医学界新聞

 

<対談>

『ベナー 看護ケアの臨床知』を読む

川島みどり氏
(日本赤十字看護大学教授・健和会臨床看護学研究所所長)
井上智子氏
(東京医科歯科大学教授)


 日本でも絶大な人気を誇るパトリシア・ベナー(P.Benner)とその研究グループによる『ベナー 看護ケアの臨床知』(原題『Clinical Wisdom and Intervention in Critical Care』)が弊社より刊行された。本紙では,監訳者の井上智子氏と,ベナーとも親交の深い川島みどり氏による対談を企画し,本書の読み方から,看護の臨床知とは何かまで,語り合っていただいた。


■ナラティヴでひもとかれる看護ケアの臨床知

800ページに及ぶ「語り=ナラティヴ」

川島 井上先生は,看護界の中でも特に臨床にしっかり足を置いて理論を構築していらっしゃる方で,私は以前から注目していました。その先生が,ベナーの著書を訳されると以前お聞きし,とても待ち遠しく思っていました。

 この分厚い,ずしりとした本を手にして,初めは「読めるかしら」と思いました。しかし,第1章からひもといてみると,ベナーが来日した際に述べている内容を非常にコンパクトに,わかりやすくまとめられた本だと感じました。

 最初に井上先生にお聞きしたいのは,これだけの膨大な本を,どのくらいの時間と労力をかけて訳されたのかということです。

井上 ありがとうございます。翻訳・監訳を合わせて,足かけ5年近くかかったことになります。特に監訳作業はかなりエネルギーが必要でした。というのも,この本は臨床ナースの語りであるナラティヴと,ベナーの解説とで構成されているのですが,それらを合わせたこの本を,1冊のナラティヴとして読めるものにする,ということをめざしたからです。結果,訳の癖や語尾の統一について何度も通して検討することになりました。

川島 何人かの方で訳されたわけですが,違和感なく最後まで読むことができました。訳書というのはだいたい読みにくいものですが,この本は訳書とは思えない読みやすさでした。翻訳のよさに加え,出てくる事例の1つひとつが,臨床のナースにとっては思わず「なるほど」とうなずいてしまうようなものばかりということも,ついつい引き込まれてしまう理由ですよね。

井上 訳の巧拙はともかく,「読んでおもしろい」という点では,それなりに自負は持っています。

 この本の原題は『Clinical Wisdom and Intervention in Critical Care』で,最初の企画では「クリティカルケアにおける重症患者のための臨床知」といった,わりと直訳に近い題だったのです。けれど,私は訳出作業の当初から「これはクリティカルケアに特有のことではない」という思いを強くしていました。ベナー自身がクリティカルケア出身であるということや,慢性疾患よりも急性期のほうが,出来事を視覚化しやすく,ベナーが求めていることを概念化しやすかったということから,クリティカルケアのナースの語りが取り上げられたということであって,そこで語られていることはすべての看護に共通することだと思ったのです。

 最終的に『看護ケアの臨床知』としたのは,1人でも多くのナースにこの本を読んでもらいたいと思ったからです。特に,各章に豊富に収録されたナースの語りは,臨床現場のナースであれば,誰もが「おもしろい」と感じる内容だと思います。

川島 井上先生の前書きに「看護職が日常何気なく,あるいはあたり前に思いながら実施していたことを,ベナーは卓越した研究技法で引き出し分析しまとめあげた」とありますが,まさに,領域を問わない「看護ケアの臨床知」をまとめた本であると思います。

事例検討とナラティヴの違い

川島 私も実践知とか経験知といった言葉をよく使いますし,臨床のナースは領域を問わずそういう言葉が好きです。でも,そうした「臨床知」が実際にはどのようなものかといわれるとはっきりしない。この本は臨床知についてどのような研究成果を示しているとお考えですか。

