医学界新聞

 

座談会

解剖実習を臨床で活かすために

北村 聖氏【司会】
(東京大学医学教育国際協力研究センター・教授)

前田恵理子氏
(東京大学医学部附属病院放射線科・研修医)

田中麻理子さん
(東京大学医学部医学科5年生)


 医学生であれば誰しもが経験する解剖実習。しかし,肉体的・精神的にも負担の大きい作業に加え,膨大な量のノミナを覚えるなど,医学生にとって大きな山の1つであることは間違いない。

 そこで今回,医学教育に詳しい北村聖氏,近刊『解剖実習室へようこそ』の著者である前田恵理子氏,現役医学生の田中麻理子さんに,医学教育における解剖実習のあり方について語ってもらった。


■臨床の視点で解剖実習を学ぶ

北村 前田さんは現在放射線科の研修医をされていて,今度『解剖実習室へようこそ』という,解剖を学ぶ学生向けの書籍を出版されるということで,お会いできるのを楽しみにしていました。田中さんは現在5年生で,解剖と臨床の両方を経験しています。今日はどのような視点で解剖実習を学べば臨床に活かすことができるのか,聞かせていただきたいと思います。

 解剖実習は,医学教育や生命科学の学びの中で非常に重要な意味を持っています。今までも年余にわたり,解剖実習をよりよいものにしようと多くの人たちが熱心に取り組んできました。ですが,やはり何も知らない医学生に解剖実習を手ほどきするには大変な困難が伴います。これは学ぶ側にとっても同じでしょう。田中さんは今,解剖実習を振り返ってみていかがですか?

田中 まず,ノミナを覚えるのが大変でしたね。ですが,これは英語を話すには単語を覚えなければいけないように,医学を学ぶうえで必須のことです。今臨床に出て大切だと感じるのは「機能の解剖」,つまりその構造が持つ機能はどういうものか理解しておくことですね。解剖実習では構造と名称づけの関連性だけに留まってしまうことが多いので,その溝を埋めることが課題なのではないかと感じています。

北村 なるほど。臨床を視野に入れた解剖の教え方というのはあるのだろうと思います。臨床と解剖学には,密接なつながりがあります。例えばその昔,僕が鎖骨下静脈の走行を解剖した時には「そこに鎖骨下静脈がある」というだけでしたが,現在の臨床ではそこにカテを入れるので,体表からの位置や角度,あるいはこっちの方向に針を入れたら肺に刺さるぞ,といったことが重要になっています。

 臨床の技術や処置,診断の進歩とともに,解剖学の臨床における重要性も変化していくわけですね。解剖学に期待されるものは,ますます高まっていると思います。

前田 ただ,自分の実習の頃を振り返るに,生理学を学んでいない段階で機能を意識して解剖を学べといっても困難があると思います。

北村 そうでしょうね。生体が,神経,骨格系,消化器,循環器,内分泌,免疫組織など実に多様な組織と器官からできていて,それが実に見事に統合されてできあがり機能していることを,実習を通じて自分の手で実体験するのが解剖実習です。そこで心動かされたことから,人間とはなんだろうとか,自分は医学で何をしようかとか,真剣に考えて神妙になるわけです。実際,教養の頃と,解剖実習を終えた学生は顔つきが違いますね。

バーチャルはリアルにとって代わるか

北村 ところで,ご遺体を解剖しなくても,シミュレーター,つまり人形やコンピュータ・グラフィックで代用できるのではと考えている人もいます。こうしたバーチャルのシミュレーターについて,学ぶ側の医学生として,田中さんはどう思われますか。

田中 今後技術が進めば,これから先,本当に人間のようなものができると思います。ですが,医師になる者として,実際のご遺体を前に感謝をし,これからかかわるのはモノではなくて,社会的背景,あるいはその人の気持ちを持った人体なのだということを忘れないためにも,最初の解剖はバーチャルではないほうがいいと思います。

北村 前田さんはいかがですか?

