医学界新聞

 

寄稿

スリランカ津波災害における 緊急医療支援に参加して

山下友子(佐賀県立病院好生館 救命救急センター)


JDR医療チームの一員として スリランカへ

 2004年12月26日未明,スマトラ島沖でマグニチュード8.9の地震が発生し,東南アジア,インド,アフリカ沿岸が津波に襲われた。スリランカ政府はいち早く支援要請を行い,それを受けた日本政府は同日夕,医療チームの派遣を決定し,私は国際協力機構(JICA)が派遣する国際緊急援助隊(JDR)医療チームの一員としてスリランカ1次隊に参加した。JDRはじまって以来の大きなミッションとなった今回の災害に対する緊急援助で,スリランカに限って語ることが決して全般を表すものではないが,地方で救急・総合診療に従事しながら初めて国際緊急援助に携わった所感を述べることで,同じ希望を持つ若い医師・学生の方々の,情報の一助となればと思う。

 12月26日夕,前夜からの救急当直とICUの日直を終えた時,ファックスが入った。ニュースを見る暇もなく寝耳に水であったが,緊急援助隊に登録してから待ちに待った派遣要請である。

 めまぐるしさは聞きしに勝るものであった。上司と館長の承諾をいただき,JDR事務局へ参加の意思を伝え,不在中の当直と外来を同僚にお願いし,年末にゆっくり片付けるつもりだった事務書類を片っ端から片付ける。派遣前夜の慌ただしさとはなるほどこういうことかと妙に感心しながら,頭が働かないまま荷物をまとめ,発災よりほぼ24時間後の出発であった。日本チームの到着が最も早かったことは現地で聞かされた。

情報収集により,被害甚大な Ampara県へ

 さて,まず行うべき仕事は情報収集である。もともとの医療事情,災害の概況,災害に対して現地の医療機関がどのように働いているのか,われわれに要求されているのは,どこで何をすることなのか。28日朝,副団長以下数名がColomboの保健省へ出向き,活動場所の決定と被害の概要調査にあたった。結果,当初想定していた南海岸ではなく,さらに甚大な被害が報告された東海岸のAmpara県へ向かうこととなった。

 しかし,ここでいくつかの懸念が生じた。東海岸は民族紛争の過激派「タミル・イーラム開放の虎」の活動地域であり,外務省の海外渡航延期勧告地域であったこと,さらにAmpara県まで350km,がけ崩れや野生の象が出没する山道を車で越えなければならないことである。そこで先遣隊を派遣し現地状況を把握しつつ,本隊も半日遅れで後を追うこととなった。治安は良好だが,被害は甚大で医療ニーズは非常に高いとの先遣隊の報告を受け,本隊が合流したのが29日,軍の協力によりチームの宿舎も確保された。

 県衛生部長と先遣隊の話し合いにより,人口3.5万人のSainthamaruthu地区の小学校に設けられた避難所が診療所の設置場所となった。約3500人が死亡し,2万人が被災,1800名が行方不明となっていた同地区は,イスラム教信者が多く,モスクを中心としたコミュニティーが形成されていた。救援物資の分配や被災者の情報はグランドモスクと呼ばれるモスクが中核となり,多くの避難所が設けられていた。また,われわれの他に,スリランカの巡回診療チーム,フランスSSF,スペインMSFなどが順次活動を開始していった。現地医療機関では医療物資よりもスタッフが足りないことが大きな問題となっており,スタッフは自ら被災しながらもフル回転で診療を行っていたが,後方病院としてJDR医療チームの診療所から入院の必要な患者を搬送することを快諾していただいた。

