医学界新聞

 

新春随想
2005


年頭に看護実習のあり方を考える

川島みどり(日本赤十字看護大学教授・老年看護学)


「先輩に迷惑をかけたくない」

 4年次の最終段階でのまとめとも言うべき総合実習を終え,ケース発表に臨んだ学生らの顔は紅潮し瞳は輝いていた。彼女らは,限られた条件の中で精一杯の努力をし,どのような体験であっても,そこから学ぶことを忘れず,異口同音に「就職しても,この気持ちを忘れずにいたい」と発言した。過去に各領域で実習した体験を活かしながら,それぞれの関心に添っての実習であったから,短期間ではあったが達成感が得られた実習であったことを,学生とともに喜んだ。

 しかし,これをもってよしとはできない。それは,基礎教育のアウトカムともいえる新人たちの最近の動向によっている。年ごとに早期リタイアの数が増え,その時期がいっそう早まっているというのだ。その理由が,度を超した過密な現場の状態にあることは,ほぼ想像できることだが,彼女らの多くが,「先輩たちに迷惑をかけるのが申し訳なくって…」辞めるというのだから,その優しい心根に言葉を失ってしまう。そのうえ,再び看護の道には戻りたくないというのを聞けば,声高に看護実践能力や判断力の重要性を論じるだけでは事足りない。

 彼女らが考える「先輩看護師らへの迷惑」を最少にするために,技術教育のありようを真剣に考え,実行する責務が教育の側にあるといえよう。

身体知を学ぶ場としての実習

 そうはいうものの,実行するうえでの困難はそう単純ではない。リスクマネジメント上からも,また保助看法上の制約もあって,看護師免許を持たない学生の実習は,たとえ指導体制が整っていても,実施できる範囲は自ずと限られる。さらに,患者の権利意識の高まりがこれに拍車をかけ,結局見学に終始する場合が多くなってしまう。その結果,知識として学んだ技術を反復トレーニングして,身体知(技能)として体得できる機会が少なくなるということは,実習本来の目的や意義からも,何とか解決しなければならないと思う。

 中国の諺に「耳にするものは忘れ,見るものは思い出し,自分の身体で行うことは理解できる」というのがあるが,フィールドで実際に行って学ぶのが臨地実習である。「臨床看護の最高の教師は患者」という言葉を信じるなら,実習受け入れ病院では,「あなたは看護学生の教師でありますので,あなたの権利の行使のためにどうぞ看護学生の実習にはご協力ください」と,案内できないだろうか。実習受け入れを契機に看護の質が高まり,社会的にステータスの高い病院であると評価されるようになれば,問題の1つは解決しよう。基礎教育側は,短期間で技能を習得できるトレーニングの方法を真剣に研究すべきだろう。


看護実践能力の育成

山美惠子(日本看護協会 看護教育・研究センター長)


 看護者はクライエントを生活する主体として全体的にとらえ心身のみならず生活習慣や環境を含めて専門的にアセスメントし,それにもとづいて計画的に看護ケアを行わなければならない。看護は人間の健康に焦点をあて,その目的は人間の尊厳を守ることである。

 2003年に改正された「看護者の倫理綱領」は看護者の行動指針を示し,看護の実践について専門職として引き受ける責任の範囲を社会に対して明示している。

看護基礎教育の課題

 昨今の看護事故をはじめとする社会情勢の変化に看護者がどれだけ応えることができるかが問われていて,看護基礎教育における看護実践能力の育成や看護基礎教育関連組織等について検討がされている。主な報告書をあげてみると「21世紀の看護学教育――基準の設定に向けて(1994年3月大学基準協会看護学教育研究委員会)」「21世紀に求められる看護学教育――高度な看護実践の実現に向けて(2000年2月日本看護系大学協議会学長・学部長会)」「大学における看護実践能力の育成の充実に向けて(2002年3月文部科学省看護学教育のあり方に関する検討会)」「新たな看護のあり方に関する検討会報告書(2002年3月厚生労働省)」「看護基礎教育における技術教育のあり方に関する検討会報告書(2003年3月厚生労働省)」「看護実践能力育成の充実に向けた大学卒業時の到達目標報告書(2004年3月看護学教育の在り方に関する検討会)」などがある。

 看護学は実践の学問であるゆえに,十分な教育効果をあげるためには,看護基礎教育における臨床実習が看護実践能力の基本を身につけるために不可欠な学習過程である。ゆえに臨床と連携・協働しながら看護教育は展開されなければならない。したがって看護実践能力を育てる環境を整えることがいちばん大切なことである。教育側と臨床側が看護実践能力を育てるという目的に向かって協力し合うためにどうすればよいかの方策を打ち出し実現化することが必要であろう。

