
3)検査陽性牛の公表,市場からの排除,感染経路の追及

 「安全・安心」がひどく強調されたのも特異であった。農水大臣はテレビの前で牛肉を食べて見せ,しきりにそう唱えた。日本人が好むという四文字熟語でもあった。それまで,「安全」とは学者などの提言を受けて官庁などが定める基準,「安心」とはそれでも心配な個人の心情で,その人の行動を律するものであり,「公私」の区別ができていた。しかし,本来峻別すべき両者を大臣が混同してしまったため,BSE行政は「主婦感覚」となり,マスコミにも過度に影響されることとなり,「厳しい制度にすれば責任を問われない」という以外に理念のない,偏向したものとなった。

 「日本は全頭検査だから安全・安心」という説明が政治家,官庁によってなされた。それは,パニック対策には確かに役立った。でもそれには何の根拠もないことが,まもなくさまざまな困難を生みだした。牛は幼少期に感染し,異常プリオンは恐らく回腸のリンパ装置をへて一部個体でSRMに蓄積され,60か月,早くても30か月ほどで検出できる量に達し,まもなく一部が発症するとされる。したがって,検査陰性でも未感染の保証はなく,検出限界に達していない若い牛では何の役にも立たず,また,プリオンは筋肉には蓄積しないため,もともと脳で行う検査と牛肉の安全性とは何の関係もない。

 多くの苦言を受けて,国はようやくこの制度の廃止に踏み切ったが,自治体がやるなら3年間100%補助されることになった。「全頭だから安全」というのは大衆に媚びた,ポプリスト的行政の大失敗であり,そのため,今でも全頭検査の廃止に反対の意見が国民の中に70%もある。もっと早くに国は「説明責任」を果たすべきであった。

リスク評価の考え方

 BSE騒動以来,ようやく諸外国同様に,行政と独立した「内閣府食品安全委員会」がリスク評価し,食品行政がそれを受けてリスク管理を行うことになった。

 ヒトの疾患のリスク評価には(1)起き得るハザードの機序,(2)それによってヒトが罹患する確率,の2面がある。自動車でいえば,(どれほど稀でも)あらゆる事故の可能性と,現実にそれが人に及ぼす危害の大きさの推測,の2面にたとえられる。それには臨床,疫学,公衆衛生などの医学者が主体となり,必要な程度にプリオン学者を加えるべきである。

 しかし,BSEを担当する「プリオン専門委員会」は委員長はじめ,委員の大半がプリオン実験を専門とする獣医学者ばかりであってよいのだろうか。このようなメンバー構成では一種の「仲良しクラブ」になり,(1)の可能性だけがいたずらに掘り起こされ,「危険がいっぱい」というだけにならないだろうか。

 対策に必須なのは(2)であり,その評価は視野の広い疫学者などが,(1)の立場で行われるプリオンにかかわる議論をも踏まえて,総合的に行うべきである。「可能性があっても,無視できる程度のリスクかどうか」が大切である。研究室レベルの議論と,国民を対象とする公衆衛生対策とは次元が異なり,両者がキチンと区別されなければ,専門家以外には空恐ろしいような(1)の議論がそのまま行政に答申され,当惑させることになる。

 世界的に見て,vCJDのリスク評価に定説はなく,多くの関連要因の何を取り上げ,それらの数量的関係をどう仮定するかは各国とも自由である。ここで種々の試算を比較する紙数はないが,「食品安全委」の2004年9月の試算は,多くの煩雑な仮定を重ね,推定値同士の加減乗除を何度も行い,誤差を著しく増したものであった。未知の点が多いvCJDで当面大切なのは,仮説を最小限とし,推定値ではなく,なるべく観察された値を使用し,最小の統計的加工を加え,リスクの最大値を行政に示すことである。そうすれば,「危険があってもこれ以下」という,現時点の学問的保証を行政に提示することができる。

 vCJDはほとんどの場合,SRM未処理の牛肉の摂取でおきるので,出荷された未処理牛の日英の推定比5:100万,人口比2:1,当時の英国のvCJD年間発生率500万分の1から,それらの積として概算すれば実用には十分で,事実上ゼロとなる。プリオンの99%以上はSRMに集まるので,処理後はその100分の1以下である。これがリスク評価であり,(1)にかかわる専門的討論をそのまま行政に答申しても,あまり役には立たない。

日米紛争とOIE

 日米紛争は思いがけない副産物であった。BSEが出た以上,とりあえずアメリカの牛を禁輸したことは正しい。しかし後で述べる国際獣疫事務局(OIE)の基準にしたがってSRMを除くという説明に耳も貸さず,科学的根拠のない,日本特有の「安心対策」に過ぎない全頭検査をアメリカにも押し付けようとしたのは,恥ずかしい限りである。その挙句に,大統領が総理に電話し,議会で対日制裁,WTO提訴が論じられる事態になった。

 OIEは日本人を含む学者で構成され,ヒトと獣の健康,貿易の非関税障害の除去のため,獣疫管理の国際基準を提言している。すべての国は,BSE清浄国,暫定清浄国(輸入牛のみに発生),最小リスク国,中リスク国,高リスク国に分けられる。カナダからの輸入牛に1頭BSEの出たアメリカは「暫定清浄国」だったが,国内産の牛に2頭目が出て,日本と同じ「最小リスク国」となった。

 18万頭も出した高リスク国の英国でさえ,SRMの除去を徹底するだけで十分とし,一部の欧州の国のみが「安心対策」として30か月令以上の牛の全月令の全頭検査をしているのに,アメリカに全頭検査を押し付けるのは,ムリである。なお,vCJDはこれまで150例余り発生し,英国以外にも数例あるが,そのほとんどはSRM未処理時代の滞英者であった。日本の1例もそれである。

 また,輸血で起きた可能性のある2例が英国で報じられ,日本の血液行政が迷走し始めた。英国以外でも,発生国にわずかの日数でも滞在したら献血できないと決定し,血液供給が停滞し始めている。ハザードの可能性のみで,そのリスクの大きさに配慮せず,過大な対策を講じたのである。

BSEの呪縛を脱するには

 農政の失敗がトラウマとなり,幻影に怯えるような過大な対策が続いている。年間130万頭分の検査キットが25億円,検査累計450万頭,外食の損失2800億円という。ハンセン病の感染性が低いとわかっても過大な対策を続け,差別意識を拡大,固定化した愚を繰り返しているようである。

 そもそもBSE対策は食品行政なのか,厚労省の感染症予防対策なのか,司令塔は政治,行政,「食品安全委」のどこなのか。およそ予防行政は,リスクの態様と大きさに応じ,現実に可能かつ適切な対策を策定し,その効果,コストなどの総合評価の結果,決定されるものである。牛肉を介するとはいえ,vCJDは農林問題ではなく,れっきとしたヒトの疾病対策の問題である。

 生活のすべての場面に絶対の安全はありえない。飛行機に乗る時は,航空行政を信じ,それでも残る一抹の不安を振り払って乗るのが現代の生活である。牛肉だけ,例外なのか? 私見ではあるが,このへんで初心に帰り,政治は国民にリスクをよく説明し,なるべく早くアメリカ牛を輸入再開し,個人の選択に委ねるべきである。それでもアメリカの牛が怖い人には,「安心」な食べ物は他にもいろいろあるのである。


近藤喜代太郎氏
1959年東大卒。84年北大教授(公衆衛生),97年放送大学教授を経て現職。厚生省(当時)遅発性ウイルス感染症調査研究班員,EUヤコブ病に関する疫学委員会委員,世界神経学連合・疫学委員長なども歴任。長年,主に疫学の立場で神経疾患を研究。