前田 手は触覚だけでなく立体覚の感覚器官ですから,やはり最初の解剖は手先を動かしてやる意味があると思いますね。手の感覚をもとに,教科書に描かれた二次元の構造を立体に起こしていくような作業が,解剖実習の1つの意義だと思います。また,直接手で触れた筋肉と脂肪の違いというのも,無駄ではないと思います。こうしたものは,バーチャルでは抜け落ちてしまう部分ですよね。

 放射線科では,それこそバーチャルなものがあふれています。技術の進歩で細かい構造が鮮やかに描出されるようになり,実際画像による診断能は目覚ましく向上しています。それでも,実物と画像の間には大きなギャップがあります。手術や摘出された標本,解剖実習で剖出された組織を見て,そこで実際の生の病気の姿というものを見ると,コンピュータ処理されたCTやMRIの画像診断の世界というのは,なんとツルツルしているのだろうと思います。画像の解釈には,逞しい想像力が必要なんです。

 また,見たいものだけをきれいに表示させるために,骨や軟部組織など邪魔になるものを外したり,透明化することも,バーチャルでは簡単にできます。しかし,実際の身体では邪魔だからと組織を安易に削ることや,好き勝手な断面で切ることは許されません。画像の進歩により,繰り返し学習しやすい優れた解剖教材は出てくるでしょう。しかし,画像診断やコンピュータが進めば進むほど,一度は解剖実習を通じて五感と感性を働かせることを譲ってはいけないと,私は感じています。

北村 僕も,同じ意見です。内視鏡手術で前立腺がんの事故がありましたよね。あれを,ある外科医の先生が「バーチャル感覚でやってしまうから,ああいう事故が起こったんだ」と説明してくれたことがありました。あれがもし開腹手術で,大量に出血すれば,手袋から血液のヌルヌル感や生温かい感じが伝わってきます。でも,内視鏡手術にはそれがない。血液がどんなに出てきても手は汚れないし,生温かい感触もない。テレビゲームと同じというのは言いすぎだけれども,リアリティがないから「もうちょっとやろう」と思ったり,出血の危険性を十分感じ得なかったのではないかと彼は言っていました。やはりバーチャルでは感じ得ないところがあります。絶対に,最初の解剖はバーチャルでないほうがいいと思いますね。

■『解剖実習室へようこそ』ができるまで

北村 前田さんは東大でクリニカルクラークシップに解剖を選んだ第1号ですよね。その動機と,その時に作ったプリントについてお話しください。

前田 はい。臨床を少し知った6年生の時,新たな視点でもう一度解剖を勉強したいと思い,数人の仲間と2回目の解剖実習を希望しました。ただ,私はぜん息の入院経験もあって,解剖実習は肉体的にハードですから,他の人たちと一緒に朝から晩まで実習するのは難しいなと思ったんです。ですから,実習半分デスクワーク半分で何ができるかなと考えました。

 その時に,「まだ学ぶ機会のない臨床の視点を,3年生にプリントの形で教えてみよう」と思ったんです。3年生の実習もおもしろくなりますし,なにより自分の勉強になって,いいものを作ることができればみんなでずっと使えます。クリニカルクラークシップでこれだけデスクワークをする時間が与えられている人間は今後,そう出てこないでしょう。「今私がやらなきゃ誰がやる?」と思ったんですね。

3か月でプリントを50枚作成

前田 そこで,この考えについて解剖学の廣川信隆先生に提案してみたところ「何かアイディアがありそうだから,やってみたらどう?」とチャンスをくださいました。そこで,ティーチングアシスタントとして学生さんの解剖実習現場を回り,剖出に困っている班を助けたり,デモンストレーションを行いました。その際に,学生は何がわからないのかということを考えながら,必要な項目をリストアップしていきました。また,連日の実習で時にグロッキーにもなる学生の顔を見ながら,どんなものなら読む気になるかも考えました。クリニカルクラークシップの3か月間で,学生にとってわかりやすく,しかも息抜きに読めるものというコンセプトで毎日プリントを作りまして,最終的にA3で50枚ほどの分量になりました。それがこの『解剖実習室へようこそ』のもとになったわけです。