 その方策として,実習病院と人的に連携・協働するシステム(ユニフイケーションシステム)の構築,臨床側と教育側との有機的連携をはかる組織の設立として連絡協議会発足などが考えられる。地域の特性を踏まえた有機的連携となると,行政側も組織の構成員となることが必要であろう。

 いずれにしても,教育側・臨床側・行政側との有機的連携をする仕組みを構築し両者間で相互理解を深め,看護実践能力を育てるという共通の目的を持つことが重要と考える。


あるべきインフォームド・コンセントの姿を本音で語り合う年にしたい

辻本好子(NPOささえあい医療人権センターCOML代表)


15年前の1歩

 15年前,「君が太刀打ちできる世界じゃない,悪いことは言わないからやめておけ」と,多くの友人知人からの善意のアドバイスを振り切ってスタートしたCOML。この間,私たち患者を取り巻く周辺はじつに大きな変化をとげました。

 人と人との協働作業である医療が抱える限界と不確実性は予想を遥かに越え,患者の不安と不信感は高まるばかり。変わらないのは「いのち」は1つ,「からだ」も1つということ。日進月歩の複数ある選択肢から自己決定することが,決して簡単なことではないことを改めて痛感するこの頃です。

“ともに”という支援が必要

 「説明と同意」と訳されたインフォームド・コンセント(以下IC)が日本の医療現場に導入されたと同時に歩みをはじめたCOMLの活動。その中心軸でもある電話相談に届く月350件余の患者・家族の「なまの声」では,いかに情報共有が困難であるかが語られ,医療者とのコミュニケーションにおいて「この人に会ってよかった」を患者がどれほどに希求しているかが伝わってきます。そして医療には正解があるはず,COMLならそれを教えてくれるはずと,いまだ依存から抜けきれない受け身の体質も見え隠れします。

 残念ながらICの実態は「時間がない」「人が足りない」と,相も変らぬ医療側からの一方通行。自己満足の押し付け,保身が透けて見えてくるような形骸化に陥っています。情報がなかった頃,私たちは「情報さえあれば自己決定できる」「不安は解消する」と思い込んでいました。ところが例え一方通行であれ,選択肢を持てるようになって,かえって途方に暮れてしまったのです。自立に苦しむ思春期のように自問しても正解はない。とりあえず“ともに”歩もうとしない相手を憎み,批判することしかできないジレンマで苦しみは増すばかり。

 必要なものは情報だけではなく“ともに”という支援なのです。

揺れる患者の心を支えるシステムを

 患者には,自己決定した医療の結果に最後まで責任を負うある種の覚悟(すなわち自立・成熟)が求められます。だからこそ揺れる患者の心を支えるシステム,そして,患者自身が自分の病気を学習できる環境が医療現場にいまこそ重要です。

 患者の自立支援システム,ICのさらなる充実にナースの「同席」があげられています。が,しかし,当たり前の顔でドクターの後ろに立っている人は限りなく病院側の人でしかありません。真の意味で患者の自立を支援するならば,まずは「同席」について患者の同意を取り付けること。次に(同席することで)「何が期待できるか?」をわかりやすく患者に提示する。そして,ドクターとの情報共有のために事前のカンファレンスに必ず参加し,必要と判断した時にはドクターに対してもはっきり「ノー」と言える対等な人間関係。つまり患者の目にもわかるチーム医療を医療現場に確立していただくことが大前提です。

 何でも語り合える,開かれた組織の意識文化が医療現場に形成されることは,患者ばかりか医療者自身の安全を守り安寧を保つことにもつながるはずです。


医学部も4年で良い?

宮子あずさ(東京厚生年金病院・看護師長)


看護学部も6年制?

 薬学部が6年制なったのを見て,「専門職として,看護学部も6年制に」と本気で思っている方って,いったいどのくらいおられるのでしょう。これは今の私にとって,密かなキョーフであります。なぜかと言えば,この世界に入って約20年。いまだに違和感を感じるのは,「修学年限が長いのが専門職のステータス」になる,医療界の常識なのです。

 その理由は,できることなら20代前半に,一度は社会に出た方がよいと思うからです。医師を見ていても,「会社勤めはできそうにないなあ」と感じる人が多いのは,社会に出るのがおしなべて遅いのも一因ではないでしょうか。

 もちろん,生きるペースは人それぞれ。スローライフで,40過ぎて定職に就く人がいてもよい。しかし,そのことと,修業年限が長くて,おしなべて社会に出るのが遅くなるのとでは,話が違う。みんなが「医師も6年だから」と6年制を目指し,薬剤師も,看護師も,み~んな社会に出るのが全員20代半ばになってしまったら…な~んか,妙な世界にならないか心配なのです。