初期診療で多かった外傷と 急性上気道感染症

 避難所は約1500人の被災者が生活している大きなもので,小学校の図書館を診療所に使用できることになり,30日朝から診療活動を開始した。

 診療開始に当たり,イスラム社会ということで女性患者への対応は心を配るべき問題であったが,もうひとつ懸念されたのは言葉の問題であった。Colomboから同行した通訳は日本語が堪能であったが,東海岸地域で主に話されているタミル語を話せる方がほとんどいなかったのである。しかし,すでに避難所に入っていたボランティアチームで英語・シンハラ語・タミル語が話せる医学生や医療エンジニアの方が活動されていることがわかり,彼らのおかげで複数の通訳を介さずに診療ができ,非常に大きな力となった。

 診療当初はやはり外傷が多くを占めたが,発災直後に現地医療機関などにより,外傷処置と破傷風トキソイドの接種がほとんどの患者に対してなされていたことには驚いた。しかし,湿潤した環境と靴を履かない習慣のため,創が汚染された症例が多くみられた。

 内科的疾患では急性上気道感染症がほとんどを占め,懸念された赤痢,コレラその他の感染症が疑われる症例はみとめなかった。これは中低所得国でありながらスリランカの保健衛生がもともと良好であったことにも起因すると考えられた。

役に立った幅広い 診療トレーニング

 主訴として不眠・抑うつを訴えなくても,尋ねると皆,誰かしら家族を亡くしており,涙を浮かべて不安・抑うつ症状を訴える方も多かった。

 その他の疾患の中では,津波の際に海水が入った事による中耳炎,湿潤した環境による白癬その他の皮膚疾患,居住環境や労働によると考えられる筋痛が比較的目立った。また,日がたつにつれ,高血圧や糖尿病などの慢性疾患で,かかりつけ医が被災したために継続して処方を受けられなくなった方や,長期にわたり加療を受けているものの,日本の医師に一度診てもらいたいという方も増加傾向であった。

 慢性疾患の患者と救急患者がランダムにやってくる状況で,また日に日に疾患が変化していくのを目の当たりにしながら,どんな患者にも柔軟に対応できることの重要性を改めて強く感じた。これまでに心がけてきた,広い視野を持って診療のトレーニングをすることは,緊急時,慢性期に限らず医療すべてに通じることであると実感した。

 現地は雨季に入っており,1日は洪水のため医療活動の休止を余儀なくされたが,計6日間で新生児から92歳の老人までの927名(男性517名,女性405名,未記入5名)を診療した。内訳は上気道感染150例,下痢28例,発熱39例,精神的問題84例,浅い外傷211例,深い外傷68例,慢性疾患82例,その他457例であった。

 診療を終えた1月5日,いまだ患者は増加傾向にあり,現地医療機関の機能も回復していなかった。よって2次隊を要請し,診療所を引き継いで帰国の途についた。なお,2次隊の後はNPOの災害人道医療支援会(HuMA)が現地での活動を引き継ぎ,アメリカNGO North West Medical Teamとともに診療を行い,長期支援への架け橋となっている。

チーム医療の重要性を実感

 チームの連携の重要性についても述べておきたい。当然ながら医師,看護師,薬剤師のみでは医療チームは成り立たない。受付や予診を行う医療調整員,現地・日本との情報交換や,隊員の生活全般をサポートする業務調整員といった方々の大変さ,存在の大きさを実感した。また,今回日本の医療チームが来ると聞いてすぐに手を挙げた通訳の方々,現地ボランティアの方々,行政の協力なしでは医療活動を行うことは不可能であったと思われ,今後,チーム医療を考えるにあたっても貴重な経験をさせていただいた。

 最後に,当医療チームで一緒に診療活動にあたりご指導いただいた日本医科大学高度救命救急センター横田裕行先生をはじめチームメンバーの方々,参加をご支援いただいた当院救命救急センター藤田尚宏部長,同スタッフ,河野仁志館長に心から感謝いたします。


山下友子氏
1997年佐賀医大卒。総合診療部に所属し,2003年より佐賀県立病院好生館救命救急センターに勤務。
メールアドレスtyomo-po@xmail.plala.or.jp