北村 これだけ中身の濃いプリントを作るのは大変だったでしょう? どうやって作っていったのですか。

前田 まず必要な項目について文献や書籍を勉強して,たたき台を作りました。次にそれを臨床実習でお世話になった各領域の先生方に,お忙しい臨床業務の合間に1つひとつ,全部チェックしていただきました。そうして「臨床のチェック済みプリント」を作り,当然それが解剖実習の視点と整合性がなくては困りますから,廣川研の先生方や,実際に解剖実習を指導してくださる先生方にもチェックしていただき,それを毎回120枚ほど,実習室の入口に置いておきました。学生には自由に取ってもらい,「意見や疑問があったら教えてね」という形で,フィードバックを受けながら作っていきました。

 最初は学生がこんなプリントを読んでくれるかな,と思っていましたが,ずいぶん頑張って読んでくれましたね。田中さんをはじめ,皆,建設的な意見を言ってくれたので,それを翌年以降に生かしていきました。

北村 どんな意見がありましたか?

前田 例えば,脊髄と脊椎の番号の高位の差ですね。これはなかなかわかりにくいものなのですが,初めに私が描いた絵ではさらにわかりにくく,「これはどういうことだ。説明してくれ」と。そこで,脊髄から神経根が分かれる位置より尾側にそれが出て行く椎間孔の高さがあり,それが全部「違う」ということを説明し,脊柱管の開放されたご遺体を見てもらいました。そして,これでは椎間孔のある横がうまく見えないので絵にしたのがプリントの模式図です,と説明しました。その時「ヘルニアでは椎間板が後ろに飛び出るんだけど,まっすぐ飛び出る場合と横に飛び出る場合では圧迫される場所が違うでしょう? だから症状も変わるし,逆に症状をよくみればどこに異常がありそうか推定できるんだよ」というような教え方をしましたね。

疑問が新鮮なうちに教える

北村 田中さんは,その頃の学生ですよね。どうでした? そのプリントを毎回もらうのは。おもしろかったですか。それとも,邪魔だった?(笑)

田中 とてもありがたかったです。前田さんのプリントは,例えば「上肢を動かすには」といった大まかな枠組みを作ってくれたので,「じゃあ,上肢を動かす筋を出してみよう」というように,剖出に目標を与えてくれました。

 それから,疑問をフィードバックして,新しく補充プリントとして持ってきてくださったので,質問して理解したことが,ちゃんと形として残ります。しかも,自分がまとめるよりもわかりやすい形で。初学者が感じる疑問点に対してていねいに答えてくれたのがうれしかったですね。

北村 臨床教育では“屋根瓦方式”といって1年目を2年目が教え,2年目を5年目ぐらいの先生が教える方法がありますが,解剖実習もそういう形だとわかりやすいだろうと思います。学生は何がわからないのか,なぜそこに疑問を持つのかというところは,例えば3年前に解剖をやった人であれば,非常に適切なサジェスチョンが与えられるかもしれませんね。

前田 私も今回,「今を逃したらもうこれは書けない」と思いました。医師になったら,ここで感じていた疑問は自分の中であたり前になってしまうだろう,と。皆の「わからない」を集めて,それをこうして形にできたのは,あの時しかなかったと思います。

北村 この本の読者層には,どういう人たちを考えていますか。

前田 まずは,今解剖実習をやっている学生ですね。それから,解剖に対するイメージが学生時代のままで「解剖は苦手だ」と感じている医師仲間ですか(笑)。その後の経験の中で自分が進歩して,解剖の知識や見方も広がっているのに,自分でそれに気づかず苦手意識だけ残ってしまっている方は多いと思います。昔を懐かしみながら,お茶でも飲みつつ読んでもらえれば,解剖アレルギーが少しは払拭されないかなと思っています。医学生・医師に限らず病院で一緒に働く仲間にもぜひ読んでほしいですね。身近なテーマも入れましたので,おもしろいと思ってもらえるのではないでしょうか。

北村 この本の一番の売りは,一言でいって何でしょう?