 それに,修業年限なんて,延ばしだしたら,今の世の中きりがありません。医療に限らず,法律も経済も,教育も。世の中が複雑になれば,学ぶのには時間がかかるようになります。大学を出てすぐ即戦力になるまで大学に置こうとしたら,それこそ寿命が尽きるまで大学にいても無理かも。人間が,他の動物に比べれば無力な状態で体内から出てくるのも,その複雑なシステムゆえ。生まれてすぐに独り立ちできるまで体内に置いたら,母胎が参ってしまうでしょう。

 修業年限も同じ。得るべき知識の量が多いからといって,延々学舎に足止めしたら,本人も社会も参ってしまう。未熟を承知で,割り切って巣立たせるのも大事なけじめなのです。

長い修業年限のデメリット

 若い人が働きたがらない,と嘆く大人が多い一方で,修業年限が長いコースを出た人が専門職だ,という思い込みがはびこる社会。もっと素朴に,「働くことは善!」と思いながら,素朴に汗水垂らして働くのはどうでしょうか。

 そのためには,修業年限にも枠を設けましょう。私の考えでは,医学部も4年制にしたら良いと思う。不足の点は,学生の取り方の工夫と,卒後教育で補えるのではないかなあ。少なくとも,修業年限が長いことのデメリットを,医療界はもう少し真剣に考えたほうがいいと思うのです。


「看護婦ががんになって」その後

土橋律子(生命をささえる研究所所長/支えあう会「α」代表)


 私の根っこには10余年前の多重がん(子宮体がん・卵巣がん・大腸がん)の体験があり,生死を意識しながら生きてきたことが私を支えている。この間,「患者」になるとはどういうことか? 治るとはどういうことか? 健康とは? 医療や看護の役割とは?……等々を深く考えさせられた。また変遷する時代の中での「生老病死」の在り方や,いのちと社会福祉・環境・教育などとの関連性についても考えさせられた。

 やがて,がん患者と家族のセルフヘルプ&サポートグループ・支えあう会「α」を立ち上げ,職場だった大学病院を辞めた。在宅看護を学んで地域社会での開業をめざし,在宅ターミナルケア専門の訪問看護活動に従事した。そこで今度は,医療だけが“死”を背負うことの違和感や終末期以前の全人的支援の必要性を痛感した。

 「α」の活動理念である「がん当事者や家族・体験者・医療者などが語り合い・分かち合い・学びあいながら,最後まで自分らしく生きることを目指して共に支えあうための地域に開かれた拠点作り」に焦点を移し,分かち合いや勉強会,電話相談やサロン,講演会やシンポジウム,気功教室や親睦会等を行ってきた(活動場所は千葉大学高齢化社会・環境情報センター。センター長は広井良典教授。詳しくは『看護婦ががんになって』(共著,日本評論社))。

初期治療後の支援ない「がん難民」

 「がんは慢性病」といわれても,患者にとってはやはり死を考えさせる怖い病である。医療現場では新たながん患者が次々発見され分刻みの対応に追われており,短期間に心太方式で押し出された経過観察者には手が回らず,生存期間は延びても初期治療後の具体的な支援はほとんどない。がんサバイバーは急増しており,治療で変化した身体を抱え,治療費,仕事,人間関係,再発転移の不安や死の恐怖など精神的苦悩は大きく,「α」のがん相談からみえてくる世相は混迷を増すばかりある。

 厚労省研究班による通称「がんの社会学」の研究報告からもあいまいな対応や不十分なコミュニケーションが医療不信を生み,「患者中心」といいつつ自己選択・自己決定,自己責任を迫る医療側とのギャップが読み取れる。「生老病死」は寿命の必然であり本来の医療は死を包括するものなのに,がんに罹ると「治る」もしくは「末期」と2極分離して語られるため,行き場のない「がん難民」が増えている。

アドボカシーを理念に

 再発転移が判明しても,折り返し点を過ぎた後半のいのちを生きる希望は支えられるべきである。希望を持ちながら生き切る過程に寄り添う医療者をめざし,「アドボカシー(Advocacy)」理念を基に当事者の思いを大事にするフリーランス看護師が働く場として2000年に「生命(いのち)を支える研究所」を作り,「医療コーディネーター」活動を開始した。また次代の医療従事者を育成する学校教育に協力し,地域社会と継続医療の連携を願う社会人対象のゼミ活動も行っている。

 「生老病死」は誰にとっても他人事ではなく,すでに社会全体で考えなければならない時代がきている。身近な死から目をそらさず,その過程に付き合い,しっかり見届け,きちんと見送ることで「生と死」は学ぶことができる。私の体験が微力ながらいのちを支えあうことに役立つならば,本望である。