井上 私も不勉強ですので他の研究者の方に教えを乞うていきたいと思うのですが,1つ言えることは,本書ではナースの語りを収録するにあたって,いわゆる抽象化を行っていないということです。「事例をそのまま」と言ってはなんですが,12章の中に,それぞれの章に適した事例が,抽象化やコーディングがなされることなく,語られたままのデータとして息づいています。

 もちろん,「語られたまま」と言っても,そこには,ベナーらがそこに着目したということ,さらにそこから「臨床知」を引き出しているということは重要です。「臨床知」は現実(臨床)に存在する,人間存在の多面的な知識ということですが,それをナラティヴという形で取り上げ,「臨床知」として高めたのはベナーらの功績だと思うんです。質的研究の1つのあり方を,私たちに教えてくれている本ではないかと思います。

川島 単なる事例とナラティヴ,そしてそこから引き出される臨床知との違いについては,私もいろいろと考えさせられたことがあります。

 日本のナースには,ミニカンファレンスや事例検討会といった形で臨床の体験を互いに語り合う文化があります。以前ベナーにお会いした際に,私が「そうした事例検討会をまとめたらナラティヴになるのではないか」と尋ねたところ,彼女は「いいえ,そうではありません。事例研究とナラティヴは違います」と言ったんです。

 この時は言葉の壁もあってその真意はわからなかったのですが,その後,臨床看護学研究所の研修生たちと看護で体験したことや場面を語る合宿を熱海で行い,そのまとめを行う過程でベナーの言った意味が「ああそうか」と腑に落ちたことがあります。

 その合宿では,ほとばしるように皆が語ってくれて,聴いていて涙が出て止まらなくなるような話ばかりだったんです。しかし,帰ってきてからそれをまとめて発表してもらったところ,熱海の感動はどこかへいってしまって,杓子定規な,いわゆる「事例発表」になってしまった(笑)。

 ナースの語りには,行間に言葉とか,感情とか,思いがたくさん込められているのですが,それを事例の形式にすると,その「行間」がなくなってしまう。ベナーが「事例研究とは違う」と言ったのは,おそらくそういうことではないかと思うのです。

 この本では,そうした「行間」をできる限り残したナラティヴに対し,ベナーが簡潔に解説を書いています。それによってその事例の意味,つまりは「臨床知」が明らかにされる。そのあたりの手際は,研究者としてものすごく参考になりますね。

ナラティヴから臨床知を引き出す喜び

井上 「行間」という意味では,ベナーの解説そのものが「行間」を持っているんですよね。説明しすぎていない。そういう意味では,この書物全体が「行間」を読ませるように作られている。読者に読み解く余地を残している,というところは研究書としての大きな特徴だと思います。

 「著者序文」に「臨床知をみずから発見する感覚を体験していただきたい」という一文がありますが,そのように行間を読ませることの重要性を強調していることの根底にはまず,看護は臨床知を学ばない限り,いくら疾病や薬の知識を持ったところで使いものにはならない,ということがあるのでしょう。ナラティヴの行間を読み解くことによって,臨床知を読者みずから発見する感覚を体験できる。そのことは,本書においてベナーがねらったことの1つだと思います。

川島 そのためには,事例を読む時に自分でイメージングして,どういう情景で,そこに登場しているのは誰々で,どんなことが起きて,ナースは何を語りたかったのか,何をいちばん言いたかったのかということを想像しながら読むといいですね。そうすれば,国の違いなどを超えて,ダイナミックに臨床知が読者の中に入ってくるだろうと思います。

■急性期における安楽提供の意義

「安楽」とは何か?

