医学界新聞

 

新春随想
2005


小児医療への医療資源導入と独創性の尊重

五十嵐 隆(東大教授・小児医学)


明治の小児科医に学ぶ

 日本小児科学会は今年,第108回目の学術集会を迎える。わが国における小児科学会の設立は米国よりも数年早く,明治の小児科医たちの気概と進取の気質を今一度現代に生きる小児科医は見直すべきと思う。小児科学会の前身である処和会の設立(1890年より無名会として開始,1892年に処和会として改名)にあたり,代表を務めた東京大学医学部小児科教授の弘田長は,「日清戦争に勝利はしたが学芸の点でわが国はまだまだ遅れており,小児科医が協力してわが国の小児科の発展をめざすことが必要である」と述べている。それから100年以上が経過した今日,わが国の小児医療と小児医学はたしかに大いに発展した。

 医療の面で最も象徴的なことは,わが国の乳児死亡率が1,000出生あたり3.1という世界で最も低値を誇っている点である(ただし,こころの問題など新たな問題が生じている)。これは予防接種や抗生物質などの医療技術の発展の他に,第2次世界大戦後の経済的発展(特に子どもの栄養状態の改善)と国民皆保険制度によるところが大きい。また,小児医学の面では川崎病,福山型筋ジストロフィー,有馬症候群,瀬川病などの新たな疾患概念の発見や先天代謝異常症,遺伝性尿細管機能異常症,先天性免疫不全症などの分野における疾患の原因遺伝子の同定など,日本人が果たした世界的貢献は決して少なくない。

小児科医の負担軽減が急務

 しかし,小児医療と小児科学の両面で次の時代の方向性を決める重要な概念や技術は欧米からの輸入が多く,わが国から世界への輸出は残念ながら少ない。どうしてわが国では新しい小児医療を創造することが難しいのか?

 わが国では医療費の支出が欧米に比べ抑えられており,少ない医療資源で医療をせざるを得ない状況にある。医師も看護師も少ない人数で医療を行っている病院が多く,特に小児医療でその傾向が強い。2-3名の小児科医が救急医療と入院診療を行う病院では,毎日臨床に忙殺され,人間としてのQOLを保つことができない。10名以上の小児科医により救急医療と入院診療ができる地域の中核的小児医療センターを増やすことが,過重労働を減らすことにより小児科医のQOLを改善し,余裕ある臨床を行うことのできる環境整備にもつながる。ただし,このようなセンター小児科への統合は過疎地における病院小児科の消失という,患者にとってはマイナスが生じる危険性があることにも注意しなくてはならない。

小児科学研究に対する壁

 わが国で最も研究活動ができる環境にある大学病院において,小児科医の定員数は少なく(昭和40年代に設立された国立医科大学の常勤医師は通常8名),当直を含め小児科医の臨床に従事する義務が大きいために,内科医に比べ研究活動の時間が取れない傾向が強い。

 実際,わが国の大学病院の小児科医のポストは米国の2割以下とされる。東京大学医学部付属病院では内科医の約1割が小児科医であるのに対して,小児病院を付設する米国の大学病院では内科医の約4割を小児科医が占めている。このように,わが国の大学病院における小児科医の人的資源が極めて少ないことが,小児科の研究活動が内科に比べて低調とならざるを得ない主要な理由と思われる。

 昨年度の国立大学法人化に伴い,診療収益の少なさから小児科医の定員削減を行う大学病院も見られてきている。このような大学病院における経済優先の姿勢は,将来のわが国の小児科の臨床,研究,教育活動に重大な弊害をもたらす憂慮すべき事態と危惧される。

 忙しい診療の中で,川崎富作博士は川崎病という新たな疾患概念を樹立された。忙しい臨床の場で最も独創的な発見をされた先輩小児科医から私ども小児科医は,忙しいから独創的な仕事ができないのではないことを学ぶべきである。

 小児医療に医療資源を今まで以上に導入することが最も必要とされることではあるが,たとえ医療資源の乏しさに由来する忙しい毎日であっても,若い小児科医はわが国の先人小児科医たちが果たした偉大な業績に鼓舞されて欲しいし,そのような独創性を大事にする雰囲気を私どもが作らなくてはならない。


21世紀と16世紀と,2つの情報技術革命

坂井建雄(順大教授・解剖学)


 情報技術革命は,われわれの未来を変える,大きな可能性を秘めている。コンピュータによる情報処理も,インターネットによる情報流通も,従来の方法でも行うことができたかもしれない。しかしそれを,高速・大量かつ安価に行えるようになったというところに,大きな意味がある。

 情報技術革命によって,世界がどのように変わっていくか,予想しようにも予想しきれないものがある。そんな時には,過去の歴史と経験から学ぶとよい。かつて人類が経験した情報技術革命により,その後の世界がどのように変わったか,そんな実例があれば大いに参考になるに違いない。