前田 「楽しく読めて,モチベーションアップ!」

■解剖を許されるということ

北村 では最後に,医学部の学生諸君に「解剖実習はこう学べ」と言うとしたら,どんなことがあるでしょうか。

田中 やはり解剖の持つ意味というのは,1つには医師として最初の自覚をすること,対象が人体であると自覚をすることで,それを念頭に置いて解剖実習を学んでほしいと思います。

 単にマクロからモリキュラーへという視点だけではなく,モリキュラーから逆に細胞,組織とマクロになっていき,さらにその上の,個体としての人間には人格というものが存在する。その高次化されたシステムを自分の手で見つめ直すという意識をもって,解剖に臨んでほしいですね。少し抽象的になってしまいましたが。

北村 まったくその通り。前田さんはいかがですか? 後輩たちに向けてメッセージをお願いします。

前田 学問に対する謙虚さを,解剖実習の中で身につけられたら良いのではと思います。実習はもちろん,アトラスや教科書も,どれだけの人の努力や共同作業の賜物か,思いをはせてください。「1つのことを修得するのはたやすくないんだよ」ということです。

 1つの領域を勉強したからといって,それで終わるわけではなく,別なところと深くつながっていて,他の切り口もある。自分の能力で学べることは限られているけれど,努力してその山を登っていかなくてはいけない。

 2-3か月かけて1人のご遺体を解剖していくのは,肉体的にも精神的にも,かなりの作業です。でも,長い人生のたかだか2-3か月ともいえます。2-3か月なんて命がけの闘病生活をしていたらあっという間で,それに比べたら内容的にも楽なものです。解剖を許された立場だからこそ,つらく感じてしまうことがあっても,なんとかモチベーションを持ち続けなければいけない。自分から興味を探していって,そこで学んだことをどう医学に還元するかも考えなくてはいけない。

 ですから,将来医師として生きていくうえで自分を律することの重要性を意識して,解剖実習の生活を送ってもらえたらと思います。

学生が医学部に“集う”意味

北村 最後に私から1つ,違う面から付け加えさせてもらえば,「なぜ学生は大学に集まってこなければいけないんだろう」ということです。

 今e-ラーニングやバーチャル教材が出てきて,放送大学しかり,ひょっとしたら在宅で大学を卒業できるんじゃないかという考え方すらあります。しかし,医学部に関しては,絶対に学生が大学に集ってこなければ成り立たないと思っています。解剖実習でご遺体を扱う時には,同じ世代で,同じ目的を持っている人同士が語り合い,共に手を動かしながら協力していきますよね。これは解剖に限ったことではありませんが,医学教育において,こうした体験から得るものも大きいのではないかと思います。

 だから,下宿代を払ってでも大学の近くに住んで,通ってもらう。そして,サークルも含めて,授業の後の図書館での語らいも含めて,一緒に集っていくことが,教育の本来の意味だと思います。その第一歩が,解剖実習です。そういう意味で,友だちとの距離,先生との距離,そしてもちろんご遺体との距離を自分で意識しながら勉強していってほしいと思います。今日は,長い時間ありがとうございました。

(終了)


前田恵理子氏
神奈川県桐蔭学園高校出身,2003年東大医学部卒。現在東大病院放射線科。6年生のクリニカルクラークシップ時,臨床の視点を紹介することで解剖実習へのモチベーションを高めることを目的としたテキスト『解剖実習室へようこそ』を執筆し,このたび東京大学医学系研究科解剖学・細胞生物学教室教授の廣川信隆氏監修のもと出版する。音楽と料理と人間を愛する27歳。

北村聖氏
1978年東大医学部卒。免疫学教室(多田富雄教授)研究生を経て,1984年スタンフォード大に留学,帰国後東大病院検査部に移り,1995年同副部長,臨床検査医学講座助教授。2002年より現職。メディカルヒューマニティ教育・卒後臨床研修ならびに教育評価に興味を持っている。また,アフガニスタンやインドネシアとの医学教育を介した国際協力を行っている。