医学界新聞

 

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第 56 回

メディケイド危機(2)
テンケア 11年目の危機

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2624号よりつづく

存亡の危機に瀕する 「テンケア」

 テネシー州(人口570万人)が低所得者用公的医療保険メディケイドに大胆な改革を加え,新たな保険プログラム「テンケア」をスタートさせたのは1994年のことだった。メディケイドの被保険者となるための所得基準を緩和,旧制度の下で80万人だった被保険者を120万人と5割も増やし,40万人の無保険者(および潜在無保険者)を救済した画期的大改革だった。

 当時,州の財政負担を増やすことなく被保険者を拡大したテンケアの「手品」(註1)は全米の注目を集めたが,発足から11年,いま,テンケア(現在の被保険者130万人)が存亡の危機に瀕している。支出が11年間で3倍近くに増加,現在80億ドル(うち50億ドルは連邦政府からの補助金)と,州総予算の3分の1を占めるまでになり,2005年度も6億5000万ドルの赤字が見込まれているからである。

ブレデセン知事 vs 「患者アドボケート」団体

 こういった「財政破綻」の状況の下,2002年の知事選で「テンケア抜本改革」を公約にかかげて当選したフィル・ブレデセン知事(民主党)は,04年2月,05年からテンケアの保険給付を大幅にカットする改革案を発表した。ブレデセンは「予算に比して被保険者が多すぎるし,給付サービスも気前がよすぎる」と,外来処方薬の品目数や医師の受診回数を制限する,ドラスチックな給付制限を提案したのだった。

 ブレデセンのドラスチックな給付制限案に猛反発し,「患者の命を危険にさらしてはならじ」と「待った」をかけたのが,NPO「テネシー・ジャスティス・センター(TJC)」だった。TJCは,貧者に法的サービスを提供するために設立されたNPOだが,テンケアについては,その発足以来,「患者アドボケート(支援団体)」としての役割を担い,患者の権利を守り,連邦政府の基準に合致した医療サービスが提供されるよう,法廷活動を通じて監視してきた。ブレデセンのドラスチックな給付制限案に対しても,訴訟を起こして阻止する構えを見せたのだった。

何もないよりは 「半切れ」のパン!?

 メディケイドは,連邦政府の規定を守る限り,各州が独自の運営をしてよい決まりとなっている(名前は同じでも,州ごとにまったく異なる医療保険を運営していると考えてよい)。州がメディケイドに大きな変更を加える場合,まず連邦政府当局の許可を得ることが要件となるが,通常,どの州でも,「予算」処理上,州議会の合意を取り付けることも要件となる。しかし,テネシー州の場合は,TJCという「患者アドボケート」団体が大きな影響力を有し,メディケイド「改革」を実現するためには,連邦政府と州議会だけでなく,TJCの同意も取り付けなければならないという特殊な事情があったのである。

 TJCが「大幅な給付制限は認めない」という姿勢を明確にしたことに対し,ブレデセンは,「給付制限が実施できないというのならテンケアそのものを解体する」と反発した。テンケアは他州のメディケイドに比べ「気前のいい」保険制度であることが特徴だったが,「気前のいい」テンケアの制度そのものを廃止し,連邦政府の基準を満たすだけの「ベーシック」なメディケイドに「戻す」と脅しをかけたのである。「ベーシック」なメディケイドとなった場合,被保険者となるための所得基準がテンケアより厳しくなるので,40万人の州民が無保険とならざるをえなかったが,ブレデセンは,いわば,40万州民を「人質」に取る形で給付制限を断行しようとしたのだった。「『半切れ』だけでも食べられるパンがあるほうが,食べるものが何もないよりましだろう」というのが,ブレデセンの言い分だった。

ブレデセンが提案した さらに「苛酷な」給付制限

 知事とTJCのいがみ合いが続き,テンケア改革は暗礁に乗り上げた。しかし,その間もテンケアの支出は予想を上回る増加を続け,財政破綻はさらに進行した。年が変わった05年1月,ブレデセンは,「財政状況がさらに厳しくなった」と,自らが1年前に提案したばかりのテンケア改革案を大幅に修正した。被保険者となるための所得基準を変更し,32万3千人を給付対象からはずすだけでなく,当初の案よりもさらに厳しい給付制限を加える,という内容だった。以下に,ブレデセンが提案した給付制限の主だったところを紹介する。

1)入院は年20日まで(入院日数が計20日を超えた後は保険給付を認めない)。
2)医師を受診する回数は年12回まで。
3)血液・X線検査は年10回まで。
4)ひと月の外来処方薬は4品目まで。
5)州外で受けた医療は給付対象外。
6)薬物中毒治療のメサドンを給付からはずす。
7)制酸剤,抗ヒスタミン剤を給付からはずす。

 と,給付制限の内容が非常に「苛酷」なので日本の読者は驚かれたのではないだろうか? しかし,ブレデセンは,もともと政治家に転身する前は保険会社の重役だった。マネジドケアのプロとしては,この程度の給付制限は何ら驚くには値しないものなのであった。

この項つづく


註1:テンケア創設時の「手品」については,拙著「市場原理に揺れるアメリカの医療」(医学書院)で詳述した。