活気と興奮に満ちた2つの時代

 16世紀という遠い昔に,情報技術革命が起こり,世界が大きく変わった。印刷術により,書物の大量生産が行われるようになったことである。それ以前の書物は,高価な羊皮紙に,手書きで文字が書き込まれ,豪華な装幀が施されていた。貴重な財産であり,大量の文字情報を貯蔵する保管庫であった。印刷術により,同じ形をした書物が大量に作られるようになった。書物はきわめて安価になり,その役割も変化した。16世紀の書物は,もはや情報の保管庫ではなく,情報を広く発信する手段として用いられるようになった。これが,人類がかつて経験した情報技術革命である。

 16世紀という時代は,医学の歴史にとって大切な時代である。ブリュッセル生まれのヴェサリウスは,この情報技術革命を利用して,1543年に『ファブリカ』という解剖書を出版した。この書物は,美麗で精緻な解剖図と,博識な本文とにより多くの人たちを魅了し,人体解剖学は一躍時代の最先端の科学になった。過去の権威ではなく,人体の中に真実を求めようというヴェサリウスの主張は広く受け入れられ,ここから近代医学がはじまったといっても過言ではない。

 21世紀の情報技術革命で何が起こるか予断を許さないが,『ファブリカ』が巻き起こしたような知的な革命が起こるに違いない。その革命を引き起こす側になるか,巻き込まれる側になるか,どちらになるにしても,16世紀と同様の,活気と興奮に満ちた時代がやってくるのを予感している。


融合と創発-転倒予防医学研究会の発展

武藤芳照(東大教授/転倒予防医学研究会世話人代表)


 会場には,立ち見も出る程の参加者の熱気とエネルギーがあふれていた。昨春発足した転倒予防医学研究会の第1回研究集会が開かれた京都府医師会館の光景だ。時は10月10日。本研究会が「テン・トウ」に掛けて制定した「転倒予防の日」当日だった。

 今や超高齢社会に突入した日本の重大な社会的課題となった「転倒予防」には,全国各地でさまざまな研究と実践,取り組みがなされている。中には保健師1人で,地域の事業を懸命に担っている例も少なくない。しかし,どんなに優秀で知力・体力に優れている人でも,1人の力にはやはり限界があるものだ。転倒予防にかかわるさまざまな分野・領域の人々の知識,技術,経験を交流させ,人と人とを結び,また新たな知恵と力を生み出すことができればと,本研究会が誕生した。

 第1回の研究集会の理念は,「アカデミックでアットホーム」。学術的な質を大切にしつつ,自由で率直な意見交換ができるように。34名の「世話人」には,その名の通り,参加者が心地よく勉強,討論でき,何か得るものを持って帰っていただくようにお世話をすることに徹していただいた。参加者は,医療・保健・福祉・行政・スポーツ等の枠を超え,医師,看護師,保健師,理学療法士,作業療法士,介護福祉士,健康運動指導士等の多職種530名だった。

 「転倒予防」というひとつの立体像を,それまで一方向,あるいはある面に着目して見ていた各々の人々が,この研究集会での活発な論議を通して,その実像に迫ることができたように思う。また,それまでまさしく孤軍奮闘していた現場の専門家たちが,手を結び合える道を見出したように感じた。また,「転倒」というヒトに起こる事象が,単純なものではなく,誠に幅広く奥深いものであり,それだけ学術的にも重要でおもしろく,政策的にも緻密かつヒューマンな対応が求められることを改めて知らされた。

さらなる融合・創発を

 発足2年目を迎える今年,この研究会の発展に当たって,2つのことをさらに深めていきたい。それは,融合と創発だ。分野・領域,職種,地域,性,年代を超えた人々の融合を一層広めること。そのことにより,単一の分野・領域,組織,機関,系列,職種等では決して生み出し得ない色彩,実りを着実に生み出すことができるだろう。

 そして,そうした色彩,実りから,新たな知恵と力を創発し,全国および世帯に種々の情報と学術的知見を発信することができるだろう。そうした営みが継続することにより,さらにヒトと情報が自然に集い,人々の健康と幸福と自己実現に役立つ活動にしていきたいと願っている。


インフォームドコンセント考

内山真一郎(東女医大教授・脳神経センター神経内科)


 インフォームドコンセントという用語はすっかり定着し,これなしに現代の医療は成立しない時代になったと認識されています。しかし,現実にはそうでない医療がまだまだ数多く行われていると思わざるを得ない状況があることを実感しています。私の外来には,診断や治療の内容や説明に納得できないとセカンドオピニオンを求めてくる患者さんがかなりいらっしゃいます。

