第2610号 2004年11月22日


身体で覚える
糖尿病療養援助技術

〔第8回〕

研修会開催のススメ(最終回)

吉田百合子
富山医薬大附属病院地域医療連携室・看護師


前回よりつづく

 これまで7回にわたって,糖尿病療養援助のための技術と,それを磨くための研修について述べてきました。筆者は富山県を中心に,日本全国で年数回のペースで,この連載で述べた方法を学ぶ研修会を行っています。研修会の参加者には,これらの技術を学ぶことはもちろんのこと,最終的には筆者が行っているような研修会を個々で行えるような人になってもらいたいと考えています。

 最終回となった今回は,実際に研修会を行うにあたってのコツを紹介したいと思います。

臨床と研修会に距離を置く

 臨床は,日々時計が休むことなく進むように過ぎていきます。そこではどうしても,自分たちの行った援助を振り返ることは難しいと思います。研修会では,そういった臨床のあわただしさから少し距離を置いて,丁寧な振り返りを行うことが重要です。

 研修会を行っていてよくわかることは,ナースは指導を急ぎがちであるということです。「このように行ったほうがよい」という考えを相手に嵐のごとく浴びせてしまう。それはまるで,合併症の恐怖に取りつかれているようです。相手の価値観に合うかどうか,相手にとって可能な案なのかを検討する暇もない援助になってしまっていないでしょうか。

 研修会では,そうした相手をコントロールする言葉はいったん脇において行うようにします。臨床的な感覚のまま研修に入ると,どうしても相手の問題点を改善しよう,という方向に意識が向いてしまいます。ここでは,それを忘れて各技術を向上させることに没頭し,身につけることに集中するようにしてください。

 また,同じように,ロールプレイの際に使用する患者例は,参加者個人の経験した例は避けたほうがよいと考えます。患者の情報がその人にとってあまりに生々しいと,ロールプレイを行う相手と共通の視点を持てなくなりますし,また個人的な内容が多くなりすぎて,援助技術にしぼった学習ができなくなります。

 このように,臨床のための学習であっても,研修会では,ある程度,臨床との距離を持って行うことが欠かせない要件となります。

身体で覚える――感覚に焦点を当てて

 技術は頭で学習するものではありません。臨床はその時その時,一瞬のタイミングをいかにつかむかの連続です。特に,自己管理に揺れる患者は,生活,価値観,感覚,気持ちに翻弄されているものです。ナースは,患者の揺らぎの中心を知り,その揺らぎにタイミングを合わせる技術が必要です。そしてそのためには,頭で理解するだけではなく,身体で学習し,身体に技術を覚えこます必要があるのです。

 頭で考えるのとは違って,身体は直感的に感覚で判断し,感覚で動くものです。これを磨いていくためには,研修会では「どのように感じたか」という感覚を大切にすることが鍵となります。技術学習をやってみて,どのように感じたのか,それは心地良かったか,湧き上がる何かを導いたか,元気へつながるものとなったかといった,瞬時の感覚を逃さずつかむことです。

 そして,そのようにしてつかんだ感覚を技術として身体に覚え込ませていくには,それを客観的なもの,他人に伝えられるものにする作業が必要です。筆者の行う研修会で,1つひとつの感覚を言葉にし,文字にしていくことを勧めているのはそのためです。

「感じてもよい」ことを保証する

 一方で,成熟した人間は感覚,感情を表に出さないとする文化や発達理論があります。ですから,研修会では,まず「感じてもよい」ことを保証し,「感覚を表出してもよい」許可を与えることが大切です。第1回の研修会では,1つひとつの技術について全員の感想を聞くようにします。感じたことをそのままで,難しい言葉は要りませんと促して,自分の言葉で話してもらうのをじっくり待ちます。また,「前の方と同じ」という言葉が聞かれたら,同じ言葉でいいので,自分の口から言ってもらうようにします。

 研修会のリーダーや,グループでの司会者は,話す人の顔から目を離さず,こんなこと感じていいのか,言ってよいのかという確認,応援の求めに対して,うなずきで保証を送ります。感情に正解などあるわけはないのですが,現代のような複雑な社会・時代においては,どうしても正解不正解で世の中を区分して答えを1つにして安心を得たいという思いが強いのか,「自分の答えが間違っていたら嫌だ」という迷いが多くの人にあるようです。

