医学界新聞

 

対談を終えて

私とブレンナー博士の出会い

清水信義(慶應義塾大学医学部教授・分子生物学)


アリゾナ大学での思い出

 ブレンナー先生と初めてお会いしたのは,私が米国アリゾナ大学の准教授として増殖因子の分子機構と遺伝子制御の研究に励んでいた1978年の夏頃でした。ブレンナー先生はアリゾナ大学分子細胞生物学部の客員教授として招かれ,講義や研究指導のために1か月ほど滞在されました。私は学部長の代行として,空港で出迎え,宿舎にお送りしました。宿舎はブレンナー先生のご希望と,ちょうど夏休みであったことからホテルではなく学生寮と予定されていました。私は著名な先生を学生寮にお泊めして大丈夫かな,と懸念していたのですが,言われていた通りにしました。すると案の定,ブレンナー先生は英国の大学の瀟洒な学生寮を想像されていたのか,想定外だったようで,米国の学生寮はお気に召さず,直ちにツーソンの町で一番よいホテルに変更しました。それでも先生はまったくお怒りのご様子ではなく,お迎え役として,ほっと胸を撫で下ろしたことを思い出します。

 滞在中,さまざまな研究指導をいただくと同時に,ピカチョピーク公園へピクニックに出かけたり,わが家で一緒にバーベキューをしたりしました。当時,小学生の一人娘・真理には「この先生はそのうちノーベル賞を受けられるに違いない」と語っていたのですが,Tボーンステーキの骨をしゃぶったり,鉄板焼きのおこげをこそげてなめたりするブレンナー先生の無邪気と言えるほどのテーブルマナーを身近に見て「お父さん,本当にそんなに偉い先生なの?」と不思議がったほどでした。そしてそれから25年ほど経った2002年に,本当にノーベル賞を獲得されたのです。

国際的に活躍される日々

 その後しばらくお会いする機会を逸していたのですが,1985年頃のコールド・スプリング・ハーバーでの国際ゲノムシンポジウムで,私は遺伝子クラスターに関する発見を20分ほど講演しました。講演後,壇上から降りていくと,ブレンナー先生が一番前の席から突然立ち上がり,一歩進み出て「ハロー清水,グッドトーク」といって聴衆の面前で握手を求められたのに当惑したことを覚えています。

 私が1983年に帰国し,慶應義塾大学医学部に赴任してからも何度となく慶應大学や国際シンポジウムで講演していただき,多くの若い研究者や関連分野の先生方にも交流を深めていただきました。先生は2002年のノーベル賞受賞以来,超多忙になられましたがそのうえに,2008年開校予定の沖縄科学技術大学院大学(仮称)の初代学長予定者として,その設立に驚くべき情熱で尽力される日々を送られています。

 この1年半ほどで,東大フグシンポジウム,びわこ国際フォーラム,HGM2005などでエスコート役を勤める栄誉に浴するとともに,個人的にもライフサイエンス研究や生物学・医学の将来についてさまざまな意見を交わす機会を得ました。何よりも昨年夏,私の研究室の20周年記念シンポジウムの際には,お祝いのメッセージとして「アリゾナ時代に世界で一番おいしい果物は日本の水蜜桃だという議論を君としたことを覚えている」「慶應大学でのヒトゲノム研究のセットアップには感心した。魚介ゲノムで一緒に研究できることを願っている」というお言葉をいただいて感激しました。

多彩なエピソード

 ブレンナー先生には「シドニー」とお呼びするお許しを以前にいただいています。シドニーとの長年のお付き合いから,いろいろなことを学びましたが,ほとんどの場合,普通の人は使わない表現で物事の道理を説かれます。いくつかのエピソードやご発言を,先生の名誉を傷つけない程度に紹介したいと思います。

・ブレンナー先生はメッセンジャーRNAの発見(1971年)と長年の研究功績(2000年)でラスカー賞を2度受賞されています。2度目の受賞の時,インタビューに答えていわく「1度目はサイエンスへの貢献,2度目は長生きしているから」。

・定年制に関して。「ゴルフのために退職したくない。科学研究は趣味であり,仕事であり,楽しみである。だから研究をずっと続けていたい」。

・「Reverse Geneticsという遺伝学が流行しているが,Inverse Geneticsというのが本当だと思う」。

・「生物のゲノムシーケンス情報が豊富になって,Comparative Genomicsという進化学が台頭しているが,ゲノム学よりも遺伝学の伝統を踏まえて生物を比較するComparative Geneticsというのも同等に大切だと痛感している」。

・「マウスをヒトのモデルとして研究する伝統があるが,大きなことを知るには近縁すぎる。フグが丁度いいのではないか」。

・「“遺伝子”という言葉があまりにも不用意に使われすぎている。Bリンパ球におけるIg遺伝子クラスターの再編成やショウジョウバエのミオシンのアイソフォームなど,あらためて定義をしっかりしなければいけない。ヒトの遺伝子は2万3000ではなく昔から言われている10万はあると思う」。

・「データベースは肥大化しているが,ごちゃ混ぜでは意味がない。特に遺伝子発現に関しては,生物ごとにしかも細胞タイプごとに情報収集が必須となろう」。

・ある時,特別に記念品が渡されました。その場で開けてみると,真珠のタイピンだった。「Oh, this is useless」。シドニーはいつもノーネクタイです。

・身成りを気にされないのは有名。Tシャツとギャバジンのズボン。スーツ姿はお目にかかったことがありません。慶大のセミナーの時,板書のために振り返った彼のズボンからシャツがどっとはみ出していました。

・日本のパーティーは大好き。いつも「大吟醸・・・」といってお探し。「清酒」は読めるようです。

 ブレンナー先生の武勇伝とも言えるエピソードは際限がありません。御年78歳の先生ですが,これからもお元気で日本のため,世界のために末永くご活躍されますよう祈念いたします。


清水信義氏
1965年名大理学部卒,70年に名大分子生物学研究施設助手。71年に渡米し,カリフォルニア大・エール大研究員,アリゾナ大分子細胞生物学科教授を経て,83年に帰国,現在に至る。慶大Kスクエア・ライフサイエンスセンター長,慶大理工学部教授を兼任,アリゾナ大客員教授,中国医科大名誉教授も務める。主著に『ヒトゲノム=生命の設計図を読む』(岩波書店),『ゲノムを極める』(講談社),『ヒトゲノムワールド』(PHP研究所)訳書に『ヒトの遺伝学』(東京化学同人),『DNAサイエンス』(医学書院),『ヒトゲノムの分子遺伝学』(医学書院)など多数。