 きちんとした紹介状と検査の資料が提供され,適切な診断と治療が行われていると判断されるので,「安心して今までどおり,その先生にみてもらってください」と説明し,こちらからもその旨説明したことを返信する場合は問題ありません。しかし,中には患者さんが医師から受けた説明を聞いて,これはアンフェアだと思わざるをえないケースも少なからず経験します。たとえば先日,すぐに手術しなければ命が危ないと主張されたが,疑問に感じたので意見を聞きたいと来院された患者さんがいました。しかし,現時点でのエビデンスからはどう考えても絶対的な手術適応があるとは思えませんでした。

医師は客観的データを提示し患者自らが検査や治療を選ぶ

 医師がインフォームドコンセントを取得する際には,治療や検査のベネフィットとリスクの両方についてできるだけ客観的なデータをわかりやすく提示する必要があります。そのうえで患者さんが自らの意思で決定するべきです。今は医師が患者さんに治療や検査を押し付ける時代ではありません。医師は自分の知りうるかぎりの情報を患者さんに提供し,それらの選択肢から患者さんが治療や検査を選ぶ時代です。

 インフォームドコンセントには必然的にEBMの知識が不可欠となります。EBMは患者さんたちをマス(集団)として捉えて治療法を評価しており,そのうちの何パーセントに有効で,何パーセントは危険であるかを示しているにすぎないので,個々の患者さんに対する治療法選択の決定には役立たないという意見があります。確かに個々の患者さんの状況に応じて治療の妥当性を考えること(patient-oriented medicine;POM)は重要ですが,POMにおいてもそれらの状況から考えられる疾患のリスクと治療のリスクの層別化(risk stratification)というEBM上のコンセプトがやはり重要になります。

 もちろん,これらの状況をすべて数値化することは不可能であり,限界はあります。しかし,自らの診療が独善的にならないようにするためにも科学的に検証された客観的な信頼度の高いデータを指標として日常診療に当たるという基本的な姿勢は大切だと思います。EBMはできるだけ多くの患者さんに,よりよい医療を提供することを最大の目標にしています。日本でも各科領域で盛んに作成されるようになったガイドラインもEBMの上に成り立っています。ガイドラインについても医療訴訟の材料に使われてしまうと危惧する声が聞かれますが,ガイドラインをはずれた独善的な治療による危険性を放置するより,ガイドラインが標準的治療として普及し,実践されることによるメリットのほうがはるかに大きいと信じています。


医師はいつから医師になる?

信友浩一(九大教授・医療システム学)


 「お母さんは赤ちゃんを産んだらお母さんになるの?」「お母さんは,いつからお母さんになるの?」

 このような「問い」に擬えて,医学生憧れの若い某医師に問うたことがあります。「医師は,いつから医師になるの?」

 彼は,問いの意味がわからないのか,あるいは私の意図に戸惑ったのか,返す言葉を探しあぐねたまま長い沈黙の時が過ぎていきました。彼の顔には不快な表情が浮かんでこないところをみると,彼は単に問いの意味がわからないのでしょう。ですから私はヒントをひとつ出しました。

 「医師国家試験に合格した時に医師になったと思っていたのでしょ!」

 「ハイ。いつ医師になったのか,なんて考えたことはありませんでした」

 「しかしあなたは,医師はこうでなければならない,と言い続けていますよね?」

 「ハイ」

 「では,医師はこうでなければならない,という基準は医師国家試験の中で問われていましたか? 医師国家試験に合格した,ということは,あなたの言う基準を満たしたことを意味しますか?」

 「……。参りました。いつから私が医師になったと思えるようになったかを想い出してみます」

 確かに医師国家試験は医師として必要な知識と技能があることを質すものではありますが,あくまでも知識と技能のみを問うているものです。しかし知識と技能があれば,患者やコミュニティから期待・要望されている医師の役割を果たすことができるのでしょうか。一方,そのように患者・コミュニティが期待するのは我がままなのであって,我々は自ら認じる使命感に基づいて医学・医療を担えばいいのだ,という考え方(見識)もあるでしょう。医師の役割・使命の認じ方には二通りあることがわかりましたね,他認と自認と。

「公器としての医師」の役割・使命とは?

 しかし,医師という公器が自認のみで使われることを患者・コミュニティは許してくれているのでしょうか? 許してくれているか,感じたり考えさせられたことはありますか? 最近の医療への苦情・紛争・訴訟の増加をどのように意味づけていますか? 日々生じているこのような流れを,医師の視点(ドクターズアイ)と患者・コミュニティの視点(ペイシェンツアイ)との両眼で,是非直視して医療の原点から考えてみてください。

 私にとっては,同じ診療・研究領域での憧れの三上医師(元奈良大内科教授)から「君も医師らしくなったな」と言われ「医師になった」と実感できるようになりました。