 全員の感想の発表が終わると参加者は,「同じように感じた人がいるんだ」「自分もそのことを感じた」「そんなことも感じていいのだ,言ってもいいのだ」と,自らがそれまで持っていた感覚の枠を広げることができます。

 どうしても自分の感覚を口で言えない場合は,とりあえずそれを紙に書く,という方法も有効です。書かれたものを読んでもらうことで,何もないところから自分の意見を言うのではなく,作業として言えるということで,言いやすい場合があります。また,全員に書いてもらったものをまとめて配布してもよいです。このように,皆が感じていることをすべてとりあげ,参加者全員で共有することが大切です。

臨床の日常性への挑戦

 筆者の行う研修会では,臨床で行われている看護師の実践を技術として抽出し,それをさらに技術として磨き,もう一度臨床に戻すことをめざしています。

 しかし,日々の試行錯誤を経て,すでに確立された臨床の日常性は変化を拒む傾向があります。また,臨床の中から見つけた援助技術を練習することは,臨床のナースにとっては退屈に感じることもあるかと思います。実際,研修会でもその運営を工夫しないと,学習を始めるとすぐに「もうわかった」と考えてしまい,技術として深める作業に入りきれないことにもなりかねません。また自分たちが日常的に行っていることを今更,という気がして照れて打ち込めないこともあり,ここに臨床技術の研修の難しさがあります。

 しかし,何度も言うように,技術は頭で理解するものでなく,身体に定着させるべきものです。また,そこに改革を加えていくことは,こうした研修の機会にこそ可能なのです。

 そこで,運営のコツとしては,日常性に戻れないよう,研修の進行にスピード感を持たせ,声を出し,感想を紙に書き,一般論に引く余裕を与えず,身体に感じたところに留め置くようにします。また,ロールプレイの際にはくじ引きや席替えをして,知らない人と組むように設定して新鮮さを出し緊張を残す工夫も行います。身体を覚醒する簡単な方法としてブラックコーヒーの力を借りるのも手です。

最終目的は技術を臨床に返すこと

 技術は臨床で役立つ,患者に役立たせることが最終目的です。そこで研修会では,実技を行いながら,実技1つひとつについて,患者のエンパワーメント,自己管理に役立つか,あるいはいかに役立たせるかを検証し,各技術の意義の確認を行うようにします。

 また,実際に臨床で検証を行うことも大切です。業務の流れに組み入れて日々の業務でどのように活用するかを目標にして行ったり,実験的に検証を行うことができると思います。この連載で紹介した技術はすでに臨床で行われている内容ですが,実験的な検証によって,例えば最低限必要な回数や効果的な回数,効果的な実施時期・対象など具体的な示唆が出れば,ただやみくもに行う無駄が減り,また実施の不充分さから効果に結びつかなかったものの改革になり,ひいては日々の忙しい業務時間の有効な利用になるでしょう。また,医院や病院など異なる体制に見合った実技を選ぶことを可能にすると思われます。

おわりに

 糖尿病は自己管理の疾患と言われています。しかし,年々糖尿病患者を増加させているこの社会において,自己管理を実際に実行していくことは,並大抵のことではありません。

 全国で多くの方々が糖尿病療養指導士として患者さんへ支援を行っていることと思いますが,今一度,このことを肝に銘じていただければと思います。本当に患者の役に立っているのか,患者に「さすが専門家」と思われているのか,問い直してみてください。自分がかかわることによって,患者に元気が出たのか,糖尿病を好きになってもらえたか,自分に会うことを楽しみに来院されているか,いかがでしょうか?

 富山県で行っている研修会で,ある卒業生がこんなことを言ってくれました。「研修会で勉強して変わったことは,患者に何を質問されても,答えている自分がいること」と。これはすばらしいことです。患者が今取り組んでいる自己管理に,看護師が合わせることができた,ということだと思います。この姿こそ,「糖尿病療養指導士」ではないでしょうか。

 本連載で紹介したプログラムを繰り返し行い,技術を身体に染み込ませてほしいと思います。


◆本連載へのご感想,あるいは吉田先生へのご質問は編集室まで。
 お送り先は投稿案内のページをご覧ください。

[著者略歴]
国立山中病院附属看護学校卒業後,国立がんセンター勤務を経て現職。佛教大,富山医薬大学院に社会人入学し,社会学,看護学を学ぶ。「現場の“技”を言葉にして,それをもう一度現場に還元するのが私の仕事」と語り,日々後進の指導に取り組む。