川島 個人的には第1章の理論的な部分がすごく参考になったのですが,事例の中では,何といっても第6章「重症患者を安楽にすること」にドキッとしました。本当に1行1行に共感しながら読みました。

 特におもしろいと思ったのは,「安楽」の概念を抽象的に述べるだけじゃなくて,そこにすごく具体的な要素が入っていることです。安楽にするということは,重症者に限らず看護の大切な仕事ですが,私はこれまで「安楽」の概念がきちんと解明されてこなかったことに疑問を感じていました。しかしここでベナーは,「安楽を基準化したり,安楽の原理を確立したりするには限界があるため,看護の研究報告や論文に,安楽の実践について言及されることはほとんどないと考えられる」と述べ,さらに「ここでは概して標準化できる事柄について記述する。治療や修復といった効果的な技術的介入と比べると,安楽の方法は些細で,家庭的で,平凡なものとされ,どういうわけか,あまり合意できる重要なこととは思われていない」として,安楽という概念に正面から取り組もうとしているわけです(p329)。

 ベナーの安楽概念ですごくおもしろいところは,安楽とは,「ナースが患者さんを安楽にさせる,する能力によるもの」ではなく,安楽にしてもらう受容力との相互関係であると述べているところです。これはすごく新鮮でした。患者の側に「安楽にしてもらって気持ちがいい」という感覚がないと,ナースの側に「安楽になった」という感じは湧かないと書いてあるんです。初めて,安楽についてなるほどと思える記述に出会ったと思いました。

 単に「安楽」というと,単に痛みがないこと,苦しみがないという意味になってしまう。そうではなく,「安楽」にはより人間らしい意味合いがあると私も考えてきたので,すごくうれしかったです。

井上 また,それらの理念が,安楽を提供する具体的な方法に直接結びついてくるところが書かれているのも,この本ならではですよね。

川島 体に触れたり,手を握ったり,そばに付き添ったり,涙を拭いたりといった,日常の些細な何気ない行為が取り上げられていますよね。逆に言えば,それらがおろそかにされていることによって,どれだけ多くの患者さんを不幸にしているかがよくわかります。特にクリティカルケアでは器械を操作したり,モニタリングしたりすることイコール看護だと捉えられがちです。ですから,ほかならぬベナーが「クリティカルケアの中での安楽」をちゃんと章立てして,大きく取り上げ,具体的に述べているということは,この本のすごく大きな価値じゃないかなと思いました。

身体をケアすることの意味を再確認

井上 私がこの章で重要だと思ったのは,安楽を提供するにあたって一番大切なのは身体をケアすることだと述べていることです。それこそ,クリティカルケアというのは先生がおっしゃったように,モニターや医療処置,あるいは心理・社会のほうに傾きがちになるんですが,ナースが提供すべき「安楽」の第一は,身体へのケアを通してなんですよね。

川島 そのことが大事だとみな言うんですが,忘れられがちです。これは仮説にすぎないんですが,安楽を提供することは院内感染の防止にもつながるんじゃないかと私は考えています。安楽になれば副交感神経優位になって,免疫力が高まりますよね。そうすればMRSAに感染しても,発症が相当程度減るんじゃないかと思うんです。

井上 元気な人への清拭と比べると,身動きもできない人への背部清拭のもたらす効果ははるかに大きいと思うんです。そういう意味では,安楽のケアは,クリティカルケアの領域で逆に強調しやすいのではないでしょうか。

川島 クリティカルケアの現場では,多くの患者さんがモニタリングされていますよね。だから,スキンケアをしたら,どんなふうに生理学的な反応があるのかということを臨床で確認することもできます。すごく実証しやすい。安楽の提供にはこれだけ価値があるんだよ,ということを,クリティカルケアの現場から提起してほしいですね。

井上 現場のナースは,身体へのケアを行っています。けれどそのケアの持つ威力というものを改めて取り上げて考えていない。それはもったいないことだと思います。

 はなはだしい苦痛を感じて,苦しみ,あえいでいる人に安楽を提供するのは,決して薬とか医療処置ではありません。マッサージであったり,タッチしたり,体を拭いたり,お湯で温めたりするもので,人間というのは,そういうことで力を回復するものです。そこの部分で,看護の効果は現れます。このことは看護のどの領域にもみな共通ですが,即効性があるという点ではクリティカルケア領域では見えやすいのではないかと思います。

環境が提供する安楽

川島 この章でもう1点大切だと思ったのは,安楽を提供する環境について触れられている部分です。クリティカルケアの部屋の設計も,安楽をもたらすように整えられるべきだということを述べています。日本の場合,クリティカルケア研究会,救命救急学会といった学会がたくさんありますよね。そういう場で,CCUやICUの環境設計をもっと安楽にしていこうという動きはあるのでしょうか。

井上 徐々にではありますが…。そもそも日本でクリティカルケア,ICU/CCUを導入した時期が,ちょうど高度経済成長期と重なって,経済性,効率性といった,いわゆる「男社会の原理」でつくられています。徐々に改善されつつあると思いますが,それはやはり現行の枠の中であって,ここでベナーが言っているのは,もっと根本的なところですよね。

川島 そうですね。音とか,光とか,照明とか,すべてのことです。そこが改善されればきっと救命率も上がると思うんです。こういった領域についても,ナースの側から声をあげていかなければいけませんね。

 いずれにしても,安楽という非常に抽象的な概念で,なんだかわけのわからなかったことを,しっかり理解させてくれたのがこの章でした。主観的なレベルで,「気持ちがいい」ということしかわからなかったのを,ものすごく理論的に,理路整然と,きちんと考える柱をつくってくれたと思います。

■国籍,領域を超えたすべてのナースに

ナースに求められる2つの役割

井上 安楽ということを先生からご指摘いただきましたが,私が気になったのは医師との関係の作り方です。クリティカルケアというのは,いちばん医師との接点が多い領域ですので,この本では医師との関係の中での象徴的な場面が多くありました。この点についてはどのように思われましたか?

川島 ベナーは以前から「能力のあるナースのほうが下手な医師より正確な判断を行う」と述べています。ぜんぜん違う観点から心電図を見ているので,若い医師が気づかなかった異常に気づき,心筋梗塞を初期に発見できたといったことがある。そして,そうした状況が一番よく見えるのがクリティカルケアの場面だということです。そういう意味で,ベナーは常に医師を意識しているといってもいいですね。

 日本のナースも,ナラティヴをさせると,やっぱりそういったエピソードが出てきます。そういう意味で,重症の人たちをケアするナースたちは,あるところでは医師と対等にディスカッションしなきゃいけない場面もあるし,一方で安楽の提供といった,全人的なケアを行わなければいけないという,両面が求められるということではないでしょうか。

井上 この本を見ていると,現場のナースが非常に柔軟に対応していることがよくわかります。医師よりも判断力がある部分では場を仕切り,リーダーシップを取る一方,医師を非常にリスペクトしているところもある。日本の看護は,まだその段階に至るプロセスにあるのかなと思うんですね。

川島 1つは,アメリカのシステムなんでしょうね。医師とナースとは,たしかに職種は違っているけれども,こと患者のことに関しては互いにかなりきつく意見を交わしてもかまわない風土がある。

井上 そうですね。むしろ,かえって言うべきことを言わないと責任を問われますよね。

川島 日本の場合は,まだまだ潜在的に医師に調子を合わせるところがあって,正しいことだとわかっていても言えないということはありますね。そういう意味では,アメリカの文化とか,医療制度の違いがわからなくて,「え?」と思うところはいくつかあります。でも,総じて看護ケアというのはインターナショナルというか,国が違っても共通だなということを再確認できました。

誰もがおもしろく読める「専門書」

川島 そうした文化の違いを超えて共感できた理由の1つに,最初に話題に上がった訳のよさがあると私は思いました。訳出で困ったところはあったのですか?

井上 原文で読んでいる時は,日米の法規の違いなどがたくさんあって,「これは脚注を相当入れないとわからないかもしれない」と思っていたのですが,実際にはそれほど必要ありませんでした。結局,全部を訳してみると,そんなことはすごく些細なことなんですね。「それがナースの業務か否か」といった問題を超えた普遍的なものが看護ケアには存在するんだということを再確認できました。ですから,翻訳作業の後半では薬剤の名前の違いといったことはあまり問題だと感じなくなりましたね。

川島 本当に,すんなりと読めますよね。訳語ですごいなあと思ったのは,「研ぎ澄まされた関わりのスキル」(=wellhoned skills of involvement)です。これは看護の基本ですよね。この言葉はすごいと思いました。

井上 ありがとうございます。ほかにも,意訳をしたところはありますね。言葉じゃなくて,フレーズ,もしくは状況で捉えて,「要するにこういうことを言いたかったんだろう」という理解を優先させました。

川島 先の,安楽の章の中にある,「でしゃばらずに応じること」(=being available without being intrusive)っていうのもいいですよね。押し付けがましくなく,直接手を下すのではなく,安楽を提供するという感覚がよく伝わってきます。

井上 「being intrusive」には,いろんな言葉を試行錯誤しました。最終的には,「でしゃばらずに」という平易な言葉がいちばんフィットするような感じがしました。

川島 概念としては,「habits」についても気になりました。作家の大江健三郎さんが「ハビット」とカタカナ書きをしていたのと同じ概念を指すものだと思います。ここでは「習慣」と訳されていますが,これは「型」に類するものですよね。物事を学んでいく過程で,模倣から始まったものが,だんだん「habits」になっていく。ナースが現場で先輩ナースの真似をしながらだんだんと成長していく様子をよくあらわす概念だと思います。

井上 川島先生の解説をお聞きしていると,「型」のほうがよかったかな?と思ってきました(笑)。医学的な用語などは間違いがあってはいけないので慎重にチェックをしましたが,こういった哲学や社会学の用語については勉強不足だったなと感じています。

川島 大江健三郎は,「職人には職人の,学者には学者のハビットがある」という書き方をしていました。姿を見ただけで「あの人は学者だ」とか,「あの人は大工さんかな」とか,わかる感覚ってありますよね。ベナーは,「ナースにはナースのハビットがある」という言い方をしていて,単なる技術ではない「技」のようなものを伝達する時,そういうものを伝えなければならない,ということをよく言っています。

井上 ほかにも,ベナーの解説部分には難しい哲学用語も登場します。でも,全体としてはそこがわからないと理解できない本ではないと思います。

川島 そうそう。そこで足踏みしちゃったら読めない。ともかく先へ進むこと。厚いからといって気後れしないで読んでほしいと思います(笑)。私の周囲の人はたいてい買っていますが,「読んだ?」と訊くと「まだ」という人が多いんですね。あたり前だけれど,読み始めなければ読めない。事例を拾い読むだけでもいいから,とにかく読み始めてほしいと思います。そうすれば,臨床経験のある人なら誰でものめり込んでしまうと思います。

井上 専門書って,余暇の時間に読もうとは思わないですよね。でも,この本はすごくエンターテイメント性があって面白い。看護学生でも,初心者でも,もっと広げて一般の人でも,誰でもがおもしろく読めるという点が,この本のすごさだと思います。ぜひ,そのすごさを1人ひとりの方に感じていただければと思います。


川島みどり氏
日本赤十字看護大学教授。1951年日本赤十字女子専門学校卒業後,日赤中央病院勤務20年などを経て,84年健和会臨床看護学研究所所長,2003年より現職と兼務。半世紀にわたって日本の看護界を現場の視点で支えることをめざし多方面で活躍。『キラリ看護』(1993),『看護管理覚え書』(1995),『歩き続けて看護』(2000),『はじめてのプリセプター 新人とともに学ぶ12か月』(2003,すべて医学書院刊)など著書多数。

井上智子氏
東京医科歯科大学教授。集中治療部看護師経験の後,1979年千葉大大学院進学。修了後,聖路加看護大助手,千葉大看護学部助手,助教授を経て,2000年4月より現職。01年,大学院重点化による部局化に伴い,博士(前期)課程にクリティカルケア看護専門看護師教育課程を開設,専門看護師(CNS)の育成にも携わっている。04年,日本クリティカルケア看護学会設立に参加。同学会理事長を務める。